2015年中国の映画館事情  

 前回のコラムでは中国の映画館が近年急激に増加中だということを紹介をしたが、今回は中国の映画館が現在どのような雰囲気であるのか?それを紹介します。

画像: 若い子達を中心に---

若い子達を中心に---

日本で言うシネコンスタイルの映画館が急増しています。いわゆる、ショッピングセンターやデパートなどと隣接。映画館の基本的な構造は日本とさほど大差がなく、場内にはチケット売り場やフードコーナーが設けられ、日本でもお馴染みのポップコーンは中国でも日本と同様に映画をより楽しむためのオプションとして中国人に親しまれている。

ちなみにポップコーンの価格は取材した映画館では32元(約640円)であった。
その他、コーラやオレンジジュースなどのソフトドリンクはおよそ20元(約400円)前後で販売されているほか、中国でポピュラーなスイーツである红豆双皮奶(小豆入りの牛乳プリンのようなもの)や杨枝甘露(マンゴーの果肉入りココナッツミルク)といった中国オリジナルスイーツの販売もされている点は日本の映画館とは異なる点だろう。ちなみに価格はそれぞれ20元(約400円)と18元(約360円)。
参考までにコンビニなどで売られている中国国産のソフトドリンクは3~6元(約60~120円)前後のものが主流となって流通している。

画像1: 2015年中国の映画館事情

ポップコーンスタンド

画像2: 2015年中国の映画館事情

今回取材で訪れた映画館でのチケット価格(劇場によりチケット代は多少誤差がある)は安いもので50元(約1000円)、一番高い3D専用の劇場では120元(約2400円)だったので、もしチケット代と合わせて場内の飲食を楽しむ場合は多くの中国人にとって決して安い出費ではなくなるはずだ。

現在中国では急激な映画ブームに支えられて劇場数が増え続けている実態が顕著であるが、中国人の大学新卒時のサラリーマン平均月収が4万円前後であること、更に映画館を訪れる割り合いの多くを若いカップルが占めることを考慮すると、決して安くはない映画館での映画鑑賞や飲食などのデートにステータスを感じている若者が相当数いるということの裏づけとも言える。

ちなみに取材した映画館内にはUFOキャッチャーや電動マッサージ器なども配備され、映画の待ち時間にくつろぐ事の出来る娯楽スペースも確保されていた。
急激な経済発展に伴い、質の高いサービスを提供する飲食店なども増加傾向にある中国であるが、その余波は映画館のような娯楽施設にまで幅を広げているようだ。

画像: マッサージチェアー

マッサージチェアー

画像: UFOキャッチャー

UFOキャッチャー

ちなみに取材した映画館内にはUFOキャッチャーや電動マッサージ器なども配備され、映画の待ち時間にくつろぐ事の出来る娯楽スペースも確保されていた。
急激な経済発展に伴い、質の高いサービスを提供する飲食店なども増加傾向にある中国であるが、その余波は映画館のような娯楽施設にまで幅を広げているようだ。

話は変わるが、今回訪れた映画館には至るところにドラえもんのポスターや人形が設置されていた。
それもそのはずで昨年日本で公開された「STAND BY ME ドラえもん」が中国でも今年の5月より公開をスタートし、現在大ヒットを記録しているという。
劇場を訪れていたカップル数組に何の映画を観に来ているのかと聞いてみたところ、「ドラえもん」と答えたカップルも多く、ドラえもん人気は中国でも非常に根強いものがあるのだということを筆者自身も再認識させられた。

画像: 中国でも大人気のドラえもん

中国でも大人気のドラえもん

日本が尖閣諸島を国有化した2012年からは中国での日本映画放映が禁止され続けていたので、同作品がその壁を打ち破り3年振りに中国で放映されることとなった作品であるという点を踏まえ、同作品の中国でのヒットが日本と中国の友好関係に更なる弾みをつけてくれることを個人的に大いに期待したい。
今後中国で映画館を訪れる機会のある方がいるようならば、その時は是非ポップコーンではなく、中国スイーツを片手に---日本で味わう映画鑑賞とは一味違った映画鑑賞を味わってみてはいかがだろうか?(笑)

中国でも活躍の小松拓也とは---

画像: シネフィル連載陣にイケメン俳優も登場!小松拓也の『中国電影事情』スタートにあたって--- - シネフィル - 映画好きによる映画好きのためのWebマガジン

シネフィル連載陣にイケメン俳優も登場!小松拓也の『中国電影事情』スタートにあたって--- - シネフィル - 映画好きによる映画好きのためのWebマガジン

ウォン・カーウァイ監督の「恋する惑星」をみて、国際俳優を目指すーー
はじめまして。
今日は私のことを、皆さんに自己紹介させてください。
私、小松拓也は20年近い時間を台湾、香港、中国といった、いわゆる中華圏で活動し、関わり続けてきている日本の俳優です。
私が初めて日本を飛び出し、台湾へと北京語の語学留学に向かったのは、高校を卒業したばかりの1996年3月のことでした。
留学のきっかけになったのは、ウォン・カーウァイ監督の「恋する惑星」でした。
「恋する惑星」のなかで、自由自在に日本語や英語、中国語などの多言語を使いこなす金城武の芝居に影響を受け、自分自身も言葉を巧みに操りながら演技の出来る、国際俳優になりたいと思ったからです。
©小松拓也-cinefil.asia
事務所の先輩、ビビアン・スーの協力で台湾留学
留学先に中国本土ではなく、台湾を選んだのは、所属している日本のプロダクションの先輩に、台湾出身のビビアン・スーがいたからでした。
台湾留学当初は、彼女の実家にホームステイをさせてもらいながら、北京語の勉強に勤しみました。
そうして少しずつ北京語を覚える傍ら、ビビアンの紹介などで、台湾芸能界での人脈も広がり、やがてはローカルテレビの情報番組でリポーターを務めるようになります。
その影響もあり、台湾留学を終えて日本へ帰国した後も、台湾から映画のオファーが来るなど、台湾との仕事の関わりが続くようになります。
全曲北京語のCDアルバムを台湾でリリース
2003年には、全曲北京語のCDアルバムを台湾でリリースする機会に恵まれ、自身にとっても新境地となる音楽活動を開始することになり、人口2000万人強の台湾において2万枚のセールスを記録します。
そのCDアルバムのプロモーションは、同じ中国語圏の香港やシンガポールなどでも行われ、活動する国や範囲を更に広げるきっかけとなりました。
©小松拓也-cinefil.asia
上海の東方衛視テレビ「加油!好男儿」で、約8万人の応募者の中から、トップ20入りーー
2007年には、上海の東方衛視テレビが主催する「加油!好男儿」という、毎回3時間半にも渡って生放送された、国民的人気テレビオーディション番組に出演をし、約8万人の応募者の中から唯一の日本人参加者として、番組終盤のトップ20に入るという、外国人番組参加者の中での最高位を収めます。
また、それがきっかけで現地の多くのファンや知名度を獲得し、その後は上海に拠点を移しながら、芸能活動を始めることになりました。
主な活動内容は、テレビ番組や雑誌、イベント出演、CDリリースや映画、ドラマ出演、音楽番組のMCや数社の企業イメージキャラクターを務めるなど、広範囲に及ぶものでした。
©小松拓也-cinefil.asia
中国から、ふたたび日本へーー
そうして順風満帆に活動をしていた、中国での芸能活動でしたが、2012年9月に日本が尖閣諸島を国有化したことをきっかけに、全ての仕事がストップし、また決まっていた仕事も、全てキャンセルされることになってしまいました。
当時は日本人がテレビ出演するなどのメディアへの露出が禁じられるようになり、突然、中国国内での一切の活動が適わなくなってしまったのです。
それがきっかけで、翌年の2013年からは日本に帰国し、再び日本での芸能活動も始めるようになりました。
そして、今夏、2015年の夏、TBSで2夜連続放送される、物語の舞台がほとんど中国という戦後70周年スペシャルドラマに、中国人役として抜擢されたことは、私にとって大変意義深いことです。(タイトルなどは、情報解禁後にお知らせします)
このドラマをきっかけに、少しでも多くの日本の皆さんに歴史の再認識、戦争や争いごとの罪深さを感じ取ってもらえたらと望んでやみません。
2012年秋以降、日本人のテレビ出演などが非常に限定的に規制されていた中国でしたが、最近ではまた少しずつ、その交流が盛んになってきています。
中国の映画産業は今が絶頂期を迎え、総制作費100億円を超えるような、ハリウッドばりの超大作も近年では珍しくありませんし、ハリウッドをはじめ、他国との合作映画や外国人俳優を多く起用した作品も増えつつあります。
日本人俳優も、当たり前のように中国映画に出演するようになる。
そんな時代も、決して遠くないように感じます。
中華圏の芸能界と20年近くに渡って交流をし、その半分近くの時間を現地に居住し、生で触れ合ってきた私だからこそ、これから、このコラムで発信出来る情報があると考えています。
是非楽しみにしていてください。
小松拓也

cinefil.tokyo

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