こんな記事を書いてきた シリーズ 『ターミナル』

画像1: こんな記事を書いてきた シリーズ 『ターミナル』

「「シンドラーのリスト」「アミスタッド」「プライベート・ライアン」「A.I.」「マイノリティ・リポート」のあとになにか暖かいものがつくりたくなった。「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」に続いてこの「ターミナル」の監督をしたいと思ったのはそんな理由だ。 アメリカは大変な経験をしてしまった、とても辛く、重く悲しい。そんなときだから、人を信じること、希望や夢を信じることを描く作品を、温かい気持ちになるものを作りたくなった。
 これは移民の物語だ。アメリカの成り立ちを祝福している。世界中から蜜の流れる大地と、誰もが平等に夢を持てる自由の国をもとめて移民たちがやってくる。アメリカは彼らが作った国なんだ」

 特典映像の楽しみは作り手の表状を見ながら話を聞けるところ。スピルバーグが語る「ターミナル」製作のきっかけを見て、この人はとても素直な人だと思う。感情が顔にでる。大変な時期にあるアメリカを語る彼は悲しそうだった。

 80分を越える特典映像にはたくさんのインタビューがおさめられている。スピルバーグと脚本家たち、プロデューサーたちが語る映画製作のきっかけとテーマを収めた「予約カウンター」をはじめ、「出発ロビー」(セットの建設について)、「搭乗」(キャストの語る役柄)、「離陸」(メイキング)、「機内サービス」(ジョン・ウィリアムスの語るターミナルの音楽)、「着陸」(キャストとスタッフが語る個人的な空港でのエピソード集)と、各チャプターに空港にまつわるタイトルが付けられ、それぞれにスタッフ・キャストのインタビューが入っている。撮影現場の様子と映画からのシーンがたくみに編集されているのも編集がうまいスピルーグ映画らしい。

 例えば。747が6機入るという巨大な格納庫に、ほぼ実物大の国際線ターミナルのセットをくみあげる作業も、美術監督とデザイナーのインタビューとともにみることが出来る。現場に立ちながら作業の意味を説明してもらうなんて、まるで現場を見学に行っているような気分である。

 美術監督のプランがデザイナーの図面になり、実際の作業でどのような素材でどのような形をつくっていくか。そしてそれが映画のストーリー上でどのような使い方をされ、どのような意味を作り出すか。全ては監督のビジョンに基づくものである。

今回、監督はあえてセットが完成するまで現場を見なかったという。それはそのセットを目にしたときの驚きを主人公ビクターと、そして観客と共有したかったからだと思う。この特典映像には、監督が始めてセットの全貌を目にしたときの驚きが収められている。その感覚は主人公ビクターの感慨そのものなのだ。

警備室から殺風景な廊下を通って扉を開けるととびこんでくる光・色・音。それは主人公が初めて実感するアメリカの姿であり、驚きである。それを観客も追体験するように画面は計算されている。このターミナルの中でのみビクターを中心に、ということは彼の視点でカメラは360度を見晴るかす。かと思えば、ターミナルに取り残され、誰も彼に注意も払わず手助けもしてくれないという状況に突然気づいたビクターが群衆の中で途方に暮れるとき、カメラはビクターのバストアップから引いて引いて引き続け、やがて彼が群衆の中の点になるまでズーム・アウトする。

観客の生理と監督の意図を見事に結びつける撮影監督はヤヌシュ・カミンスキー。スピルバーグお気に入りの撮影監督である。特典映像のメニューにある「エアポートストーリー」の中で「僕は移民だからアメリカに再入国するたびに大丈夫だろうかと不安になる」と語っているが、おそらく彼が一番ビクターの気持ちに近い人なのだろう。(59年生まれの彼は21歳のときポーランドから移民してきている。ちょうどポーランドの民主化運動”連帯”が始まったころである)

 撮影監督は監督の目であり、観客の目である。監督が見せたいものを観客に見せるのが彼の仕事。その点でスピルバーグの気持ち・意図を的確にとらえて見せるのがカミンスキーなのだろう。カメラアングルや照明について話すカミンスキーはまじめでおとなしい学校の先生といった感じ。そういえば、この特典映像を見る限り『ターミナル』のメインスタッフたちはみなおとなしげ。エキセントリックなところなど一つもない、まじめな仕事人と見えるのも発見だった。

 キャストの語る裏話も楽しみの一つ。トム・ハンクスはアドリブを入れてスタッフやキャストをしばしば笑わせたという。しかし、ビクターがテレフォンカードをもらったものの電話のかけ方がわからず通りがかる人たちに助けを求めるシーンのせりふ「フォーン、ホーム」は却下された。それはもちろん『E.T.』のせりふをあまりにも思い出させすぎるから。けれど、ハンクスはめげていない。難民に仕立てようとする空港警備官がクラコウジアが怖いと言わせようとして失敗するシーンで、ハンクスはつまみ出されながらビクターが怖いものを叫び続ける。「…ドラキュラ、それからサメも!」……クラコウジアは内陸の国だと思うし、もし海があってもサメはいるのかしら。これは絶対ハンクスのアドリブに違いない。と、私はひとりにやりとした。特典映像をみて、本編を見る楽しみは、こんなところにもあるのである。
 
「ワンダーマガジン」に掲載

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『ターミナル』はスピルバーグの『スミス都へ行く』であり『素晴らしき哉、人生』である。(『一日だけの淑女』っぽくもあるなぁ)

隣の芝は青い、というか外から見たほうがいいところがよく見えることがあると思う。その生涯を通じてアメリカを信じ、素晴らしきアメリカを描こうとするという点でフランク・キャプラとスピルバーグには通ずるところがある。キャプラの描く善なるアメリカ人、彼を支え、彼に支えられている善なるコミュニティの人々。金や出世という物質的な「アメリカの夢」をかなえることに夢中になって善なる心を失ってしまった成功者たちですら、主人公の無垢なるアメリカの善によって、自分達の生き方を考え直すのだ。

 アメリカの善。それはこの国には自由と平等とチャンスという夢と希望があると信ずることから生まれる。アメリカが今のように繁栄を遂げたのもこの夢・希望がアメリカにはあると世界中に宣伝してきたからなのである。しかしこの三年、アメリカはその大事なものを手放しつつある。〈それ〉を思い出し、取り戻すため、スピルバーグは『ターミナル』を撮ったのだ。撮らなければならなかったのだ。ロシア・ユダヤ移民の子孫として。

 ユダヤの教えの中には「正しいことを広めよ」というような意味の教えがあって、スピルバーグはそれを守っている人なのだと思う。80年代半ば、押しも押されぬヒットメーカーとして作りたいものを作る自由を手に入れた彼は、作りたいものの中に「作らなければいけないもの」を加えるようになった。「カラーパープル」がその一作目だったろう。人種差別と戦うことは彼のテーマである。ホロコーストも人種差別の一つの形であり、その延長に黒人差別がある。それを克服したアメリカの象徴が”ジャズ”に託され、『ターミナル』の「夢」を引き受けている。

 アメリカは移民の国である。かつて移民たちが船でやってきたころはニューヨークならばエリス島が移民たちの最初のアメリカだった。スピルバーグの何代か前のじいさんばあさんたちもエリス島に上陸した。それが今は空港になっているわけだ。 

 主人公ビクター・ナボルスキーは東欧の小さな国クラコウジアからの旅人。ニューヨーク・JFK空港に降り立った彼は、フライト中にクラコウジアで起きたクーデターのためパスポートが失効し、アメリカに入国することも、クラコウジアに戻ることも出来なくなる。国際便の乗り継ぎロビーで立ち往生したまま「待つ」ことになったビクター。やがて彼はこの空港を行き来する人々の人生と触れ合い、それを変えていく。「アメリカ人のあるべき姿」へと。

 クラコウジアは架空の国である。かつてはソビエト連邦の傘下にあり、50~80年代冷戦下ではアメリカの”敵”だった国、である。まだ安定した民主主義国家とはいえず、守旧派と改革派の衝突も時々起こっているらしい。しかし、国民はそれなりに新しい国のありようを受け入れて静かに暮らしている。ビクターはそんな国民の一人であり、この旅はおそらく初めての「海外」旅行だろう。40歳をいくつか過ぎた独身の彼には待っている家族もいないようだ。彼が”婚期”を逃したのは内戦があったのかもしれないし、彼の父の行状が当時の政権ににらまれていたからかもしれない。

 改装待ちのゲートで暮らし始めた最初の夜。夜中に窓の外を横切る飛行機の轟音とライトに反応したビクターが「撃つな!」と両手を挙げ飛び起きるシーンをみると、かれの故国がどんな国であったか、彼がそこでどんな状況にあったかがわかる。彼は必ずしも故国にいい思い出ばかり持っているわけではないのだ。それでもビクターは信じている。国を、ではなく故郷の人々を。だからこそ、警備局長ディクソンが政治難民申請を勧め故国が怖いと言わせようとしたときも、怖いのはこの部屋のほうだと言い、故郷を捨てようとはしない。人々は国の形がどうあろうと幸せを求め日々それを作ろうとしているものなのだ。それを他の国のものさしで計られてはたまったものではない。
 
 しかし、時代は変わったのである。ビクターは父が思い残したアメリカへ旅立つ。けれどもそんなビクターは空港のあちこちでガラスの扉に進路を阻まれる。見えているのに行けないアメリカがそこにある。許可を持たぬものを跳ね返す透明な壁がアメリカにはあるのだ。それはアメリカに夢と希望を抱いてやってきた人々をはじき返す。しかしビクターはくじけない。
 
 「このロビーから出てはいけない」というルールを守りながら、ひとつづつ生きるためのすべを身につけていく。アメリカを作り上げた移民たちがそうやって来たように。
アメリカは自ら努力する者に開かれた国であったはずである。それを誇りとしてきた国のはずである。スピルバーグは大切なものを失おうとしている「愛するアメリカ」に警告を発する。彼が得意とする方法で。)『ターミナル』はスピルバーグの作品の中ではホノボノ系・人情系・家族愛系に位置する物語ではあるが、その志は社会系に属する二つの顔を持った作品なのだ。

「ワンダーマガジン」に掲載

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