『生き写しのプリマ』

今週は「生き写しのプリマ」と「ファインディング・ドリー」をご紹介しましょう。

まずは「ハンナ・アーレント」のマルガレーテ・フォン・トロッタ監督の新作「生き写しのプリマ」です。
 恵比寿ガーデンシネマ他全国順次公開の作品で、トロッタ監督の自伝的要素を含む作品です。
「ハンナ・アーレント」でハンナを演じていたバーバラ・スコヴァと、絶賛ヒット中の「帰ってきたヒトラー」のカッチャ・リーマンが共演しています。

 ゾフィは売れないジャズ歌手。副業のウエディング・コーディネーターで食いつないでいるけれど、自分自身は男運が悪いのか、結婚どころかロクな男と出会えません。裕福だけれど、どこか独善的で冷たい父とは一線を画した付き合い方をしているのも、ゾフィの付き合う男たちを片っ端からこき下ろすから、かもしれません。自分でもこの男ダメだと思いながら、父にこき下ろされるとムカッとして、手を切るタイミングを逸すること何回も。大好きだった母エヴェリンが一年前に亡くなってからは、さらに足が遠のいています。

 そんな父からいきなり呼び出され、しぶしぶ実家に足を運ぶゾフィ。父はネットのニュースページをゾフィに見せます。
 そこに写っていたのは、亡き母とうり二つの女性。年のころはゾフィよりもいくつか上でしょう。アメリカを中心に活躍する高名なオペラ歌手で、今度メトロポリタン・オペラに出演するということが、そのニュースには書いてありました。
 彼女の名前はカタリーナ。
 ゾフィは、どうしてもカタリーナのことを知りたいという父に押し切られ、しかたなくニューヨークに旅立ちます。
 オペラ公演の後、どうにか楽屋に入り込むゾフィでしたが、ろくに話もできず、その場を去ろうとしたとき、カタリーナのマネージャー・フィリップがカタリーナとの夕食にゾフィを誘ってくれます。とはいえ、いきなり話を切り出すには突拍子もない話ですし、自信満々で気まぐれ、スターとしての自負に満ち溢れたカタリーナにすっかり気後れしてしまったゾフィは結局何も聞くことができずに席を立ちます。

 父からはカタリーナを連れて来いという無理な要求を突き付けられ、けれどカタリーナに近づくすべもなく立ち尽くすゾフィ。そんな彼女にチャンスを作ってくれたのはフィリップでした。
 彼のとりなしでやっとカタリーナに会うことができたゾフィですが、カタリーナとそっくりな母の写真を見せても取りつく島のないカタリーナに気持ちがくじけてしまいそうになります。最後の希望としてカタリーナの母を訪ねるのですが…。

 家族の知らない過去を持っていた母。愛し合っているはずだったのに、母に復讐されると口走り怯える父。母の墓には誰が置いたかわからない花束が捧げられている…。
 いったい過去に何があったのか。父と母の間には愛があったのか。母に生き写しなカタリーナは何者なのか…。
 込み入った家族の事情、1950年代のドイツの事情、戦後社会の価値観の変化などが、真実を探すミステリーとからみあい、家族のドラマを描き出していきます。
 幸せとはなにか。家族とはなにか。結婚とはなにか。
そんな問いを投げかけながら、謎解きミステリー、ゾフィの自分探し物語にもなっている重層的な作品です。

画像: 『生きうつしのプリマ』予告編 youtu.be

『生きうつしのプリマ』予告編

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『ファインディング・ドリー』

次の作品はがらりと趣向を変えて、ピクサーのアニメーション「ファインディング・ドリー」です。

「ファインディング・ドリー」は「ファインディング・ニモ」の続編。「ニモ」は日本におけるピクサー・アニメの興行収入史上一位をキープしていますが、その「ニモ」に出てきたナンヨウハギのドリーが今回の主人公です。

今はディズニーに買収されて100%子会社になっているピクサーですが、もともとはルーカス・フィルムのコンピューター・グラフィック部門でした。それをスティーブ・ジョブスが買収して独立させピクサー社を作ったわけです。
ピクサーは1995年に「トイ・ストーリー」で初のフル3DCGアニメーションを製作、大ヒットさせます。2006年ディズニーの子会社となり、独自に企画・開発した、フル3DCGアニメーションを、ディズニー・ピクサーとして製作しています。

90年代からにディズニーと協力し始めたころは、ウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオはCGではない昔ながらのアニメーションを作り、ピクサーは3DCGでアニメーションを作る、という住み分けがありましたが、今では時代の変化によってディズニー・アニメーションもCGを使った作品を作るようになっています。例えば「アナと雪の女王」はディズニー・アニメーションの作品で、洋画アニメーションの興行収入一位を獲得しています。
つまり、「ニモ」はピクサー社作品の中で、興行収入ナンバーワン、ということですね。

 では、「ファインディング・ドリー」の話に戻りましょうか。
 カクレクマノミのマーリンとその息子ニモ。人間にさらわれてしまったニモを探しだし、取り戻すため、大冒険を繰り広げたのが「ファインディング・ニモ」でした。
マーリンのニモ探しの旅を助けたのがナンヨウハギのドリー。クジラ語が話せて、人間の文字が読める、という才能を持つドリーでしたが、一つだけ困った性格がありました。ものすごく、忘れっぽいのです。そんなドリーが今回の主人公です。

 ニモ救出大作戦から一年。オーストラリア・グレートバリアリーフでのんびりと暮らすマーリンとニモとドリー。ドリーの忘れん坊は相変わらずですが、ある日、アカエイの大移動に巻き込まれたドリーは何かを思い出します。
 その、なにか、とは、自分にも家族がいた、ということです。ニモにマーリンがいるように、自分にも家族がいたはずだという気持ちを押さえられなくなったドリーは、家族を探す旅に出ることを決意します。
 けれど、大変な忘れん坊の自分一人ではとても無理。そこでドリーは、マーリンとニモに手伝ってほしいと助けを求めます。
 もう冒険はこりごりなマーリンはあまり乗り気ではありませんでしたが、ニモが「今度は僕がドリーを助ける」と宣言。こうなればもう決まり。たった一つの手がかりは、ドリーが思い出した「カリフォルニア州 モロ・ベイの宝石」という言葉。
 でも、グレートバリアリーフからカリフォルニアまでは10000キロもあるのです…。
 はたして、ドリーは家族を見つけることができるのでしょうか?
二匹のカクレクマノミと一匹のナンヨウハギの大冒険が始まります。

「ファインディング・ニモ」は2003年の作品。当時はほぼ全編水の中で、魚が主人公という物語をどう3DCGアニメーション化するのかが注目の的でした。
 見て、びっくりしたものねー。そのリアル感、透明感、動きの滑らかさなど、へぇーへぇーコンピュータアニメってこんなことまで出来るのかぁぁ~、と感心しまくった覚えがあります。
 あれから13年。あれ以上にしなくったって十分だよねー、などと思って観に行ったら、いやー、すごい。技術的なことはあまりわからない私ですが、前作に増して、リアルなことや細かいところまで作りこんであることや、新しい技術でなければできないことをやっているキャラクターがいることに、ひたすら、驚きました。
 中でもミズタコのハンクというキャラクターは、色も形も自由自在に変えられるという設定で、ドリーたちの冒険になくてはならない役割を果たします。ミズタコの生態から考え付いたそのアイデアは、さすが、ピクサーとうなってしまいます。

 3DCGアニメだけでなく、デジタル技術を使った映像作品が現在の主流ですが、技術が高度になればなるほど、技術のための技術になりがちです。
その中でピクサーの作品は、あくまでもストーリーのために技術がある、という考え方を貫いていて、なによりもまずストーリーの開発に、知恵と時間とお金をかけているんですね。そこがいい。
 今回もストーリーは、どんどん、それはあり得ないだろ~という展開になっていくのですが、それが実に「ありそう~」な流れで見せられていくので、映画に入り込んでしまいます。

 さらに付け加えると、家族の愛とか、友情、成長という普遍的で大きなテーマとともに、「違っていてもいいんだよ、それが君のいいところなんだ」というメッセージも入っているんですよね。
例えば、ニモはむなびれが片方小さいし、ドリーは忘れん坊だし、マーリンは心配性で過保護、ハンクは海が怖い、ジンベイザメのディスティニーは近眼で、シロイルカのベイリーはシロイルカの特徴であるエコロケーションができなくなったと思っている、などなど、主なキャラクターが、皆、どこか自分は他のみんなと同じじゃなくてダメだと思っているところがあったりするんです。
でも、それをどこかで克服して、利用すらしてドリーたちの冒険を手助けするんですね。
みんな種類が違うけれど、協力できるよね、というのもメッセージのひとつかな。もちろん、それはストーリーやキャラクター設定の時からしっかりと考えて作られています。
アニメーションは主に子どもの観客が見る物だから、子どもたちに対して大事なことを伝えなくちゃ、という志をピクサーのアニメは持っていると思います。
もちろんひたすら楽しい作品なんですが、こんなこともちょっと考えつつ見ていただけると、感動も深まるのではないでしょうか。

画像: 『ファインディング・ドリー』 悶絶級の可愛さ!! “ベビー・ドリー” 最新予告 youtu.be

『ファインディング・ドリー』 悶絶級の可愛さ!! “ベビー・ドリー” 最新予告

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