「申相玉・崔銀姫の拉致を指示」金正日の肉声にショック!
「映画よりも映画のような内容」「まるでスパイスリラーのようなドキュメンタリー」
2016年、サンダンス映画祭で話題になっていた、北朝鮮に拉致されてから8年後に脱出した申相玉(シン・サンオク)監督と彼の妻で女優の崔銀姫(チェ・ウンヒ)氏の物語を描いたドキュメンタリー『The Lovers And The Despot』の海外予告編が解禁された。
この作品は、“Three Miles North of Molkom”(2008)が話題になったRobert Cannanと初監督となるRoss Adamの二人の英国の監督によって製作されている。
主人公となるシン・サンオク(申相玉)(1926-2006)は、韓国の映画界で監督デビューし、当時、大スターだった映画女優のチェ・ウニ(崔銀姫)と結婚するが、その後、離婚。
そんな2人の運命が大きく変わっていくのは、1978年。香港に来ていたチェ・ウニが北朝鮮によって拉致され、続いて、彼女を探したシン・サンオク監督も拉致される。2人の拉致を指示したのは映画狂として知られる金正日だった。
2人のことは、対外的には、自発的亡命と説明された。どこにも逃げられない状況での、拷問と投獄と監視のなか2人の愛は再熱する。
こんな状況下の中で、指示に従い映画製作が続けられ、1986年、映画祭に出席のためウィーンに滞在していた2人は、アメリカ大使館に飛び込み、本当の「亡命」を求めた。2人が北朝鮮に拉致されて、映画製作をさせられていたことは、その時になってようやく明らかにされた。
(余談だが、この亡命には日本人記者が手伝ったという話がある)
ドキュメンタリーでは膨大な量のインタビューから1978年の拉致から86年の脱出までの転末を暴いている。中でも金正日(キム・ジョンイル)総書記が拉致に言及する肉声が録音テープを通じて公開され、「私が2人を我々の方へ渡ってくるようにせよと指示した」「我々も葬式のようにいつも泣いている映画ではなく、国際的映画祭に出て行くほどの映画をつくらなければならないのではないか」と話す内容など、金正日が、映画の内容について議論しているところなど、今までベールに包まれていた、レアなアーカイブ映像が使われている。
ドキュメンタリーでは、崔銀姫氏はこの録音テープに対して「後で韓国に戻ることになれば誰も私たちの話を信じないだろうし証拠が必要だという申監督の言葉を聞いて、カバンの中に録音機を入れてこっそり録音した内容」と明らかにした。
両監督は「かなり前にこの信じがたい事件について聞いた時から映画としてつくりたかった。取材をしながらまだ多くの真実が隠されているという事実に驚いた」と話し「崔銀姫氏と家族を説得するのに2年かかった」「まだすべてのことが嘘だと考える人々がいる以上、できうる限り偏見を持たずに正しく真実を話すと説得して家族の心を動かした」と付け加えた。
申相玉略歴
日本統治下にあった、咸鏡北道清津出身。京城中学校を卒業後に渡日、東京美術学校(現:東京芸術大学)に学んでいる。(そのため、日本語も堪能で大の親日家だった。)1952年に 16mm 映画『悪夜』で本格的な映画監督デビューを飾る。 映画女優で韓国の大スターだった崔銀姫(최은희、チェ・ウニ)と1953年に結婚、2男2女をもうけたが、1976年に離婚した。
1978年香港で北朝鮮によって崔銀姫が拉致された後、彼自身も拉致された。ただし事件当時北朝鮮側は自発的な亡命と発表した。1983年には崔銀姫と再婚している。彼が北朝鮮で“申フィルム”映画撮影所総長を引き受けながら『帰らざる密使』、『プルガサリ』などの製作に携わったため、自発的亡命説は一般に信じられた。しかし1986年3月13日、オーストリアのウィーン滞在中に崔銀姫とともにアメリカ大使館に亡命し[3]、北朝鮮へはもともと自発的亡命ではなく拉致だったと語った。また、2度逃亡を図ろうとして逮捕され、強制収容所に入れられたことも明かしている。1987年には北朝鮮の体験を記した著書『闇からの谺』を上梓した。同書によれば、二人を拉致するよう指示したのは当時朝鮮労働党宣伝部長を務めていた金正日である。
その後はアメリカ合衆国に居を移した。1994年にはカンヌ国際映画祭審査委員を務め、2000年にアメリカから韓国に帰国したが、2006年にソウル大学校病院で死去した。79歳。
他に、金賢姫(キム・ヒョンヒ)を主人公に大韓航空機爆破事件を描いた映画『政治犯・金賢姫/真由美』(1990年)などを監督している。