東京フィルメックスも折り返しの5日目を迎えました。
25日(水)は、カザフスタンのジャンナ・イサバエヴァ監督の「わたしの坊や」を鑑賞しました。
本作は、干上がってしまったアラル海を舞台に、少年の“復讐”を力強くエモーショナルに描く、心に刻みこまれる作品でした。
余命数か月を宣告された少年は、5歳の時に母を亡くす原因となった人々に復讐を決意し実行していきます。事故を起こした警察官、お金をもらい事件を終わらせた父、父をかばい少年を非難する親戚。少年の復讐は果たされるが、「父がもらったお金で少年は今まで生きてこれた」という事実に向き合うことができない少年。そして、映画は、アラル海に残された船の上で、深い結末を迎えます。
この映画で印象的なのは、その画づくりにあると思います。
監督自身Q&Aの中で「どのカットもポスターとして使えるような画づくりをした」というように、一つ一つのカット、その画、へのこだわりを述べていました。
またQ&Aでも言及されていましたが、母親との記憶/想像の世界では赤い花が一面に咲きまだ豊かであったアラル海の様子が幻想的な演出で表現され、それとの対比の中で、母を失った現実世界はどこまでも広がる干上がったアラル海の様子がリアリティをもった演出で表現されています。鮮やかな色と乾燥した色の対比は、少年の寂しさや孤独、“愛”の欠乏と模索を観客に伝えています。
さて、タイトルにも書きましたが、この映画も長回しが印象的な作品です。母親が亡くなる事故のカット、母子と車は坂を下りていき、実際に衝突しているかどうかは画面からは判断できません。しかし、母子が歩き、その後ろから忍び寄る車、全てを1カットで映しだすことで、事故の悲劇性や少年が復讐という行為に出る動機を巧みに表現しているように思います。
剥き出しの感情が、独特かつ巧妙な長回しに乗せられることで、観客の心を強くえぐる力作でした。
26日(木)は映画祭6日目、この日もコンペティション部門の作品を1本鑑賞しました。
「タルロ」は第12回東京フィルメックスのグランプリを獲得した中国のペマツェテン監督の最新作で、ネパールの都会とそこに突如放り込まれる羊飼いの物語です。
山間で羊飼いをやっているタルロは、記憶力がとても良く、毛沢東語録を暗唱し、羊の数を正確に覚えている。そんなタルロは、身分証を作るために必要な証明写真を撮るために都市部へとバイクを走らせ、写真を撮る前に髪を洗うため、理髪店へと向かいます。そこで出会った若い女性に心惹かれたタルロは、カラオケ・バーで“人のために歌を歌うこと”を覚え、女性と一晩を過ごします。翌朝、女性に羊を売ったお金で世界中を旅しようと提案され逃げ帰るタルロ、しかし、都会で感じた欲求充足や夢や希望はタルロの生活と考え方を大きく変えてしまいます。そしてタルロは、悲劇的な結末に向かって、人生最大の決断をし、自分を見失い暗唱を忘れていくのです。
プロット自体は、非常にわかりやすく、現代を生きる日本人でも大いに共感可能で、他の作品で生じうる“わからない面白くなさ”は最初から排除されています。しかし、その単調になりがちな物語が、こうも強く印象を残す映画へと昇華しているのは、やはり効果的な長回しと画の良さです。
オープニング、タルロが毛沢東語録を暗唱する長回しに、まず私たちは圧倒されてしまいます。そして、写真店で新婚写真を撮る夫婦のカットや、カラオケ店でのタルロと理髪店の女性との会話のカットなど、とにかく長い長回しがこの作品を、このモノクロの作品を、色濃く色づけています。
また、この映画においては、鏡や窓という装置も、その素晴らしい画を構成する武器へと変化しています。理髪店において、タルロが特徴である三つ編みを切り坊主にしてしまうカットの、鏡を用いた画作りは圧巻です。
決して観客を置いてけぼりにせず、それでいて独特のリズムを作る長回しと特徴的な構図によって、「タルロ」は非凡な素晴らしい作品となっています。
こうして記事を更新しているうちに、東京フィルメックスも8日目を迎え、とうとう授賞式とクロージング作品を迎えることになりました。
今後は2日ごとのレポートという形ではなく、映像なども交えて様々な形で東京フィルメックスの残りの開催日程を紹介していきます!