「ホテルコパン」
10人の壊れる日本人。と、その10人の怪優たち。
第5回 栗原英雄 as 教祖:段 来示
監督の門馬直人です。
ついに公開へ向けて最終週間となりました。なので安息日の日曜日だというに教会へも行けず、ラジオ出演したり原稿書いたりと一生懸命仕事をしてます。あ、僕クリスチャンじゃなくて、仏教徒だったから、安息日も教会も関係なかった!!!今日も劇中で描ききれなかった10人のキャラと怪優たちの見どころについて紹介していきます。
失った自信を隠す建前のために陥っていく蟻地獄。
やっぱ金っすかね?個人的に僕の当面突き当たってる障害は何か?と聞かれたらの返答です。お金って、個人を社会に従属させる権力的規制のようなものですよね。まったくやっかいです。この映画は、いろいろな世代での行き詰まりを描いていますが、それぞれの個人の行き詰まりとは別に、人生の大きな壁になる3つの要素を、3つのグループのストーリーに敷いています。美紀・斑目のカップルには「愛」、そして今回の段・ひかるの関係には「金」です。
段の絶望への道は、仕事上の個人的な悩みに起因します。なので設定自体は、なるべく上に立つ立場の人であれば、宗教の教祖じゃなくて、ベンチャー企業の社長でも、プロジェクトのトップでも良いのですけどね。
段は昔、本当に能力があり、他人の未来を霊視できていた人なんです。
その霊視によって占い師のようなことを生業としながら、本当に相手の将来を考え、多くの人を救ってきた人物でした。
救われた人々を中心に、より多くの人が段のもとに訪れるようになり、いつの間にやら祀り上げられ、段はその期待に応えるようにイチジクの会を立ち上げます。そして信者たちはというと、崇拝する段に近づくためにと教義を学び修行をするようになり、会は教団化していきます。
段はまたもその信者たちに応えるように教団施設を建て、信者と共により多くの人を救うための集団を目指すのでした。
しかし、暗雲が漂いはじめたのはその頃からです。
段を頼って訪れた新たな信者を霊視しようとするのですが、突然「見えない」という事態が起こります。心では狼狽しつつも毅然とした態度を崩さず、その場をやり過ごす段。しばらくの後に、いつもと同じ「見える」状態に戻り、何か疲れとか体調不良のようなものが影響したのだろうと気に留めなかったのですが、それからも「見えない」状態が時折訪れるようになります。徐々に不安を覚える段。しかし段を神のように崇め頼ってくる信者たちへ相談できるわけもなく、また不安な様子を見せるわけにもいかず、なんとかしなければと独り焦るのでした。
だが、能力をどうにかして取り戻さなければと焦る気持ちとは裏腹に、「見えない」時間は日毎に増え続け、ついには”たまに見えるときがある”という状態になってしまう。自分の絶対的な自信を失ってしまった段。気がつけば、新たな信者が増えるどころか、段を頼ってやってきた新たな人々からはインチキ呼ばわりされる始末。
そこで誰かに相談さえできれば良かったものの、能力を失い自信すら失ってしまったことを、信者の期待に対する責任感と己のプライド故に告げることもできず、相変わらず問題を独りで抱えてしまうのでした。
さらに、右肩あがりの成長が災いし、特に目を向けていなかったランニングコストを、その頃になってようやく新たな問題として認識する段。信者を養う資金だけでなく、教団施設建設の借金の返済もあるのです。会を存続させるため段は信者へ会費の増額を要求し、次に信者へ新規信者獲得ノルマを課します。しばらくは段を崇拝する信者たちはそれでも段の言葉に従います。
ただ昔とは違いひとりひとりと面会して霊視による導きができなくなった段は、自己の不安と自信のなさに目を背けるように、とかく教義だけを主張しながら、教団を存続運営するための金を工面するために金の亡者となっていきます。その結果、もともとの信者にすら疑念を与えてしまい、脱会をする人々が現れはじめてしまうのです。信者の脱会により、ますます経営は苦しくなり、借金取りまで現れ始めました。
この由々しき事態に困惑する段のもとに、一つの光明が現れます。それが水田演じる:ひかるなのです。資産家の令嬢であるひかるは、自由を求めて家を飛び出してきた女性。
資産家のひかるを教団に獲得することは、今の事態を打破する最大の道に思える段。能力を失った今、なんとかひかるを獲得するために、段はひかるをなんとか洗脳しなければと画策しますが、能力を失った様も、洗脳をしようという様も、信者に見せるわけにはいかない。そこで段は教団ではなく、近くのホテルに監禁し洗脳するという手段をとります。
それが、この映画の段とひかるの冒頭シーンになるのです。
建前と本音 怪優:栗原英雄
今、注目のNHK大河「真田丸」で堺雅人さんの叔父(父役草刈正雄さんの弟)真田信伊役を演じる栗原さん。僕が栗原さんを知ったのは、藤井道人監督の初長編映画「けむりの街の、より善き未来は」という映画でした。二人の娘を持ちながら、同情に値しない借金まみれのどうしようもないクズな父親の役。この映画も、この映画での栗原さんのクズっぷりもすごく良くて、僕はいつか栗原さんと仕事をしたいと思っていました。段役はオーディションで選んだのですが、栗原さんもオーディションに参加してくれて、そのお芝居を見せてもらったときに、ああ、やっと一緒にやれる機会が訪れたと嬉しく思いました。
段を演じるにあたって栗原さんにお願いしたことは、本音と建前を演じてほしいということでした。ひかるやホテルの人々の前では、教祖としての建前を見せつけようとする傲岸不遜な態度。反対に教団内で秘書的な存在であり唯一自分の素の姿を見せることのできる麻子(松本若菜)との電話では
、本音の人間臭さを表してほしいと。僕は、段は意外と人間臭い人だと思っているんですよね。自信を失ってしまった姿も、なんとかしようとする奮闘も。根は真面目な人なんだろうなと。栗原さん自体も、根が真面目な人なので、段とすごく近い部分を持っていますね。市原くんもそうですが、栗原さんもストイックで、教祖としてのイメージ像のあり方と裸になるシーンもあることで、撮影中、毎朝ジョギングをして体をつくっていました。
そうそう、もともと劇団四季ということもあり、現場で僕はいきなり無茶ぶりもしましたね。ひかるを洗脳する過程の動きをバレエっぽく表現してほしいと。せっかくやっていただいたのですが、結局、編集上、尺の問題でカットしてしまったのですけど。
あと、言い忘れてましたが、設定は仕事人としての問題なので、ベンチャー社長でも良かったのですけど、なんで最終的に教祖にしたかというと、段の霊視が発揮されて、物語中ひとつの小さな奇跡を起こすのです。その奇跡はすごくこの映画で大事な瞬間だったので、それはどうしてもやりたかったんですよね。その小さな奇跡は、ぜひ劇場で確認してください!