蕗谷虹児(1898―1979)、大正時代から昭和初期に、
さらに戦後リバイバルで人気が出て、活躍した、詩人、イラストレーターです。
蕗谷虹児プロフィール Koji Fukiya
蕗谷 虹児(1898〜1979)
新潟県生まれ。
大正から昭和にかけて、少女雑誌の表紙や挿絵を描き、詩人としても活躍、9 冊の詩画集を出版するなど、絶大な人気を誇った。
『花嫁人形』は25 歳の詩。日本画家・尾竹竹坡の内弟子となったのが15 歳。その後2 年半、樺太に渡って旅絵師として放浪する。
1920 年、竹久夢二の推薦で『少女画報』にカットや挿絵を描いてデビュー、瞬く間に人気挿絵画家となる。27 歳の秋、本格画家を目指して渡仏、パリでは春秋サロンに連続9 点入選、シャンゼリゼの一流画廊で開いた個展も成功させる。
1929 年に帰国後は、再び挿絵を描いて、そのモダンな画風で一世を風靡した。
戦後は、名作童話や絵本の分野でも活躍、晩年は個展を続けて開催した。
代表作として知られる『花嫁』は、古希を祝う大回顧展に出品した新作中の1 点。
また『蕗谷虹児抒情画大集』など画集5 冊を出版、長年にわたって多くのファンを惹きつけた。
彼の描く美少女は、
若くして亡くなった母への思慕と、
新潟美人のイメージなんですよね。
「 金襴緞子の 帯しめながら 〜♪」
で知られる『花嫁人形』も、彼による作詞です。
2014年に郵政博物館で、回顧展が開催されていたのですね。
観たかった…(*_*)
蕗谷 虹児(1898〜1979)は、大正から昭和にかけて、少女雑誌の挿絵や表紙絵などで活躍、詩的且つモダンで洗練された美女を描き、当時の少女たちを魅了しました。
1920年、21歳の時に、竹久夢二の紹介で『少女画報』にデビュー、瞬く間に人気を博し、出版美術界の花形となりました。
1925年に本格的な画業修行のため渡仏、パリでは春秋サロンに連続入選したほかシャンゼリゼの画廊で個展を開催しました。帰国後再び雑誌などで活躍、その人気は絶頂期を迎えます。
戦後、絵本の仕事を手掛けたほか、晩年は画集の出版や個展での作品発表など活動を広げ、その上品でモダンな作風は多くのファンを惹きつけました。
少女たちが憧れた蕗谷虹児の美の世界をどうぞお楽しみください。
蕗谷虹児プロフィール Koji Fukiya
蕗谷 虹児(1898〜1979)
新潟県生まれ。大正から昭和にかけて、少女雑誌の表紙や挿絵を描き、詩人としても活躍、9 冊の詩画集を出版するなど、絶大な人気を誇った。
『花嫁人形』は25 歳の詩。日本画家・尾竹竹坡の内弟子となったのが15 歳。その後2 年半、樺太に渡って旅絵師として放浪する。1920 年、竹久夢二の推薦で『少女画報』にカットや挿絵を描いてデビュー、瞬く間に人気挿絵画家となる。27 歳の秋、本格画家を目指して渡仏、パリでは春秋サロンに連続9 点入選、シャンゼリゼの一流画廊で開いた個展も成功させる。
1929 年に帰国後は、再び挿絵を描いて、そのモダンな画風で一世を風靡した。
戦後は、名作童話や絵本の分野でも活躍、晩年は個展を続けて開催した。代表作として知られる『花嫁』は、古希を祝う大回顧展に出品した新作中の1 点。
また『蕗谷虹児抒情画大集』など画集5 冊を出版、長年にわたって多くのファンを惹きつけた。
建物も良いですよねーー。
設計は、内井昭藏(世田谷美術館等)です。
仁科 秀昭