2014年マルチェロ・マストロヤンニの肖像が会場に張り巡らされ印象深かった
カンヌ映画祭。
2015年68回カンヌ映画祭は、
『カサブランカ』『汚名』『誰が為に鐘は鳴る』『ガス灯』『追想』---
大女優だったイングリッド・バーグマンへのオマージュとなりました。
今年が生誕100年となるイングリッド・バーグマンは、
イングリッド・バーグマン(典: Ingrid Bergman、1915年8月29日 - 1982年8月29日)は、ヨーロッパとアメリカで活躍したスウェーデン出身の女優。
アカデミー賞を3回、エミー賞を2回、トニー賞の演劇主演女優賞の受賞経験があり、AFI(アメリカ映画協会)選定の「映画スターベスト100」の女優部門では第4位となっている。
バーグマンが演じた役でもっとも有名な役と言われているのが、ハンフリー・ボガートと共演した『カサブランカ』(1942年)のイルザ・ラント役とケーリー・グラントと共演した『汚名』(1946年)のアリシア・ハバーマン役である。
バーグマンはアメリカで女優として成功をおさめる以前から、スウェーデンでは名を知られた女優だった。バーグマンがアメリカ映画に初出演したのは、スウェーデン映画の『間奏曲』をリメイクした『別離』(1939年)である。
その際立った美貌と知性でアメリカ映画に「北欧からの瑞々しい息吹」を吹き込んだバーグマンは、すぐさま「アメリカ人女性の理想」となりハリウッドを代表する女優の一人となったと『ポピュラーカルチャー百科事典』(en:St. James Encyclopedia of Popular Culture)に記されている。
映画監督ヴィクター・フレミングがリメイクした映画『ジキル博士とハイド氏』(1941年)に出演したバーグマンは、後に自身をハリウッドへ招くことになる映画プロデューサのデヴィッド・O・セルズニックに認められた。
セルズニックはバーグマンのことを、今までともに仕事をしてきた中で「もっとも完成された誠実な女優」と評価している。セルズニックはバーグマンに7年間の出演契約を提示し、その後の女優活動をプロデューサとして支えていくことになる。バーグマンがセルズニックとは無関係に出演した映画には『カサブランカ』(1942年)、『誰が為に鐘は鳴る』(1943年)、『ガス燈』(1944年)、『聖メリーの鐘』(1945年)『汚名』(1946年)、『山羊座の元に』(1949年)があり、独立系映画としては『ジャンヌ・ダーク』(1948年)がある。
ハリウッド進出以来、10年間にわたってアメリカでスター女優の地位を守り続けたバーグマンは、1950年にロベルト・ロッセリーニが監督するイタリア映画『ストロンボリ/神の土地』に主演した。
この作品がきっかけとなり、バーグマンとロッセリーニはともに既婚者であったにも関わらず、不倫関係を持つようになる。この不倫関係とその後の二人の結婚は大きなスキャンダルとなり、バーグマンはその後の数年間アメリカに戻ることができなくなった。
1956年の『追想』でハリウッドに復帰したバーグマンは、この映画でアカデミー主演女優賞を受賞するとともに、旧来のファンもバーグマンを許したといわれている。バーグマンに関する私生活や映画関連の文献は、ウェズリアン大学のシネマ・アーカイブが多く所蔵している。
参照元
Wikipedia ウィキペディア
娘であり女優のイザベラ・ロッセリーニは、
「家族と私は今年生誕100周年を迎える素晴らしい母を公式ポスターに選んでくれたカンヌ映画祭にとても感謝しています。」とイザベル ロッセリーニは語っています。「彼女の卓越した軌跡は多くの国にまたがり、ヨーロッパの職人的な低予算の製作からハリウッドの巨大バジェットの作品までに至っています。ママは女優という職業が大好きでした:彼女にとって、コメディを演じることは職業ではなく、天職なのです。彼女は言いました:「私は演じる事を選ばなかった。演技が私を選んだのよ。'」