「一青」と書いて「ひとと」と読む。いやー、読めないですよね。と、ためしに「ひとと」と変換したら石川県鹿島郡中能登町一青、と出てきました。アーティストの一青窈さんのお母さんの出身地、なんだそうです。お父さんは台湾の方だというのを聞いていて、てっきり一青は中国語の名字だと思い込んでいましたが、意外な展開でありました。
一青窈さんにはお姉さんがいて、妙さんといいます。この『ママ、ごはんまだ?』はその妙さんが書いたエッセイを元にした映画です。一青家、というか、顔家というか、姉妹とお母さんと、早くに亡くなったお父さんのお話。台湾で過ごした幼い頃、日本に来てからの物語。お母さんと、お母さんの作るごはんを中心にした思い出の物語です。
お母さんの名前はかづ枝さん。日本で勤めていたホテルで見初められ、熱烈なアプローチを受けて結婚したのが、台湾・南部の町、台南の名家、顔家の跡取りであるお父さんでした。台湾にやってきたお母さんは、新しい暮らしになじもうと一生懸命です。言葉を学び、料理を学び…。市場についていき、台所ではお姑さんの肩越しに、料理するところをのぞいてはせっせとメモをとります。
かづ枝さんはそのメモをノートにまとめ、日本に持ち帰ります。
月日は流れ、大人になった一青姉妹は主のいなくなった家を整理するために戻ってきます。押し入れの茶箱の中から出てきたのが、このノートでした。そのノートを見ながら妙さんはお母さんのあの味、台湾の思い出の味、あの一皿を再現してみようとします。
ノートのお母さんの字をみて、料理のレシピをみると、台所に立つお母さんの姿が、においや音と一緒に甦ってきます。大根餅、シジミ蒸し、豚足、そしてチマキ…。甘じょっぱい醤油、八角、豚肉、椎茸、あぁ、わかるなぁ、あの匂いあの味…。うちでも同じ匂いがしてましたっけ。
うちの母親は別に台湾と関係はありませんが、一時期チマキづくりに凝っていたことがありました。時々ありましたね、何か一種類の料理に凝って、何回も何回も作ってみるってことが。最初はレシピがあったのでしょうが、その通りに作るのは最初の何回かで、あとはどんどん自己流になっていってしまうのが母の料理でした。なので、レシピとして受け継いだものはないなぁ。わたしも見よう見まね。調味料とか手順とか、適当。だいたい舌が覚えている範囲でしか再現できません。そういえば、ノートに書いていたような気もしないではないんですけどねぇ。どこへいったか…。
母のチマキは、一青家のレシピとは違って、水を吸ったもち米をそのまま葉蘭の葉(当時は今みたいに竹の皮が簡単に手に入る時代ではなく、またあったとしてもたくさん買うには安くはなかったので、うちに生えていた葉蘭の葉っぱで代用しました)を三角に巻いたものに入れ、そこに味をつけて煮た具を入れ煮汁をかけて、またもち米を入れて葉を巻いて、タコ糸で三角錐に結んで蒸す、という方法です。生米から蒸すので、蒸し具合が難しく、芯が残ってしまったり、水っぽかったりと、何回も試行錯誤をしていたのを覚えています。今回一青家の作り方を見て、そうだよなぁ、と思いました。まずもち米を炊いて、それに煮た具を混ぜて竹の皮で巻いて、卵や煮豚や栗・ぎんなんなど大きな具を入れてまた具入り味付きもち米ご飯を入れて、包んで蒸す。これなら失敗はないし、味も均等に染み渡るわけです。
映画の中で勤めに出始めたかづ枝さんが、職場の同僚にチマキの作り方を教えるため、台所のテーブル一杯に材料と道具を広げているシーンがあります。あぁ、そういえば、うちもあんな感じで作っていたなぁ、と思ったら、鼻の奥がつぅんとしました。
台湾にお嫁に行ったかづ枝さんは、台南の名家「顔」家のお嫁さんになります。お父さんは日本統治時代には日本に留学し、戦後は家を継ぎ父の仕事を継いでいました。仕事でたびたび日本に来ては、父と同じ贔屓のホテルに泊まるという裕福な暮らしをしていた人です。そのホテルに勤めていたのがかづ枝さんでした。結婚し台湾で暮らし、娘が二人生まれます。やがて学校に上がる年になった娘を日本で教育したいと両親は東京にやってきます。しかし、それからほどなくしてお父さんは病気になって亡くなってしまったので、お母さんは娘が日本で生きやすいようにと旧姓に戻し、三人で暮らし始めるのです。
お父さんの記憶はあまりなく、お母さんもそんなに語らなかったので、一青姉妹はお母さんが亡くなってからその人生をたどるうち、お父さんの人生もたどっていくことになります。台湾が日本の植民地だったとき、日本の大学に通ったこと、日本が好きで、かづ枝さんがせっかく台湾料理を覚えたのに「湯豆腐が食べたい」なんて言ってかづ枝さんを悲しませたこと。そしてなぜ、日本人のお嫁さんをもらい子どもは日本で育てることにしたのか…。それには台湾の歴史が関係してくることも、両親が亡くなりその軌跡を台湾に調べに行って初めて知るのです。
日本の植民地政策は台湾にたいして融和政策をとります。中国や韓国に対しての強権的なものとは違いました。もともと裕福で家柄もよくインテリの家であった顔家にとっては、ちゃんと尊敬を持ち対等に扱われることで日本の存在を受け入れていたようです。それでも戦争が終わり、独立することになればうれしいもの。さらにそこに国民党がやってくるとなって、新しい台湾の国作りへの期待が膨らんだわけですね。顔家のような名家であれば、その国作りにおいてもいろいろと活躍できるのではという気持ちもあったのかもしれません。しかし、その期待は裏切られ、国民党は前から住んでいた台湾の人々をないがしろにします。二等市民扱いをし、抵抗すれば容赦なく捕まえ投獄するのです。そんな「台湾」にお父さんは絶望し、日本に行くことにしたわけです。それでもお父さんにとっての台湾は故郷です。一青姉妹の記憶では、お父さんは部屋にこもり外に出てこなくなることが年に数回あったそうです。そんなエピソードを聞いて、歴史に、戦争に、時代に翻弄されるインテリたちの胸の奥につかえた塊のような苦しみを思うと、辛くなります。
でも、そんなときでも、お母さんたちはご飯を作ります。モリモリ食べて、苦しみをうんこにして体の外に追い出してしまえ!という勢いで。台湾の1930~40年代を描いたホウ・シャオ・シェンの『非情城市』にもそんなシーンがありましたっけ。どんな時もモリモリ食べられる人、モリモリ食べる子どもを見て笑える人は、きっと生き抜けるのだと思います。台湾料理って、とくにそんな豪快さがどこかありますよね。
例えばこの映画によく出てくる豚足。印象的な使われ方をしています。豚の足にむしゃぶりつく図って、人が悩み苦しんでいる図柄とは180度イメージが違いますものね(笑)。
台湾は中華料理圏ですし、沖縄へと続く南西諸島文化圏ですから、豚はごちそうとして鼻の頭や耳先から爪先しっぽ(尻尾はどうかな)まで食べ尽くす文化です。何回も書いていますが、我が家が参加していた消費者自給農場運動「たまごの会」では豚も飼っていたので、一頭つぶすと、その頭や足先はまず加工部長である母のところにやってきます。初めて料理する頭や豚足をどうするか。試行錯誤、あの本この本、玄人向けの料理本とか料理学校の教科書とか、手に入る様々な本(父の仕事柄、調理師学校のPR映画を撮るために入手した本などがありました)をひっくり返しながら、洋風のパテにしてみたり中華風の煮物や蒸し物にしてみたりしていました。
その当時、中華街や焼き肉屋さんにいくと豚足料理はありましたが、それは家庭で作るものではなく、さらにそんなものを弁当に持って行った暁にはどんなことを言われるかもわからない時代でした。もっとも、母はそんなこと考えもしない人でしたが、幸いなことに(笑)たまごの会の頃には私は自分で弁当を作っていたので、一青姉妹のように同級生をぎょっとさせるようなお弁当は登場させないで済みました。
私は今、埼玉県の川口に住んでいるのですが、川口のスーパーでは当たり前に豚足売っています。時代は変わったなぁ…。ただし茹でて縦半分に切ったもの。辛い韓国風味噌のパックがついていて、六つ位の切り身が入ったパックになっています。下ゆでしてあるので、このまま食べてもいいですが、八角を入れて甘辛く煮つける(圧力鍋がなくても炊飯器で出来ます)とか、豆と一緒に煮てフィジョアーダやピエ・ド・コション風とか、細かいパン粉をつけてオーブン焼き、というのもオツです。たまに食べたくなるんですよね。
で、今、川口という町は外国人がたくさん住んでいる町(国籍も様々。アフリカからアジア各地域、みんなそろっているって感じです)で、もうひとつあるスーパーでは、冷凍の豚足やら豚の頭から骨を外した丸のまま開き(沖縄や東南アジア、台湾・中国の市場では見かけますね)冷凍なども売っています。もともとはプロ用のスーパーなのでしょうが、川口では在住外国人の皆さんの御用達のスーパーになっています。うちは三人家族なので食べきれないし冷蔵庫にも入らないので買えないのが残念なんですけれどね。そういえば、一青さんちにはなじみになった肉屋さんが豚足を届けてくれたりもしますが、冷蔵庫が女三人暮らしの割に大きいような気がしました。たっぷり作って冷凍していたのでしょうね、かづ枝さん。
そんなかづ枝さんのお葬式の後、家に帰ってきた一青姉妹が「何か食べよう」と言って冷凍庫からだし、湯気のたっぷり上がった蒸し器に入れたのはお母さんが作ったチマキでした。姉妹のどちらからともなく「大事に食べなきゃ」とポツリというのですが、ここで私の鼻の奥が、また、つぅぅん。亡くなった母の枕もとで、前の晩(母は突然死だったので)母が作って冷蔵庫に入れておいた魚の煮つけを取出し、「もう食べられないんだなぁ」と言いながら食べていた父を思い出しました。
『ママ、ごはんまだ?』はこんなぐあいにかづ枝さんが作るいろいろな台湾料理が登場する映画です。サン・セバスチャン国際映画祭のキュリナリー部門(ごはん映画部門、ですかね)に正式出品されてもいます。といっても、劇映画なので料理の手順をいちいち追っかけてはくれません。そこで、宣伝部は考えました。ネットで一般の人たちが自分たちのレシピを公開している「クックパッド」というサイトがあるのですが、そこと協力して、『ママ、ごはんまだ?』に出てくる料理のレシピを公開したのです。これで、一青さんちの台湾料理がうちでも作れちゃう、わけですね。のぞいてみてはいかがでしょう。チマキ・豚足・シジミ蒸し…。映画に出てきた料理が並びます。ちなみに監修は辻調理師学校。父がPR映画を作った学校です。と、いうことは、我が家のチマキや豚足の味は映画のと同じだったのかもしれません(笑)。サイトのアドレスはこちら。今晩、試してみましょうか。
https://cookpad.com/kitchen/15685470
●データ
監督 白羽耶仁
出演 木南晴夏、河合美智子、藤本 泉、呉朋奉、甲本雅裕
時間 117分
公開 2月11日より角川シネマ新宿 他
配給 アイエス・フィールド