八千草薫主演、日伊合作オペラ映画『蝶々夫人』
(1955)を観了。
当時23歳の八千草薫の可憐さ、美しさは言うまでもありません。
しかも録音された曲に、口を合わせて演技をするという大変さは、想像を絶しますが、声のトーン(ソプラノ:オリエッタ・モスクッチによる)も、彼女のイメージとぴったりで、引き込まれて観てしまいました。
オペラ全編だと2時間半にも及ぶ作品ですが、それを1時間45分にコンパクトにまとめた構成も感心します。
また衣装と美術(協同)を、三林亮太郎が担当しているので、良心的な合作と言えます。
またクロード・ルノワールによる撮影は、日本建築の建具の構成を巧く利用しているうえ、溝口健二風の縦の構図まで出てきて、日本映画をよく研究していると、好感がもてました。
カメラの高さも、和室に座った位の高さで、引いて撮っているので、構図に安定感が生まれ、さらに舞台的な効果をもたらしています。
公開当時、本国でも好評だったというのは納得です。
上記の映画『蝶々夫人』は、有名なオペラとして世界各地で上演されているが、日本文化の描かれ方がめちゃくちゃで、映画を通じて、世界に正しい日本文化やこの作品の情景を伝えようという旨で制作された。
そのため、日本家屋のセットはすべて日本から空輸して、現地(チネチッタ)で渡伊した日本人スタッフ(東宝のスタッフ)が組み立てた本格的なもの。衣装なども空輸した。もちろん、八千草もヒロイン像にふさわしい「日本人女性の象徴」としてのキャスティングである。
また、八千草と共に助演で出演した東郷晴子、伊吹友木子、鳳八千代、淀かほる、梓真弓、筑紫まり、朝日奈世志子ら当時の宝塚歌劇団生徒17名も渡伊した。
1954年8月19日に、八千草と共に寿美花代が、ヴェネツィア国際映画祭に参加するために、羽田空港(東京国際空港)から渡伊した。
続いて、同年10月2日、生徒一行も羽田空港からイタリアへ出発。
生徒一行がローマ空港に到着した模様や、映画撮影中の模様を伝えるニュースフィルム(モノクロ)が現存する。
そして、全撮影を終了して、同年11月12日に午後10時羽田空港着のエールフランス機で、一行は約40日ぶりに帰国した。
その後、同年12月28日に八千草が帰国した。当時はまだ海外渡航自由化の遥か前で、大変貴重なヨーロッパ行きとなった。映画制作費は当時で約2億円。
この映画の美術を担当した、三林亮太郎の作品展を、今から30年ほど前、
新宿紀伊國屋書店の画廊で観たことがあります。
これはその時のパンフレットです。
三林氏が担当した映画の美術としては『白夫人の妖恋』があります。
八千草薫とはご縁があるんですね。
仁科 秀昭
:天井桟敷、東宝撮影所などの美術スタッフを経て、
現在はミュージアムプランナーとして、活躍中。