画像: 京都文化博物館 映像情報室 The Museum of Kyoto, Kyoto Film Archive http://www.bunpaku.or.jp/exhi_film.html

京都文化博物館 映像情報室 The Museum of Kyoto, Kyoto Film Archive

http://www.bunpaku.or.jp/exhi_film.html

京都文化博物館フィルムシアター、映画監督市川崑の世界。
5月26日と29日は『東京オリンピック』(1965)。
1964年に開催された東京オリンピックの長編記録映画。決定的瞬間を記録するために名匠・宮川一夫を総撮影監督に据え、記録映画、劇映画からキャメラマン164名を招集した。

市川崑は、脚本に和田夏十、白坂依志夫、谷川俊太郎を起用し、勝敗や選手の活躍を記録することよりも、トップ・アスリート達の美しさと人間性を表現することに焦点を当てたが、 後に“芸術作品か記録映画か”という論争をまきおこす。

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『東京オリンピック』
1965(昭和40)年東宝作品/169分・カラー・記録映画
製作:田口助太郎 監督・脚本:市川崑 脚本:和田夏十、白坂依志夫、谷川俊太郎 撮影:林田重男、宮川一夫、長野重一、中村謹司、田中正 美術:亀倉雄作 音楽:黛敏郎 ナレーション:三国一朗

“東京オリンピック”の歓迎準備は万端整った。ギリシャに発した近代オリンピックの火が、太平洋を渡って、今、日本に近づいている。羽田空港には、アメリカ選手団を初めとして、各国選手が到着した。万国旗のひらめく中、聖火が点火され、平和を象徴する鳩が放された。
翌日から競技が開始された。体操では、日本選手が堂々と君が代を鳴らした。競技場の晴れの舞台で、日本は独立国の責任と喜びを味わった。お家芸とも言える、重量挙げ・レスリング・柔道も予想以上の成績だった。フェンシング、フリーライフル、自転車、サッカー、水泳、バレーボールでは東洋の魔女が君が代を響かせる・・・。

1964年10月10日から24日まで、東京で開催された東京オリンピックを収めた、長編記録映画。
この作品は、オリンピック規約に基づいて公式に記録するために企画された。

決定的瞬間を記録するために、記録映画映画界、劇映画界から集められたキャメラマンは164名、18mmから2,000mmのレンズを使用し、用意されたキャメラは103台、撮影されたフィルムは約40万フィートにのぼった。

監督の市川崑は、脚本に和田夏十、白坂依志夫、谷川俊太郎を起用し、撮影も劇映画の名匠・宮川一夫を総撮影監督に据えた。

それまでのオリンピック公式記録映画の枠を取り去り、競技の勝敗やわが国の選手の活躍を記録することよりも、トップ・アスリート達の美しさと人間性を表現することに焦点があてられた。
後にこの製作態度は“芸術作品か記録映画か”という、国民的論争をまきおこした。
(キネマ旬報賞第2位)

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