知人の「映画監督」に映画の自主上映会に誘われ、中野あたりの視聴覚ホールで、はじめて自主映画とやらに出会う。

名前も知らない俳優が出てきて、なんかわかんないストーリーで、やけに長いか、短いか、感情を押し付けられたり、たまに笑える作品があってもどこかで観たようなパクリだったり、よく考えると深夜のテレビドラマのほうが遥かに面白い。
やたらと増長な台詞、水平の取れていない画面、チープなロケ場所。
上映後の舞台挨拶は、内輪受けネタ満載で、なにひとつ面白くない。

そこで「ああ、この程度なら自分も撮れるんじゃないか」「自分のほうがもっと面白い映画撮れるぞ」と思いたつ。
あ、そうだ、自分は本当は映画監督になりたかったんだ!学生時代、映画研究部だったしな。いろいろしてきたバイトの人生経験がここで役立つぜ!

ちょっと調べて、デジイチと録音機材・照明・パソコン・編集ソフト、30~40万円そこそこ。足りない機材は、知人に借りて何とか工面。

ネットで脚本フォーマットをダウンロードして、脚本を書き、知り合いに役者とスタッフを頼み、撮影開始。
夢はカンヌかヴェネツィアか!

画像: インディペンデント映画の創り方 #1
~インディペンデント映画とは~

最初は乗り気だったみんなも長時間の拘束で疲れはじめ、もちろん役者もスタッフもロハで頼んでいるので、無理もいえず、嗚呼、取りこぼし、嗚呼、再撮と何とか撮影終えて、さあ、編集。

できた「映画」が劇場でかけられるはずもなく、ネットで探した映画祭にいくつも応募、やっとのことで上映にこぎつける。

上映できたよ、ありがとう。みんなに想いを届けられた。
どうでした、作品は?照れくさいけど舞台挨拶させてもらいます。役者の○○君を紹介するよ、撮影の苦労話もさせてもらいます。
あ、YouTubeで、全編配信も決定しました!!

はい、ここに「映画」と「映画監督」が完成しました!

きっかけはどうあれ、映像機材のクオリティの向上と低価格化、お手軽上映場所、WEBでの動画配信隆盛の現在、大体こんな感じで、巷では多くの所謂「映画」と所謂「映画監督」が生まれています(私見・偏見)。
このように生まれた「映画」を「自主映画」、その監督を「自主映画監督」と呼ぶようです。

この「自主映画」という名前が曲者で、所謂「商業映画」との対義語のように扱われているのですが、その定義づけはかなりファジー。
インディーズ映画とかインディペンデント映画とか呼ばれることもあったり。

大学サークルで・・・友人で集まって・・・地域町おこしで・・・弱小プロダクションが・・・なんとなくまとめて「自主映画」。
子どもの成長を撮影したビデオも編集して、上映会を開けば、立派な「自主映画」。
う~む。

そんな「自主映画」ですが、ぜひ観ていただきたいのですよ!
もったいないくらいに愛のある、面白い作品なんです!優秀な監督もいるのですよ。
でも「自主映画」と分類されると一般には敬遠されることも多く、チャンスがつかめない才能ある監督も数多くいるのですね。
なかなか世に出にくい作品たちをもっと知ってもらいたい!

画像: 最近観た映画で素敵だなあ、と思ったインディペンデント映画 明日に向かって逃げろ|辻野正樹|40分|2015年|日本

最近観た映画で素敵だなあ、と思ったインディペンデント映画
明日に向かって逃げろ|辻野正樹|40分|2015年|日本

そして「自主映画」の対義語のような「商業映画」とは何ぞや?との疑問も。
東宝・東映・松竹に代表される大手資本の興行する映画を「商業映画」と呼ぶことが多いのですが、低予算・手弁当で撮影した映画がこの興行システムに乗って、興行として劇場で上映された作品は「商業映画」と分類されるのかしらん?
完成するまでは「自主」、上映するシステムにより「商業」、なんてことになるのかな。
さらに言えば、「独立系プロダクション」どないなってんねん?
考えはじめると夜も眠れなくなっちゃう(古)!

「商業映画」「自主映画」って分けることもなんか莫迦莫迦しいなぁ。
で、ワタクシ、ガチンコ・フィルム主宰 飯塚冬酒は、「商業映画」「自主映画」とは違う位置づけで、映画をインディペンデント映画という名前でプロデュース展開しております。(選挙演説風、インディペンデン党に一票!)

ちなみに映画大国のアメリカでは、大手メジャー映画会社製作以外の低予算映画は「インディペンデント映画」と分類がされていて、北野武もソダーバーグもアルトマンもインディペンデント映画監督と呼ばれます。
てなことを真似したわけではなく・・・。

じゃあ、そのインディペンデント映画って何よ、というご質問もおありでしょうから、ワタクシの定義を(といっても3つだけです)

■独立主義
まずは、インディペンデントを謳う以上、独立してなければね。
え、何からの独立?
資本や市場に迎合しない、という意味です。
映画を創るには資本(お金)は大切な要素です。でもしかし、資本や市場の影響を強く受けて作品が創られるようでは面白くない!
お金があろうがなかろうが、低予算で創ろうが、大手製作会社と組もうが、スポンサーが現れようが、作品創りに資本・市場を影響させない独立主義を掲げて、強い気概で映画に挑む、インディペンデント映画はそんな風にありたいのです。

■作家主義
そして、作家性をできる限り尊重し、映画を創っていく。
資本主義の中で生きている以上、映画はビジネスです。リスクと利益があって成り立っています。
多くの人は「商業」と「作家性」は相反するものだと認識しがちですが、ワタクシは、相反するものではないと思います。
生半可は「作家性」を語る人々は、力がないだけです。
前述の資本・資本に迎合せず、全てを凌駕するほどの作家性を掲げ作品に挑むことで、「商業」と「作家性」は共存します。
あ、敏腕のプロデューサーも必要ですけどね。

■劇場主義
そして最も基本のことは、映画を名乗る以上、劇場で上映するべきだと思うのです。
劇場で上映されなくても「映画」、WEB無料配信でも「映画」、5インチのスマホ画面で観られても「映画」、なんだかなぁ。
時代の趨勢とはいえ、スクリーン常設の劇場での上映を目指さず、お手軽上映場所で完結し、創り手が満足してしまうものを映画と呼ぶことにちょっと抵抗があります。
先人達が創りあげた映画文化に対して、少し失礼な気がしてしまうのですね。
劇場でお客さまに観ていただいて、はじめて映画。
映画は映画館で上映されるもの。時代には古臭い考えかもしれませんが、愚直にこの考えを持っていたいなぁ、と。

以上が、ワタクシの考える商業にも自主にも分類されないインディペンデント映画です。

画像: 最近観た映画で素敵だなあ、と思ったインディペンデント映画 距離 それから、アポロジィ|高山康平|17分|2013年|日本

最近観た映画で素敵だなあ、と思ったインディペンデント映画
距離 それから、アポロジィ|高山康平|17分|2013年|日本

小資本だろうが、大きな資本だろうが、制作体制・予算の多寡・製作規模は全く問わず、上映が単館であろうが全国であろうが、短編だろうが長編だろうが、そんなことにとらわれず、前述の3つの定義をインディペンデント映画と目標にして活動しています。
(とはいえ、まだまだ、吹けば飛ぶような予算の中でやりくりしているのが現実です)

これからもっと映像機器のクオリティの向上とともに算入のハードルは低くなり、多くの才能ある映像作家・映画監督が映像・映画業界に入ってくることでしょう。
昔からの常で参入障壁が低くなれば多くのものが流れ込みカオスが生まれる、当然、質の低い物も数多く生まれる。
お手軽上映場所やWEB配信など、誰でも作品を発表できる誘惑も沢山ある。

でもそれに流されてはダメだと思うのです。

カオスの潮流のなかでは、しっかりと目標をもっていないと、流され、いつの間にか下流で見えなくなってしまう、渦に巻き込まれ沈んでしまう、なんてことも多くあると思います。

カオスの今だからこそ、映画としてのしっかりとした立脚点をもち、映画創作活動を続けてく、それがワタクシの考えるインディペンデント映画です。

こんなインディペンデント映画に共感する映画監督がいらっしゃれば、ぜひ、一緒に映画を創っていきましょう!

世の中に素晴らしいインディペンデント映画をうみだしていきましょう!!

INDEPENDENT FILMS CHANGE THE WORLD

(後記)
第一回目の連載、いかがでしたか?
まずは、この連載でのインディペンデント映画の定義づけをさせていただきました。
もちろん、この定義には、異論・反論・オブジェクション、様々あるかもしれませんが(_(._.)_)
二回目、三回目と実際のインディペンデント映画の企画・製作、現在進行中の制作現場のご紹介をさせていただく予定です。

(後記の後記 2016.5.1)
【お詫び】
2016.4.24に掲載された本文に一部特定の団体を想起させる表記がある、とのcinefil編集部さまよりの指摘を受け、変更を行いました。
筆者の至らない表記により、ご不快を感じた団体さまがいるとのお叱りをも受けております。
文責の一切は筆者にございます。
特定団体を示唆する目的は全くないとはいえ、ご不快な思いをさせた団体さま、ご迷惑をおかけした関係者さま、cinefil編集部さまに深く陳謝申し上げます。

飯塚冬酒
◆ガチンコ・フィルム主宰
◆インディペンデント映画プロデューサー
http://www.g-film.net/

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