松尾真吾という人がいた。
匿名性の世界なので世間では杉山登志さんぐらいしか知られていないが、CMの世界にも映画とおなじように「歴史的名匠」と呼ぶべきディレクターが、少なからずおられる。
松尾真吾さんもそのお一人。日本のテレビCM史に残る名CMディレクターである。
市川準さんや私の師匠である 岩本 力 大巨匠。その代表作は、いまも「イエイエ以後」の言葉で広告・CM業界で語り継がれるあの名作『レナウン・イエイエ』CMだが、電通の今村 昭さん(映画・文芸評論家の石上三登志さん)のご著書『アイ・ラブ・コマーシャル 体験的CM紳士録』にもあるように、これはもともと今村 昭さんと松尾真吾さんによる企画として進行していたもので、アニメーション部分の演出をまかされていた岩本 力さんが、松尾さんの途中降板を受け、すべての演出を引き受けて完成させたものである。そのような経緯があったため、記録によっては松尾さんによる演出となっているものも見受けられるが、演出は間違いなく岩本 力ディレクターである。
第2作も岩本さんが演出し、第3作は白組の島村達雄さんが演出されたのだが、その一方で、松尾さんは松尾さんで、トヨタ『山村聰と吉永小百合』やマックスファクター、ライオン『中原ひとみファミリー』やカルピスといった、イエイエとおなじようにあの70年代を彩った名作群を次々と世に放っていかれたのだった。
私たちが在籍していたCMプロダクション・キャップは、松尾さんが属しておられた電通映画社(当時)ときわめて近い関係にあったため、CM演出家をめざす者たちとして電通映画社の若きスター・松尾さんは常に気になる存在であり、自社の自慢のスター監督・岩本さんやもう一人の誇りである里見征武監督と並ぶよきライバル、トップランナー仲間のように思え、いずれも、とてもまぶしかった。
市川準さんなどは、ずば抜けた才能がありながら監督昇進の機会がまわってこない鬱屈した日々のなかで「君、松尾さんの新作、観たか? どう思う?」と私たちに訊ねるほど、つねづね松尾さんを注視していた。
松尾さんは、この70年代に始まった、日本独特の、いわゆる外タレCMの先駆けであり(レナウン・ダーバン、アラン・ドロン篇)、そのジャンルを牽引しつづけられた。持ち味である流麗な映像演出には大いに刺激を受け、私たち後続世代は多くを学ばせていただいた。
その松尾真吾監督は、いまから32年前、1984年の7月18日に、過労による突然死で、この世を去られた。絶頂期の49才のときである。私たちはキャップを飛び出して共同事務所を構えていた時期で、はげしいショックを受けた。杉山登志監督のご自死につぐ衝撃だった。いまあらためてご冥福をお祈りする次第である。
松尾真吾さんとそのような巡り合わせのあった『レナウン・イエイエ』CMの、岩本 力監督の手になる因縁の貴重な画コンテは、市川準さんがキャップを去る際に岩本さんから「これはお前が継げ」と贈られ、さらにその市川さんが、のちに私と訣別するときに「これは君が持っているべきだ」と私に託したのだった。そのようなわけで、その画コンテは、いま私の目の前にある。私の座右の書のひとつとなっている。
(7月18日・記)
『レナウン・イエイエ』CM
企画:今村 昭、松尾真吾
構成・演出・アニメーション・編集:岩本 力
旦(だん) 雄二 DAN Yuji
〇映画監督・シナリオライター
〇CMディレクター20年を経て現職
〇武蔵野美術大学卒(美術 デザイン)
〇城戸賞、ACC奨励賞、経産省HVC特別賞 受賞
〇日本映画監督協会会員(在籍25年)
〇映画『少年』『友よ、また逢おう』
〇CM『大阪ガス』(大竹しのぶ)『DHC』(神保美喜、細川直美、山川恵里佳、藤崎奈々子)『東洋シャッター』(笑福亭鶴瓶)『岩谷産業』(浜木綿子)『武田薬品』(杉浦直樹)『NEC』(三田寛子)『ソルマック』(渡辺文雄)『出光』(山下真司)『トクホン』(吉田日出子)『ポラロイド』(イッセー尾形)『河合塾』(三輪ひとみ)『カレーアイス』(南 利明)『ラーメンアイス』『富士通』『飯田のいい家』『ポッカレモン100』『ミニストップ』『佐鳴学院 SANARU』ほか
〇ドキュメンタリー『寺山修司は生きている』『烈〜津軽三味線師・高橋竹山』
〇ゲーム『バーチャルカメラマン』『バーチャフォトスタジオ』
〇アイドル・プロジェクト『レモンエンジェル』
〇脚本『安藤組外伝 群狼の系譜』細野辰興監督版(共作)
〇映画監督・旦(だん)雄二のブログ
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