『荒野の用心棒』

さて、「カレイド シアター あなたの、指定席」。懐かしの名作をストーリーとスターで思い出していただこうというコーナーです。
今週の上映作品は 「荒野の用心棒」。
 イタリア製のB級西部劇を「マカロニ・ウエスタン」というのは日本で作られた造語です。アメリカでは「スパゲッティ・ウエスタン」と呼ばれていました。1960年代半ばの日本の庶民にとって、イタリア料理といえば、スパゲッティよりもマカロニの方が親しみやすかったのでしょうね。名付け親は映画評論家の淀川長治さんだと言われています。
「荒野の用心棒」といえば、「マカロニ・ウエスタン」の代表作、セルジオ・レオーネ監督の1964年の作品。日本公開は1965年の12月です。黒沢明監督の「用心棒」をベースにしたストーリーは、後に盗作として訴えられ、イタリア側が負けています。
 
 しかし、なんといっても「荒野の用心棒」は西部劇映画のスター、クリント・イーストウッドを作り出した作品として記憶されています。テレビ西部劇「ローハイド」で売り出されたイーストウッドですが、テレビとの契約上アメリカ映画に出ることはできず、イタリア映画ならばと出演したのが「荒野の用心棒」でした。イーストウッドが演じた、ポンチョ姿の名無しのガンマンはたちまち西部劇のアイコンとなりました。

 アメリカの西部劇では、主人公は流れ者であっても正義の味方。金や権力、女や酒といった欲望には見向きもせず、弱きものを助け強き者をくじいて町に平和を取り戻して、風のように去っていく、そんな存在です。
 ところがこの「荒野の用心棒」は二つの権力の両方から金をせしめ、強奪された金を横取りしようとする、アンチ正義の味方、ダーティ・ヒーローです。アクションの描写も残忍さや凶悪さを印象付ける生々しいものが多く、アメリカの西部劇にあきたらなくなっていた西部劇ファンには目新しいアクション映画として喜ばれたのですね。
 「荒野の用心棒」は「マカロニ・ウエスタン」の最初の作品だと思われていますが、実は1963年に作られた「グランドキャニオンの虐殺」という作品が第一号です。監督は「続・荒野の用心棒」を手掛けたセルジオ・コルブッチでした。日本では劇場未公開ですが、テレビでは放映されています。
 つまり「荒野の用心棒」はイタリア製の西部劇として、日本で公開されて最初にヒットした作品だから、「マカロニ・ウエスタン」の一作目だということになっているのですね。
 アメリカでも「荒野の用心棒」はヒットし、世界中で「マカロニ・ウエスタン」のブームが巻き起こります。公民権運動によるアメリカでの西部劇映画の衰退と、お茶の間に入り込んだテレビで人気の出た西部劇シリーズの人気をうけて、作られたのが「マカロニ・ウエスタン」ブームです。
 ちょうどアメリカン・ニュー・シネマの流行と時期を同じくしているところが面白いと思います。アメリカン・ニュー・シネマの主人公たちも、それまでのアメリカ映画の清く正しい正義漢ではなく、社会に背を向けたアンチ・ヒーローな人々であったり、ドロップアウトした人たちであったりしました。「マカロニ・ウエスタン」の主人公たちには、そんなニュー・シネマと共通するキャラクターが感じられるのです。
 雨後の竹の子、といいますか、続々と量産される「マカロニ・ウエスタン」を輸入・公開するとき、日本の映画会社はヒットさせるための邦題を勝手につけていきます。「柳の下にドジョウは何匹もおるで」というのが日本の会社の考えです。おかげで監督も主演も「荒野の用心棒」とは全然関係ない作品が「続・荒野の用心棒」と名付けられてしまい、本当の続編のほうは「夕陽のガンマン」と名付けられたりしています。共通するのは、エンリオ・モリコーネの音楽。
 各シーン、各登場人物にあわせ「音楽で物語を語る」ようにとセルジオ・レオーネに作曲を依頼されたモリコーネ。その期待に見事こたえたモリコーネの映画音楽は「マカロニ・ウエスタン」の代名詞となっていったのです。

「荒野の用心棒」に出演してスターになったクリント・イーストウッドは、続編である「夕陽のガンマン」、「続・夕陽のガンマン 地獄の決闘」と三作のセルジオ・レオーネ監督作品に出演、その人気をもとにアメリカ映画界に凱旋し、A級のアクションスターになっていきます。そしていまや、二度のアカデミー賞監督賞に輝く名監督として多くの尊敬を集めるまでになったわけですね。

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