"彼(K・キェシロフスキ)が今いるのは言ってみれば
人生の待合室のようなところね
自分の人生の中である時点にいる
そこで周りを見て生涯求めてきた何かを探し続けている"
_サイコセラピスト、ドキュメンタリー映画「I'm So-So」(1995)より

クシシュトフ・キェシロフスキの短い思ひ出といえば、映画「ふたりのベロニカ」の日本での衝撃的な公開でその存在を知って、続くトリコロール3部作を担当番組で特集を組んだことくらいだった。

どんな監督なのか、「アマチュア」、「デカローグ」といった、当時まだ少ない限定公開作品を通してからしか、知る手立てはなかった。

その後、それほどの時を経ない内にあっけない死の知らせが届いた。自分の体感上、その死の訪れは、タルコフスキー並みの速さ。

"ぼくにとって未来は暗黒だ
ぼくに怖いものがあるとすれば、
それは未来だ"
_ K・キェシロフスキ 、ドキュメンタリー映画「I'm So-So」(1995)より

名前を覚える間もなく、担当番組のナレーターは、その名前を何度も何度も噛み続け、確か、その年の番組内NG大賞の一つになるくらいだった。クシシュトフ・キェシロフスキというフルネーム、とても発声し辛い。でも、そのお陰で名前を覚えさせてもらった。

とはいえ、故人となったから、その後、キェシロフスキの名前は、忘却の彼方だった。

その後、ヴェネチア国際映画祭へ行った際、キェシロフスキがダンテの神曲の3章をベースに3本の映画脚本を書いた遺稿があることを知った。「ヴェニスに死す」に登場するホテル、Hotel des Bainでその脚本の天国篇「ヘヴン」を監督したトム・ティクヴァにインタビューした。まだ若いのに難解な受け答えをする青年であった。

ぼくは、正直なところ、彼の小難しい話でキェシロフスキのことが、またよく分からなくなった。ティクヴァの初期の作品、「ラン・ローラ・ラン」の映像話法は、キェシロフスキの映画「偶然」などの手法に似ているので、尊敬しているのだということはよく分かる。

神曲の地獄篇を「ノーマンズ・ランド」のタノビッチが撮り、監督がキェシロフスキでないと、作品の趣は大分、変わるのだということがよく分かった。

はたして、噂が全く聞こえてこない神曲・煉獄篇は、映像化されるのか?

その後、また数年が経ち、国内の若手作家を多く輩出する映画祭の中の人となっていた友人から"好きな映画監督は?"という応募作家からのアンケート結果は、ほとんど"キェシロフスキ一色"なのだという話を聞いた。

トリコロール以降、新作があるわけはないし、劇映画作家としては、寡作の人だったので、意外だけど、日本のゼロ年代ちょっと前の時代生まれの人達からすると、彼の映画は人生における一つの真理を突いているのかもしれないなと、ぼんやりとその時は思った。

何故、キェシロフスキは、プロフェッショナル、アマチュア問わず、シネフィルから愛されるのか?

"ぼくの望むもの?
それは平穏だ
得られなくても求めることに意義がある"
_ K・キェシロフスキ 、ドキュメンタリー映画「I'm So-So」(1995)より

自身のプライベートに関しては、堅く口を閉ざし、作品やキェシロフスキに関しての数本のドキュメンタリーや本を通してからしか、彼の人となりの糸口は掴めない。

"皆 長い付き合いだ
だからこそ 君らには おそらく
他人と話すより 多くを語れる
個人的なことも話せるからね
ただ それには問題もある
君らが答えを全てお見通しだということだ
だから わざと予想に反した答えをするかも
嘘をついてでもね"
_ K・キェシロフスキ 、ドキュメンタリー映画「I'm So-So」(1995)より

キェシロフスキが他界する1996年の一年前に製作された彼へのインタビューで綴られるドキュメンタリー映画「I'm So-So」は、長年の助監督であったクシシュトフ・ヴィェジビツキの監督作。キェシロフスキととても親しげにインタビューをしている。

全体的な構成を見ると実のところ、本当の監督は、キェシロフスキ自身で、確信犯のヤラセなのではないかというくらい白々しく、チャプターごとにデイリーで御機嫌よう!といった挨拶から始まり、撮影しているていなのだ。

撮影のヤツェクも録音係のミショもかつて、ドキュメンタリーや劇映画で一緒にやってきた仲間たち。途中で挿入されるヴィェジビツキとキェシロフスキの楽しげなピンポンゲーム(卓球)を見ていると父親を結核で亡くしているので、遺伝的な身体の弱さはあったのだろうけど、自らの死期がこんなに近くまで迫ってきているとは思ってはいなかったのかもしれない。

子供の頃、キェシロフスキは、ボイラーマンになりたかった。そして、高校に上がり、そこで人生には、実用的なものを作る以外、胃袋満たすこと、寝ること、基本的な欲求を満たすことだけでなく何か別の精神の糧とでも言えるような栄養をもたらす領域もあると感じて、自分の進路を考えたそうだ。

どうせ大学へ行くのならば、演劇学校へ進みたいと....、だが、演劇学校へは、大卒でないと入れないので、演出という点では似た映画の勉強をすることを選んだ。それでその後の映画への道が開けた。が、2回も受験に失敗して、3回目で意地で落とした奴らを見返すために合格したのだそうだ。

"指標のない世界で生きるのはとても難しい
アイデンティティがないのと同じだ
自分を取り巻くすべてのこと
問題や心配ごとそして 苦しみなどが
どこにも映し出されていないからだ
すべて自分だけの問題になる
何も名付けられていないから
支えや判断の根拠が何もなくなってしまう"
_ K.・キェシロフスキ 、ドキュメンタリー映画「I'm So-So」(1995)より

大学を出てはみたけれど、劇映画を作る前にドキュメンタリー映画を作らなければなかなかった。そうしたステップを踏んでいかないと描きたい世界へは到達できない共産主義の世界に生きていたからだ。映画「アマチュア」にそのステップアップしてゆく様子が描かれていて、非常に興味深い。映画監督として、チャンスを得て、真のまなざしが慧眼してゆくまでを描ききっている。これはキェシロフスキ、彼自身のことに相違ない。

共産主義の世界は、検閲はあったが、映像は、政府のプロパガンダとして、必要とされていたので、作品を作る自由はあったようだ。検閲さえ通せば、"工場"がテーマの地味な作品にも自分の込めた思いを刷り込むことが可能だった。

閉じられた世界なりの自由なのだろうが、自由主義の世界で映画を作るのよりも量産する機会は与えられていたようだ。共産主義の世界の方が自分には水が合っているというようなことを後にインタビューでキェシロフスキは、語っている。

"(ポーランドの)世界はプロパガンダで描かれていた
それは理論的には美しかった
でも 実際には、銃で脅すんだ"
_ K.・キェシロフスキ 、ドキュメンタリー映画「I'm So-So」(1995)より

生粋のドキュメンタリー映画から、ドキュメンタリー色の強い劇映画を撮り始めるキェシロフスキ、舞台は、ポーランド社会でプライベートな部分を除いた人間ドラマな部分は、真にドキュメンタリストの真骨頂、まるでそこだけドキュメント映像を切り出してきたかのようなリアルな人物像を演出している。

カメラを通して映像を撮るという行為の意味合いを考えさせる自己を見つめ直したかのような傑作「アマチュア」や、やがて「ふたりのベロニカ」へと繋がってゆく「偶然」のようなファンタジックなコンセプチュアル作品を生み出してゆく。

そして、衝撃的な劇映画「ふたりのベロニカ」の登場で、広く世界の映画ファンに知られる存在となる。ファンタジックな着想をすることでベタベタな共産主義社会のドキュメント色からの離脱を図る。

「ふたりのベロニカ」でうり二つのふたりの女性の別々の人生を演じるのは、イレーヌ・ジャコブ、可憐で容姿も美しく、とても清楚な印象の女優だが、この役を演じる前は、ルイ・マル監督の「さよなら子供たち」のピアノ教師役で出た程度の演技経験だった。

おそらくキェシロフスキは、イレーヌ・ジャコブを女優として、人として、見初めたのだと思う。彼女とのオーディションを兼ねたインタビューで、特筆すべき点、そして、足りていない部分をキェシロフスキは、イレーヌに伝えたという。

久しぶりに「ふたりのベロニカ」を見直すと、イレーヌのモデルのようなスタイルの良さと類い希な清廉な顔立ちは、映画的な永遠の時を感じさせてくれる。特に何度も見せてくれる横顔=プロファイル・ショットが、ことのほか美しい。「赤の愛」の大きなポスター・ビジュアルのあの横顔に繋がる美。

もしかしたら、キェシロフスキにとっては、彼女に出会えたことが、何よりも一番の人生の収穫だったのかもしれない....、などとつい妄想してしまう。きっと、そんな邂逅だったのだろう。

キェシロフスキの持病の心臓病という病をポーランドのベロニカも持つというキャラ設定にしたことでも何となくその思いは伝わってくる。ポーランドのベロニカは、もう一人のフランスのベロニカをほんの一瞬、見かけることで、その後、心臓発作で突然、他界する。

世界には自分にそっくりのもう一人の見知らぬ自分=コピー=ドッペルがいるのかもしれない。このことを、霊的な生き写し、"ドッペルゲンガー"と呼ぶ。

その影のようなものは、自分自身と関係する場所に現れることがあり、もしも、もう一人の自分=ドッペルゲンガーを見てしまったら、しばらくすると死ぬという怖ろしい言い伝えがある。

日本では、芥川龍之介が、自身のドッペルゲンガーを見たとされ、短編小説「二つの手紙」でこの超常現象を題材にしている。

Question: "この世での行いが悪い者には、あの世で罰が下るということを信じるかい?"

"そもそもあの世はあるのか?
これは美しい謎だ
誰にも解明できない
謎のままでいいと思う"
_ K.・キェシロフスキ 、ドキュメンタリー映画「I'm So-So」(1995)より

キェシロフスキは、、フランスに招聘され、3色のフランス国旗の色になぞられたテーマの映画「トリコロール」3部作を監督する。

ぼくは、この3部作の公開時、担当番組で勿論、特集も組んだのだが、内心.... 三色旗のトリコロールに見立てて、3人の女が織りなす恋愛人生譚なんて、冗談だろ、キェシロフスキにしては、妙にチャラいだろって、ずっと心の奥で引っかかっていた。

Question: "西側諸国へ映画を撮影に行って, 何が一番困った?"

"映画を撮るかどうかにかかわらず
外国ではいつもよそ者の気がする
気分が悪くなり 直ぐに帰りたいと思う"
_ K.・キェシロフスキ 、ドキュメンタリー映画「I'm So-So」(1995)より

「トリコロール」3部作では、共産主義下での社会情勢は、「白の愛」で描くだけで、切り捨て、個人のプライベートを活写していく。一見、ドキュメンタリー映像スタイルだが、それぞれのストーリーの物語構造やディテイルは、ファンタジック。

「青の愛」のあのジュリエット・ビノシュが飲む珈琲の角砂糖に茶色い珈琲が染み渡るあの時間の流れ、あの染み渡り方は、短くても長くてもダメなんだそうだ。絶対にあの時間でないとならない、とキェシロフスキは、力説する。まるでタルコフスキーが「ストーカー」の水のイメージに込めた想念にも似ている。

「白の愛」のジュリー・デルピーの牢獄の窓からの手話、あれにもキチンとした言葉の意味がある。それを理解した主人公は、心から涙する。

しかし、青も白も素晴らしい出来の作品だが、そのどちらの色も付け足しの偽色なのではないのだろうか? おそらく最初から作りたかったのは、共産主義の赤であり、血の色であり、そして、愛の色、「赤の愛」一択だったのではないのだろうか? トリコロールという3つを結びつけるコンセプトは、一種のカムフラージュなのかもしれない。

ドキュメンタリー映画の最後のチャプターは、「赤の愛」のみについて語るだけで、青も白も他の愛のことには一切、触れられていない。イレーヌ・ジャコブが主演し、奇しくも遺作となった本作には特別な思いが込められているのだろう。ぼくには、ジャン=ルイ・トランティニャンがニュアンスたっぷりに重めに演じる元判事は、監督自身の写し絵のように思えてならない。

この映画(「赤の愛」)に限っては
多様な解釈がありうる
君自身の解釈は?
どんな解釈でも受けれるよ
それがぼくのやり方だ
解釈の可能性を求めて
ご自由にと観客に委ねる
_ K.・キェシロフスキ 、ドキュメンタリー映画「I'm So-So」(1995)より

自分のドッペルゲンガーを観た者は近い将来、死ぬという言い伝え通り、ベロニカがもう一人の自分を見て亡くなったようにキェシロフスキ自身も持病の心臓病の発作で、突然、この世からいなくなる。彼は、自身の影を何処かで見かけたのかもしれない。

イレーヌが師と仰いだ彼の突然の死で、彼女は、最も美しく的確に描いてくれる大事な絵描きを失ってしまった。

以降のイレーヌ・ジャコブの俳優としての控えめなキャリアを見ると、きっとあの2本の大切な思い出と共にこの20年を過ごしてきたのではないのだろうか。

Question: "今後の予定は?"

今のところ 特にない
ベンチに座ったり
ぐっすり眠る
風呂なら朝風呂に入る
映画のことは気にせずにね
気持ちいいよ
_ K.・キェシロフスキ 、ドキュメンタリー映画「I'm So-So」(1995)より

キェシロフスキは、生前、公の場でプライベートを話すことはほとんどなかった。結婚相手は、映画を学んでいた大学で知り合った女性、マリーシャと生涯、亡くなるまで一緒であった。

ぼくは、誰か?
今は単に元映画監督と答えるだろうね
_ K.・キェシロフスキ 、ドキュメンタリー映画「I'm So-So」(1995)より

クシシュトフ・キェシロフスキ没後20年
特別上映 キェシロフスキのまなざし / Krzysztof Kieslowski Retrospective

2016年 7/9(土)~7/22(金)
渋谷Bunkamura ル・シネマ

画像: Bunkamuraル・シネマ7/9(土)~7/22(金)「没後20年 特別上映クシシュトフ・キェシロフスキ監督特集」 www.youtube.com

Bunkamuraル・シネマ7/9(土)~7/22(金)「没後20年 特別上映クシシュトフ・キェシロフスキ監督特集」

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