『宮本武蔵 二刀流開眼』(1963)お通の笛の音が、、。映画にみる戦国時代@京都文化博物館フィルムシアター
京都文化博物館フィルムシアター、映画にみる戦国時代。
『宮本武蔵 二刀流開眼』(1963)。柳生石舟斎の高弟達との試合中、お通の笛の音を耳にした武蔵の心が乱れ、相手の刀は武蔵の袖口を切り裂く。
その瞬間、武蔵はもう一本の刀を抜き二刀で構えていた。
そして、吉岡清十郎との決斗では・・・。
#ミニシアター http://www.bunpaku.or.jp/exhi_film.html
『宮本武蔵 二刀流開眼』
1963(昭和38)年東映京都作品/104分・カラー
『宮本武蔵 二刀流開眼』
1963(昭和38)年東映京都作品/104分・カラー
製作:大川博 企画:辻野公晴、小川貴也、翁長孝雄 原作:吉川英治 脚本・監督:内田吐夢 脚色:鈴木尚之 撮影:吉田貞次 照明:和多田弘 録音:渡部芳丈 美術:鈴木孝俊 音楽:小杉太一郎 編集:宮本信太郎 助監督:山下耕作、篠塚正秀、野波静雄 記録:梅津泰子 装置:館清士 装飾:宮川俊夫 美粧:林政信 結髪:桜井文子 衣裳:三上剛 擬斗:足立伶二郎 進行主任:片岡照七 邦楽:中本敏生
出演:中村錦之助(宮本武蔵)、丘さとみ(朱実)、入江若葉(お通)、河原崎長一郎(林吉次郎)、南廣(祇園藤次)、竹内満(城太郎)、谷啓(赤壁八十馬)、平幹二朗(吉岡伝七郎)、
阿部九州男(権叔父)、片岡栄二郎(村田与三)、香川良介(植田良平)、外山高士(木村助九郎)、国一太郎(横川勘助)、楠本健二(友人)、堀正夫(庄田喜左ヱ門)、神田隆(出渕孫兵ヱ)、常田富士夫(漁師)、団徳麿(民八)、遠山金次郎(小橋)、藤木錦之助(牢人者)、川路允(役人)、片岡半蔵(居酒屋の親爺)、島田兵庫(取次ぎの門弟)、波多野博(小侍)、江木健二(若侍)、高根利夫(門番)、大浦和子(宿の女中)、有川正浩(門弟)、名護屋一(同)、島田秀雄(友人)、利根川弘(宿の者)、水野宏子(小茶)、木村功(本位田又八)、
薄田研二(柳生石舟斉)、浪花千栄子(お杉)、木暮実千代(お甲)、高倉健(佐々木小次郎)、江原真二郎(吉岡清十郎)
武蔵を追って旅を続けるお通は柳生石舟斎の客人となっていた。教えを請うために柳生石舟斎を尋ねた武蔵はその高弟達と対立、試合となった。お通の笛の音を耳にした武蔵の心が乱れた時、相手の刀が武蔵の袖口を切り裂いた。その瞬間、武蔵はもう一本の刀を抜き二刀で構えていた。お通と武蔵はそこで再会するが、武蔵は逃げるようにして一人京都に向かう。武蔵は京都の吉岡道場当主・吉岡清十郎に決斗を申し込み、清十郎を倒した。
アメリカでの“西部劇”はテレビ放送の浸透と共に衰退を余儀なくされたが、日本でもそれまで圧倒的興行力を誇っていた時代劇がレジャーの多様化、大型化の中で退潮を示し出した。そんな中気を吐いたのが内田吐夢監督による“宮本武蔵”シリーズであった。
1935(昭和10)年から39(昭和14)年まで朝日新聞に連載された吉川英治原作の同名小説を、鈴木尚之と内田吐夢が脚本化した。
吉川英治の『宮本武蔵』は、剣禅一如の世界へと進む苦悩に満ちた人間・武蔵を剣の精進と求道によって成長する課程を描き、当時の青年層の支えとなった。さらには徳川無声の朗読によるラジオドラマや映画、テレビなどで度々取り上げられては多くの人々の心を捉え、国民文学と呼ばれるまでになった。とりわけ内田吐夢監督による“宮本武蔵シリーズ”は、これまでに映画化された武蔵映画の中でも、一際抜きんでた傑作として評価が高い。
本シリーズは1年に一本ずつ、5年がかりで取り組んだ連続長編となり、出演する俳優達の年齢的成長とシンクロするかたちになった。お通を演じた入江若葉は、往年の大女優入江たか子の娘で、当時17歳。女優経験が全くない素人だったが、五年の歳月を経て徐々に成長を遂げていく。
さらに、主演の中村錦之助の演技は年を重ねるごとに深まり、役者としての存在感に厚みが加わる様子は興味深い。中村錦之助は、デビュー以来東映のドル箱スターとして、『笛吹童子』(1954)、『紅孔雀』(同)、『里見八犬伝』(同)、“源氏九郎颯爽記”シリーズ(1957〜)等で白ずくめの美剣士として商業規格的娯楽路線を堅持する一方、『織田信長』(1956)あたりから本格的な演技者への道を模索し始める。
加藤泰監督による『風と女と旅鴉』(1958)ではチンピラ渡世人・銀次役をノーメイクで好演、そして演技派への飛翔の大きな契機となったのが内田吐夢監督による芸術祭参加作品『浪華の恋の物語』(1959)であった。この近松モノで、金で縛られる遊女・梅川(有馬稲子・初共演)への御しがたい恋情と、金に生き、金を生かす浪速商人の土性骨を巧みに演じ巨匠の期待に応えた錦之助は、1961年、内田監督により“宮本武蔵”に抜擢された。
剣戟においては『一乗寺の決斗』のクライマックス・泥田の中での大殺陣の評価が高く、時代劇演出の白眉と言われている。これは滋賀郊外に広大なセットを作り、日の出前後の光線を狙ってぶっつけ本番で撮影されたという。内田監督は、殺すか殺されるかという状況での倫理的命題、“強さ”とはなにかという禅的命題、お通への恋情と禁欲、と結局“強さ”のこだわり、生にしがみつく武蔵に課せられる様々な試練を武蔵の人間的成長の契機として、ドラマとしての決斗までのプロセスに織り込み自己実現して行く武蔵を描いた。
京都文化博物館 映像情報室 The Museum of Kyoto, Kyoto Film Archive