フランスのシャンソンの神様にして伝説---。
映画界においては、ヌーベル・ヴァーグの傑作となるフランソワ・トリュフォーの『ピアニストを撃て』から、カンヌ国際映画祭パルム・ドール賞、アカデミー外国語映画賞を受賞したギュンター・グラスの原作の『ブリキの太鼓』など60作以上の映画出演。
もはや、歴史上の伝説の人物となるシャルル・アズナヴールが、9年ぶり、そしてこれが本当に最後となる日本ツアーが決まりました。
せんだって5月22日には、92歳を迎えた今もなお、その素晴らしい歌声は健在!!!
2015年のシャルル・アズナヴール
最後の来日となる今回、1960年代から1970年代に日本でムーブメントとなった“シャンソン”の名曲を、生で聞く最後のチャンスとなります!
Charles Aznavour(シャルル・アズナヴール)
1924年5月22日フランス・パリ生まれ、言わずと知れた“シャンソンの神様”、レジェンドである。
今年92歳を迎えるが今日も週3回は音楽出版社に出向き、ピアノを弾いて過ごすなど、圧倒的な“声”の存在感と“リズムの多様性”は健在だ。
60年代から70年代にかけて日本で起こった “シャンソン・ブーム”の代表曲「帰り来ぬ青春」は美しく悲哀に満ちたメロディーに素晴らしい訳詞がつく事によって、歌詞の意味、メロディ全てが時代のムードに一致し大ヒットする。他にも「ラ・ボエーム」「哀しみのヴェニス」「世界の果て」「コメディアン」「イザベル」など多くの曲に日本語の訳詞がつき、多くの日本人シンガーによって歌い継がれていく事になる。
父はグルジア系、母はアルメニア系移民の両親の元で育ち、9歳頃から家族の経営するレストランなどで姉と共に舞台に立った。
1946年エディット・ピアフに認められ本格的に歌い始める。その後、当時ピアニストであったポール・モーリアをアレンジャーに迎え数々のヒット・ソングを生む。ポール・モーリア夫人によると、アズナヴールがアレンジャーを探していた際、候補者は超多忙のクインシー・ジョーンズ、ミシェル・ルグラン、そして当時若手ピアニストのポール・モーリアの3人であった。アズナヴールはポールを選び、ここから2人の交流が始まり、アズナヴールの楽曲でポールがアレンジを手がけた数は130曲に及ぶ。
失恋や人生の悲哀を歌う彼の曲は、彼自身が英語、イタリア語、スペイン語、ポルトガル語、ドイツ語など外国語で歌う事により本国フランスのみならず世界中でヒットし、世界で最も有名なフランス人シンガーの1人になる。ライザ・ミネリ、プラシド・ドミンゴなど、彼の作品を歌った外国のシンガーも多い。シルヴィ・バルタンのヒット曲「アイドルを探せ」、エルヴィス・コステロによって有名になった映画「ノッティングヒルの恋人」の主題歌「She」などもアズナヴールの作品だ。
俳優としても大いに活躍し、フランソワ・トリュフォーのヌーヴェルヴァーグ映画の名作「ピアニストを撃て」などに60本以上の映画に出演している。
最後に、彼の詞は“韻”の踏み方がすばらしく、かつ発音も明瞭なので、フランス語学習者にも是非お勧めしたい。
もう一度あの歌声を日本で聞きたいと願っていた全ての人のために、シャルル・アズナヴールは「これが最後の日本公演」として2016年6月に来日する。