テレビ『追悼 蜷川幸雄氏 NINAGAWAの言葉』を観た。蜷川さんゆかりの埼玉の地方局特番で、さすがといおうか、蜷川さんが晩年取り組まれた『さいたまゴールド・シアター』に地道に取材を重ねた貴重な記録映像が多々織り込まれていて、とても意義深いものだった。再放送や、ほかの地方局での提携放送によって、より多くのかたがこれをご覧になることを願うものである。

蜷川さんの舞台に出会ったのは、自分が演劇青年でもあったころの1971年のこと。前年までの「騒乱」の気配を残していまだ熱い新宿の、最大の名物ともいうべきアート系映画館においてだった。

『鴉(からす)よ、おれたちは弾丸(たま)をこめる』(作=清水邦夫 / 現代人劇場 / ATGアートシアター新宿文化劇場)

この舞台の衝撃をいったいどのような言葉で言い表せばいいのだろうか?

劇場での公演でありながら、プロセニアム・アーチの向こう側で演じられる「お芝居」をこちらの観客席で特権的に安全に拝見させていただくという体ではなく、暴力的なまでに観客を巻き込み、徹底的に挑発を繰り返す、そのため観客はいつの間にか劇の登場人物そのものになっている、そんな、おそろしく生々しい、革新的な舞台だった。

まるで演劇そのもののありようを根底から問い返し、解体、革命しようとするかのような凄まじい勢いだった。

たいへんな演出家が誕生したものだ──。そう思った。もちろん、そのころおなじように演劇を革命しようとしていた黒テントや状況劇場などからも強い刺激をいただいてはいたが、「演出の力」というものを激しく見せつけてくれたのは、この蜷川さんが最初だった。

ダイナミックでエネルギッシュな舞台展開、高度に様式化された世界観と造形美、動的で美的でエキサイティングな群像さばき──。

観終わって、なにか大きな社会的事件に遭遇したような思いで、ただ茫然と新宿駅に向かったことが、いまも鮮烈に脳裏によみがえる。

清水邦夫さんの戯曲も素晴らしいものだったが、ではこのパワーは100%その清水さんの台本の力によるものかといえば、おなじ清水さん作の、前年1970年に観た『あなた自身のためのレッスン』(演出=西木一夫 / 主演=原田芳雄 / 俳優座)などは、もちろんこれはこれで名作なわけだけれども、上述したような、まるで舞台から飛び出してくるかのごとき破壊的パワーは、まったく別の劇とはいえ、失礼ながら感じられずにいた。だから、それほど、この蜷川幸雄という演出家の登場は、わたしにとっては衝撃的だったわけである。

つづく翌年1972年の『ぼくらが非情の大河をくだる時』(作=清水邦夫 / 桜社 / ATG新宿文化劇場)、1973年『盲導犬』(作=唐十郎 / 桜社 / ATG新宿文化)、同年、現代人劇場〜桜社の最後の公演となった『泣かないのか?泣かないのか1973年のために?』(作=清水邦夫 / 桜社 / ATG新宿文化)も、いずれも凄まじく、そしてまた素晴らしいものだった。

世間的にはまだ無名の蟹江敬三、石橋蓮司ほか底力を持った役者たちとともに蜷川さんが立て続けに世に放った驚きの舞台は、その後の日本の芸術芸能文化、なかでもカウンター・カルチャーの起点となった。

しかしご自身は、そのあと、いわゆる商業演劇に進出され、ほかでもない自らが、カウンター・カルチャーとは対極の、メイン・カルチャー、メジャー・カルチャーの頂点に駆け上がることとなる。

それに反発したわけではないが、ここからの蜷川さんの芝居、とくに1980年代なかばあたりからの年間10公演以上にもおよぶ厖大な作品群には、いま振り返って自分でも驚くほど、接してはいない。あまりに上演を連発なさるものだから、慌てなくてもいつでも拝見できる、そう思っていたのだろうか。

1973〜74年に蜷川さんが商業演劇に移られてから拝見にうかがった舞台といえば、いま観劇メモを見返してみても、1975年の『唐版・瀧の白糸』(作=唐十郎 / 主演=沢田研二 / 花の社交界 / 大映東京撮影所)、1979年『近松心中物語』(作=秋元松代 / 東宝 / 帝国劇場)、1980年『元禄港歌』(作=秋元松代 / 東宝 / 帝国劇場)、1981年『下谷万年町物語』(作=唐十郎 / パルコ / 西武劇場)(以上、いずれも初演)と、1969年の初演を観逃して以来、じつに32年ぶりにようやくめぐりあうことができた、わたしにとっては、いや世間的にも伝説の舞台である『真情あふるる軽薄さ』(作=清水邦夫 / シアターコクーン/ 2001年・再演版)しかない。

唐十郎さんや清水邦夫さん、そして、彼らにもつながる、新劇の秋元松代さん。これらの皆さんの戯曲のものばかりを追いかけていたということは、やはりわたしは、蜷川さんの初期の芝居のありよう、取り組みに、つよく心惹かれていたのだろうか。

とくに、最後に「飛んで観にいった」のが蜷川演劇の原点中の原点『真情あふるる軽薄さ』である点を見れば、やはり自分は、蜷川さんの演出家としての始動期の、ラジカルで反権力的な、カウンター・カルチャーとしての演劇の創造に、深く心酔していたのかもしれない。(のちの蜷川さんがラジカルではなく反権力的でもない、という意味ではない)

しかし、蜷川さんの晩年の、シェークスピアや寺山修司、井上ひさしへの精力的なお取り組みに接しなかったことが、いまになって悔やまれる。蜷川さんの演出にもとづく再演の機会が今後あれば、ぜひとも拝見してみたいものだ。

『追悼 蜷川幸雄氏 NINAGAWAの言葉』
6月12日(日) テレビ埼玉にて放映

旦(だん) 雄二 DAN Yuji
〇映画監督・シナリオライター
〇CMディレクター20年を経て現職
〇武蔵野美術大学卒(美術 デザイン)
〇城戸賞、ACC奨励賞、経産省HVC特別賞 受賞
〇日本映画監督協会会員(在籍25年)
〇映画『少年』『友よ、また逢おう』
〇CM『大阪ガス』(大竹しのぶ)『DHC』(神保美喜、細川直美、山川恵里佳、藤崎奈々子)『東洋シャッター』(笑福亭鶴瓶)『岩谷産業』(浜木綿子)『武田薬品』(杉浦直樹)『NEC』(三田寛子)『ソルマック』(渡辺文雄)『出光』(山下真司)『トクホン』(吉田日出子)『ポラロイド』(イッセー尾形)『河合塾』(三輪ひとみ)『カレーアイス』(南 利明)『ラーメンアイス』『富士通』『飯田のいい家』『ポッカレモン100』『ミニストップ』『佐鳴学院 SANARU』ほか
〇ドキュメンタリー『寺山修司は生きている』『烈〜津軽三味線師・高橋竹山』
〇ゲーム『バーチャルカメラマン』『バーチャフォトスタジオ』
〇アイドル・プロジェクト『レモンエンジェル』
〇脚本『安藤組外伝 群狼の系譜』細野辰興監督版(共作)
〇映画監督・旦(だん)雄二のブログ
http://s.ameblo.jp/danchan55/

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