2005年の正月第二弾にはこんな重量級の作品が公開されていた。
もともと「社会派」作品の好きな私だが、2003年3月20日アメリカがアフガン攻撃に続きイラク戦争に突入してからは「映画でも社会を変えることができるはず」とますます力を入れて「社会派映画」について書くようになった。
あれから12年。今、戦火は世界に広がり、日本もその中に突入しようとしている。イラク戦争に加わったことの検証もしないままに。そんな今週、こんな記事をもう一度読んでいただきたい。
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なんというか、正月にしては重量級の社会派作品がそろって公開される。しかも、三本ともが実話をもとにした作品。彼らは、けれんなく、正面から、丁寧に、荒ぶることなく、問いかけてくる。
「まず、知ってください。ここで何が起こったのか。私たちが何が出来、そして何をしなかったのか、出来なかったのか。最後に考えてください。あなたはどうしますか」
と。

今2005年。私は1960年生まれ。少なくとも80年代以降に起こった事件に関しては大人として聞き知っているはずだ。
しかし…。

「ホテル・ルワンダ」1994年中央アフリカ・ルワンダでおきた虐殺事件(事件というより運動という方が正しいかもしれない)のなか、ベルギー系ホテルに勤めるマネージャーが1200人の人々を救った。しかし、その虐殺で100万人の人が殺されたという。たった3か月で…

画像1: 連載 まつかわゆまのカレイドスコープこんなことを書いてきた シリーズ② 「「ホテル・ルワンダ」「イノセント・ボイス」「白バラの祈り」本当のことから目をそむけないための映画」

「イノセント・ボイス 12歳の戦場」1980年中米・エルサルバドル。内戦のなか、政府軍は12歳になった少年たちを狩り、兵士にしたて反政府ゲリラたちとの戦闘に投入していく。村は戦場となり、殺し合いの中多くの人々が巻きこまれ命を落としていく。子どもたちも…

ルワンダの事件も、エルサルバドルの内戦も、大人である私は知っていたはずだ。いや、知っていたつもりになっていた。
けれど、何を知っていたというのだろう。私は本当に知ろうとしたのか…
いいや。どちらにしろ、何もしなかったことに変わりはない。それはもう今となっては取り返しのつかないことなのだ。
だからこそ、今起こっていることに関してはできることをしたい。やらなければいけないと思う。

ルワンダの事件のとき、ボスニアでも内戦が起きていた。この二つの内戦にBBCは記者チームを派遣している。現場の記者は自分がとった映像が世界に事件を広め、虐殺の阻止力になると期待して仕事をした。しかし、その期待が裏切られることを「ホテル・ルワンダ」の観客は知る。「ウェルカム・トゥ・サラエボ」という映画の観客も知った。
この94年、世界の人々は冷戦後のあちこちで起きる虐殺に麻痺してしまっていたのだ。テレビから流れる映像は、あまりにむごたらしく、感覚を麻痺させなければ正視に耐えなかった。世界の人々は忘れることに頭を切り替えたのだ。むごたらしい現実を自分の生活とは切り離したかったのだ。
「ホテル・ルワンダ」で虐殺のシーンをビデオに収めたカメラマンが言う
「これを見る人たちは、なんてひどい・かわいそうね、と言った次の瞬間にはこのできごとを忘れてしまうのさ」(引用は不正確だが)。
私もそんな一人だった。
それでも、少なくともボスニアについては動画のニュースも見た覚えがある。が、ルワンダはどうだったろう。新聞の記事、スチールによるニュースしか目にした記憶はない。
もちろん、それで十分なのだ。何が起こっているのか想像するには。しかし、スチールの取材は"事が終わってから"のもの。今、目の前で起こっていなければ撮影できない動画による取材とは違う。わたしは日本ののクルーによる、もしくは契約したクルーによるそのレポートを見た覚えはない。あまりに、ボスニアよりも、ルワンダは遠かったのだ。

私は、日本は、ルワンダを見殺しにした。ソマリアも見殺しにした。アフリカを見殺しにした。
パレスチナも見殺しにした。イラク・アフガンにいたっては自ら手を下した。それを私は、わたし・たちは、日本は知っているのか。

主人公のホテルマンが、ホテルに保護を求めまたはかくまった人々の食料を求めて民兵のリーダーとなった実力者の元へ行く。どうにか物を手に入れホテルまで帰る道、実力者から検問がないからと勧められた川沿いの道を夜明け前の暗がりで進む。いきなり激しい揺れがおこり、主人公は道を間違えたのではと運転手にいい、扉を開けて車の外にでると…そこは一面死体で敷き詰められた道。車の揺れは死体に乗り上げていたからだったのだ。冷静さを保とうとしてきた主人公がここで始めて嘔吐しそうになり、涙が噴出す。

{TAKESHIS」でもタケシの運転するタクシーが死体の合間を縫って走っていくシーンがあった。そのシーンを客観的に分析しながら見ていた自分を私は恥じた。そういうことがあった、ありえたことを知らずに、想像の中の話と片付けた自分を恥じた。

死屍累々。それは今もどこかに存在する風景なのだ。

画像2: 連載 まつかわゆまのカレイドスコープこんなことを書いてきた シリーズ② 「「ホテル・ルワンダ」「イノセント・ボイス」「白バラの祈り」本当のことから目をそむけないための映画」

80年のエルサルバドル。ゲリラと政府軍の相対する前線にある村。主人公の少年はここに母と妹、幼い弟と暮らす。11歳の少年は学校に行き、かわいい女の子に恋をし、友だちと遊ぶ。家計の足しにとバスの行く先を叫ぶ仕事に就いたりもする。彼はバスが大好きなのだ。毎晩村は交戦の舞台になり、村人たちは流れ弾にさらされ、安らかに眠ることも出来ない。朝になれば町のあちこちに死体が転がり、その中には少年の同級生がいることもある。それでも主人公は朝を迎え、学校に行き、バスの運転手のまねをして遊ぶ。彼は大人まで生き延びられたらバスの運転手になりたいと思っているのかもしれない。

しかし、このときこの場所にいる11歳の少年に未来はない。彼らは12歳になれば学校や家庭から狩り出され政府軍に連れて行かれて兵士になる。政府軍といっても独裁者の作った政府である。人々は政府も政府軍も信用などしていないし彼らの言うところの「政府」=「国」なぞ守りたいとも思っていない。しかし、軍に入れば、食う寝るところに住むところと着るものがついてくる上に、銃と恐怖という権力を持つことが出来る。
泣きじゃくりながら、恐怖に失禁しながら連れ去られた同級生が軍服姿で主人公たちの前に現れ銃を向けていう「男になれるんだ」と。
人間教育の途中連れ去られ、違う教育を、人殺しをいとわない兵士になるという教育(教官はアメリカ兵である)を受けた子供たちは優秀な「兵器」になる。だから紛争がおきると子供兵士の問題がおきるのだ(働ける大人を使い果たして子供を引き込んだ日本も同じようなものである)
ユニセフによると今も30以上の紛争地で30万人の子供兵士がいるという。

子供は未来である。その子供を兵器として消費することは未来を捨てることだ。
ルワンダで子供たちが殺されたのはその部族の未来を消滅させるためだったという。女たちが殺されるのも同じ理由だし、レイプされ子どもを産まされるのも同じ理由からと言う。
兵士として狩られるのは将来ゲリラに加わる可能性のある貧しい村の少年たちで、おそらく金持ちの支配層の子供は狩られることはないだろう。そのかわりに彼らは軍隊の幼年学校に入るかもしれぬが。

エルサルバドル。ルワンダ。私が生きている同じ時代にこんなことがおきていたということ、そして今もどこかでひどいことが起きているということ。それをしって欲しい。気付いて欲しい。考えて欲しい。それがこの二本の映画の製作者たちの思いだ。
「過ちは二度と繰り返さない」といいつつ過ちを繰り返している私たち。
今、また新たな過ちを犯さないためにはどうすればいいのか。
それを教えてくれるのが『白バラの祈り』だ。
「ヒトラー最後の12日間」のモデルとなったヒトラー最後の秘書だった女性が映画のラスト、ドキュメンタリーからの映像の中で語る。「私は気付かなかった。けれど、私と同じ年のゾフィ・ショルは気付いていたのです。そして彼女は自分の死をおそれず、ヒトラーに反対し続けて死んだのです」
そのゾフィの最後の6日間を描くのが「白バラの祈り」という作品。新たに発見された資料に基づき、反ナチスグループ「白バラ」のメンバーが処刑されていくさいしょの日々を描いている。

国全体がナチスを容認し心中しようとしていたとき、ゾフィたちは立ち上がる。そして殺される。そしてドイツは破滅への道をたどるのだ。
白バラの青年たちは教えてくれる。

流されないこと。
考えること。
口をつぐまないこと。
行動を恐れないこと。

それが今私たちにも出来る未来の守り方だ。

白バラの祈り - ゾフィー・ショル、最後の日々

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