春先に10数年ぶりに好きな映画「甘い生活」を観た。
奇怪な深海魚が打ち上げられてる浜辺のシーンばかりが脳裏に焼き付いていて、ラストの海辺の洲の対岸に佇む見知らぬ少女が無邪気に何か主人公に叫んでいるけど、彼にはそのイノセンスな声は、打ち寄せる波の音でかき消されて全く届かないという皮肉なラストシーンのことは忘れていた。
マストロヤンニ演じる流行小説家になりたかったけれど、結局、道化のように見える芸能記者にしかなれなかった男、マルチェロの天の邪鬼でラビッシュなローマの日々を全否定するような一種の夢落ち的な終焉。
パパラッチという芸能専門のカメラマンへの侮蔑を込めた称号も本作がルーツで元祖のようなカメラマンも登場し、毎日がお祭り騒ぎの生活を2時間以上観ていると実はこれはファンタジーなのかもしれないと考え始める。
浮き世離れした狂騒の日々の果て、シュールにリアリティをシレッと見せるフェリーニ、巧いな!と改めて。
先日、フェリーニのドキュメンタリーを観る機会があり、マストロヤンニとアニタ・エクバーグが真夜中にトレビィの泉を下半身が水に浸かりながら散歩するこの映画で最も美しいと云われているシーンのメイキングを拝んだ。
マストロヤンニは、次から次へと気まぐれに台詞を変えるフェリーニの為すがままに演じて、この映画「甘い生活」が世界的な成功を収めてフェリーニの代表作となり、映画の中では、何処へも行くことが叶わなかったマルチェロを演じたマストロヤンニ自身は、本作がキッカケで世界的な俳優となった。
特に理由はないけれど、気分はイタリアづいてるので、ゴールデンウィークなのだから映画を観に行こうと思い、友人と渋谷のBunkamuraで上映していた「グランドフィナーレ」を観てきた。
パオロ・ソレンティーノ監督の映画は、今まで観たことがなかった。
「グレート・ビューティー / 追憶のローマ」は、試写で見逃して、そのままになっていて、この監督のことは、とりあえずスルーを決め込んでいた。
「グランドフィナーレ」を見終わって、この映画は、いくつになっても人は、自らの人生を先送りするという話だなと感じた。
80歳を迎えて、老い先が短くなっても、それでも尚、この登場人物たちのようにスイス山中のゴージャスな保養地のホテルで短期の隠遁を決め込んで、瞑想しているような躊躇しているような、要は、閉じられた世界で人生の先送りをする。
映画の後半、迷っていることや謎やトラブル、様々に、そしてジワジワとドラマが滑り出して、全てが一気に解けてゆく。
ソレンティーノの「グレート・ビューティー」は、現代版「甘い生活」と云われている。「グランドフィナーレ」のような映像言語とレシピで作られた映画を観るとそれは容易に想像がつく。
ソレンティーノは、その映像スタイルからフェリーニからの影響が色濃いと云われているけれど、当人は、ミケランジェロ・アントニオーニとマーティン・スコセッシのことをリスペクトしていると答えている。
本作は、イタリアのネオリアリズモ映画の名匠、故フランチェスコ・ロージ監督に捧げるとエンドロールに刻印されている。
ソレンティーノにとって、同じナポリ生まれで、アカデミー賞外国語映画賞にも輝き、カンヌ、ヴェネチア、ベルリンの世界3大映画祭をも制したロージは、メンターであったようだ。
ソレンティーノが、父親以上に歳の差があるロージと彼の80代の親友と食事をした時のこと、古くからの女性の友人のことで二人が口論しているのを目の当たりにして、それを本作の骨子の一つとして、拝借したそうだ。
マイケル・ケイン演じる主人公のクラシックの作曲家、フレッドとハーヴェイ・カイテル演じる親友の映画監督、ミックの友情は、そうして生まれた。
ニューヨーク、ブルックリン育ちのカイテルにとって、友だちは、命をも救ってくれたような大切なものだったらしく、友情がテーマでもある本作に出演したことにいたく感動していたようだ。
そして、本作を製作中、ロージは、92歳で他界した。ハーヴェイ・カイテル演じる映画監督のミックは、日本人には、あまり馴染みのない映画監督、ロージがモデルなのか?とエンドロールを見て、誰もが思い込むハズだ、だが、ミックは、主人公でもないのに何故?ロージに捧ぐのか?解せなかった。
「映画監督って、こんなことするものなの?」と隣で観ている友人に訊かれた素朴なギモン、映画ギークのような青年達をゾロゾロと引き連れて、スイスの山中のゴージャスなホテルで新作映画の脚本のブレストを延々とするフィルムスクールの教授のようなちょっと天然入ってる映画聖人な雰囲気の老獪ミックは、マーティン・スコセッシの方が似ているのかもしれないなと後になって推理した。
カイテルは、初期のスコセッシ組にもいたので、そういう巡り合わせのキャスティングなのかもな?と、自分の中では勝手に腑に落ちている。
スイス山中にある隔絶された豪勢なホテルで仮初めの隠遁生活を続けるマイケル・ケイン演じる主人公フレッド、彼の元に昔、作った幻の楽曲「シンプル・ソング#3」を是非、英国王室フィリップ殿下の誕生日のために演奏、指揮して欲しいとエリザベス女王からの特使が訪れる。
ある理由から女王陛下からのお願いだろうが、もう二度と演奏できないと断り続けるフレッド。
ラスト近くで演奏できない個人的な理由が明かされるまで、質感や色合いの素晴らしい衣裳、サントラがあれば、絶対手に入れたいと思った時折、ハッとするようにかかる上等でセンスのよい音楽、撮影のルカ・ビガッツィによる視覚的に喚起されるシネマトグラフィ、絵画的な景色、台詞、様々な人々と触れ合いながら、ゆるやかに時間は、過ぎて行く。
本編に登場する主要な人物達は、眼鏡、サングラスなどのアイウェアをかけているシーンが多い、
プロダクト・プレイスメントでタイアップしてるのかな?というくらいひとりのキャラクターがいくつものサングラスを日替わりでかけたりする。
しばらく考えて、これはソレンティーノの意図的な演出なのだなと思うに至った。
眼鏡は顔の一部です、とは、昔の日本のTV-CMの謳い文句だったが、まさにこのことで、画面構成の中で大きな部位を占める眼鏡、サングラスをかけることで、視覚的な気持ちを拡張させ、心の有り様を明確にしている。
真実を見つめる眼差し、未来への展望、本当は問題に直面したくない、真実を隠したい、そんな各キャラクターのデリケートで複雑な心の風景を強調する効果があると思う。
以下、実際に手に入れることができる各キャストがかけていたクールなアイウェアたち。
マイケル・ケイン着用のウォーバイ・パーカー・サリバンの眼鏡
ポール・ダノ着用のアルマーニ・スクエア・サングラス
ハーヴェイ・カイテル着用のポロ・ラルフ・ローレン・トートス・シェル・サングラス
ジェーン・フォンダ着用のステラ・マッカートニー・キャット・アイ・サングラス
スイス山中のゴージャスなスパでの人生の先送りの日々は、ある日、突然、動き出す。マイケル・ケイン演じるフレッドは、意を決して、音楽家として生活をしていた土地、イタリア、ヴェネチアへ飛ぶ。
それまでの間、物語の中で、度々、出てくる名前。それは、ロシアの作曲家イーゴリ・ストラヴィンスキー.... これはブロットなのか?単なる台詞でしかないのか?とその名が口から出てくる度に考えた。
ほんの数カットの積み重ねでフレッドがヴェネチアへ到着したことを物語は伝え、3カット目ほどで、ヴェネチアに浮かぶ墓場の島、サン・ミケーレ島にフレッドは立っていた。
埋葬する墓場の島なので、度々、水没するほど水位の低いヴェネチアよりも奇妙に高く盛られた城塞のような小さな島なのだ。
サン・ミケーレ島は、墓と教会しかない世界でも珍しい墓場の島
自分は、以前、ヴェネチア国際映画祭のテレビ番組製作で何度か訪れた際、どうしても撮りたい故人の墓があり、この島へカメラを入れた。
学生の頃にシネマスクエア東急で観たニコラス・ローグの映画「赤い影」の中で、ヴェネチアで客死した登場人物を船で運ぶ特異な葬儀のシーンがあり、ヴェネチアで人が亡くなるとどこに埋葬されるのか、ずっと気にかけてきた。
隣にいる友人に「ヴェネチアで客死したストラヴィンスキーの墓参りだよ、きっと.... あー、でも、解らないな、もしかしたら.... 」と耳打ちした。
フレッドがヴェネチアを訪れた真の理由は、なんだったのか?
映画の冒頭では、ヴェネチアのサンマルコ広場におそらく簡易のプールを作り、水を張って、フレッドがまるで水の上を歩いているかのような非常に凝った幻想的で厳かな演奏シーンを見せてくれる。
イタリア人が考える老いと死をアートに昇華させた映画「グランドフィナーレ」は、20代の方々には、少々、敷居が高いのかもしれないが、劇中、30代のポール・ダノ演じる青年が、スパでの出来事の数々を見つめ続けて、彼も役者として、一皮むけるように、きっと若者が観ることでソレンティーノが思い巡らせたことが、美しく完成するのだと思う。
本作は、現在、全国の映画館で公開中、もしくはこれから公開が始まる館もある。スケジュールは、オフィシャル・サイトでチェックしてみてください。都内で2本立ての劇場公開が始まったら、またリピートしたいカルトな一本。
映画「グランドフィナーレ」全国順次公開!
監督:パオロ・ソレンティーノ
出演:マイケル・ケイン、ハーヴェイ・カイテル、ポール・ダノ、レイチェル・ワイズ、ジェーン・フォンダ、他
配給・宣伝:ギャガ
©2015 INDIGO FILM, BARBARY FILMS, PATHE PRODACTION, FRANCE 2 CINEMA, NUMBER 9 FILMS, C +FILMS, FILM