「ファッションはシネマから盗め」vol 2
アイリーン シャラフ
若き日、貯金をはたいてパリ遊学した経験が役にたつ、もともとニューヨークで舞台衣装のデザインの第一人者として活躍していた。
『巴里のアメリカ人』ではユトリロ、ルソー、ロートレック、デユフィなどの名画をベースにバレエで表現、名場面の色彩デザイン、コスチュームがパリムードで見事に描き出され、アカデミー作品賞の他、美術、衣装、撮影賞など総なめにした。 監督はビンセント・ミネリ、音楽ジョージ・ガーシュウィンと兄のアイラ・ガーシュウィン、こんな映画は二度と作れないと言われた。
カラーじゃないのが残念ですが、春の妖精のようなワンピース!
こちらはカラーでバックに至るまでカラーコーディネートが素敵、、、
そして、
シャラフにとって想い出での多い作品の中で、ファンタジーではなく現実がミュージカルに表現された作品、『ウエストサイド・ストーリー』。
白人対プエルトリカンのストリートギャングが主人公。
結末は「ロミオとジュリエット」のように悲劇で終わるが、、、、
T シャツ、ジーンズ、スニーカーが衣装だが、大半はオリジナルである。
ストレッチジーンズなど今やユニクロで、すぐ買えるがその当時は伸縮するスパンデックスの糸を使いデニム風に作られたの特注品でこれを開発するだけで莫大な費用がかけられ、まず素材を作り洗いざらし、また染め直しヨレヨレに見せるために風に晒すという時間とお金もかかった。日本の着物(結城紬)を作る工程に似ている。
そして見事なカラーバリエーション、主役のジョージ・チャキリス演じるプエルトリカンのシャーク団はビビットカラー、赤、オレンジ、紫、黄など、対して白人のジェット団にはブルー、グリーン、紺、グレーなどクールな寒色系で差別化。
チャキリスのパープルのシャツが、この映画を観た若者達が、お店に殺到したのは言うまでもない。
シャラフはこの作品を手掛けるにあたり何度もウエストサイドに出掛けリサーチを繰り返したという。
衣装のみに関わらず、見事なダンスの数々、素晴らしい歌、私のベスト10にはいると思います。
脚をこれでもかと上げてる有名なシーンは誰でもご存知でしょうが、
上のショットが一番近いですね、、、
ジェット団のスモーキーパステル
シャーク団の女性群のコーディネートとダンスがダイナミック!
もう一つリズ・テーラーの「クレオパトラ」ではフォックスが倒産の危機に陥ったと言われる曰く付きの作品、この映画の中でシャラフがクレオパトラの衣装を担当、リズの気まぐれに振り回され、一番やりにくかった仕事だと、、、
しかし美術館に通い古代エジプトの美術や宝飾品を研究して創った数々のアイテムは完璧に復元された特注品だった。
もちろんリズは一連の仕事に感動し、次々と衣装の依頼が続き、リズからの絶大なる信頼を勝ち得てウエデイングドレスまでもシャラフに頼んだ。
生涯にアカデミー賞衣装部門で5度の受賞に輝いています。
アイリーン シャラフ
アカデミー賞受賞
1952年 アカデミー衣裳デザイン賞 (カラー部門):『巴里のアメリカ人』
1957年 アカデミー衣裳デザイン賞 (カラー部門):『王様と私』
1962年 アカデミー衣裳デザイン賞 (カラー部門):『ウエスト・サイド物語』
1964年 アカデミー衣裳デザイン賞 (カラー部門):『クレオパトラ』
1967年 アカデミー衣裳デザイン賞 (白黒部門):『バージニア・ウルフなんかこわくない』
ノミネート
1954年 アカデミー衣裳デザイン賞 (カラー部門):『Call Me Madam』
1955年 アカデミー美術監督賞 (カラー部門):『スタア誕生』
1955年 アカデミー衣裳デザイン賞 (カラー部門):『スタア誕生』、『ブリガドーン』
1956年 アカデミー衣裳デザイン賞 (カラー部門):『野郎どもと女たち』
1960年 アカデミー衣裳デザイン賞 (カラー部門):『ポギーとベス』
1961年 アカデミー衣裳デザイン賞 (カラー部門):『カンカン』
1962年 アカデミー衣裳デザイン賞 (カラー部門):『フラワー・ドラム・ソング』
1968年 アカデミー衣裳デザイン賞:『じゃじゃ馬ならし』
1970年 アカデミー衣裳デザイン賞:『ハロー・ドーリー!』
1978年 アカデミー衣裳デザイン賞:『真夜中の向こう側』
参照元 wikipedia