新連載「まつかわゆまのカレイド・スコープ」#1  アカデミーで話題を投げかけたパトリシア・アークエット発言からハリウッドの内幕に迫っています!

2015LA時間の222日夜。2014年度のアカデミー賞が発表された。
助演女優賞を受賞したパトリシア・アークエットは受賞コメントで、男女の賃金格差の是正を訴え、主演女優賞にノミネートされていたメリル・ストリープは身を乗り出し、腕を振り上げてそれに激しく賛同の意を示したのである。

男性優位のハリウッドで女性の地位がなかなか向上しないことも、ギャラが半分であることも、男女同権をかかげているはずのアメリカであっていいことなのか、とハリウッドの女性映画人たちが本気で立ち上がったのはそんなに昔のことではない。とはいえ、もう20年以上前のことだったと気が付いて、ため息が出てしまった。


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参照元
http://top.tsite.jp/news/i/22432652/ 『6才のボクが、大人になるまで。』

そう、私にとって始まりは1991年だった。

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 初めてのジャンケットのために訪れたワシントンDCで、「People」誌を買った。
特集は”Women In Hollywood”
映画創成期から映画界を活躍の場としてきた女性映画人たちが載っていた。
前年1990年のハリウッドは、『ゴースト ニューヨークの幻』と『プリティ・ウーマン』の思いがけない大ヒットに驚き、戸惑った。そして彼らは91年に一つの結論を出したところだったのだ。

 「女性観客をつかまえろ! それには……女に映画を作らせろ!

 もともとハリウッド映画というのは男目線、男性観客を意識して作られている。観客も作り手も、圧倒的な男社会、なのだ。デートだって映画を選ぶのは男の子。つまり、女性向きの作品は女性しか見ない、ということは最初から観客は人口の半分しかいない。映画の命は興行収入であるハリウッドにすれば、そんな売れない映画を作って何になると考える。

 ところが、である。1990年、3月に公開された「プリティ・ウーマン」が大ヒット、続いて7月に公開された「ゴースト/ニューヨークの幻」も大ヒットし、それぞれ90年の興行収入ベスト4位と2位になってしまった。
どちらの作品も、スター・バリュー的に、ストーリー的に、バジェット的にも、はっきり言ってヒットを狙ったとは思えない作りである。

 それがヒットしてしまったわけだから、ハリウッドは大慌て。女性という新しい観客層に目を向け、女性観客が押し掛ける女性のための映画を作ろう、ということになる。

 が、今まで考えたこともない女性観客が喜んで何度も映画館に行く映画をどう作る? そこでハリウッドは女性のプロデューサーや、監督、脚本家を起用して女性映画作りに邁進したのである。

 ここに一つのリストがある。ロマンス映画ワールドワイド歴代ヒット作20

入れ替え制のシネコンでは、一日中見ている観客を上映回数分カウントする。だからこのリストにはシネコン時代以前の作品が入ってこない。「風と共に去りぬ」以外の作品が90年以降の作品であるのはそのためだ。

「タイタニック」

「ニュームーン」

「ゴースト/ニューヨークの幻」

「プリティ・ウーマン」

「ボディガード」

「セックス・アンド・ザ・シティ」

「風と共に去りぬ」

「美女と野獣」(アニメ)

「ハート・オブ・ウーマン」

「最後の恋のはじめ方」

「ノッティングヒルの恋人」

「マイ・ビッグファット・ウェディング」

「トワイライト 初恋」

「魔法にかけられて」

「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」

「あなたは私の婿になる」

「恋愛小説家」

「プリティ・ブライド」

「恋におちたシェークスピア」

「ブリジット・ジョーンズの日記」

 さらに、ここに挙がった作品のほとんどには、プロデューサー・監督・脚本・原作など、どこかしら女性映画人がかかわっている。女性の夢と現実をリアルに反映しているのだ。それはハリウッドに限れば192030年代、女性映画人が始めて活躍した時代以来のことではなかったか。

 なぜ「ハリウッドに限れば」なのか。
70年代アメリカン・ニューシネマの時代、アメリカ映画の中心はハリウッドとは限らなくなったとき、映画を作り始めた女性たちがいた。彼女たちの中にはインディペンデントの作家として映画を作り続けている人たちもいれば、90年代初めにハリウッドに招かれ、メジャー・スタジオから作品が配給された人たちもいる。

ジョアン・ミクリン・シルバー、マーサ・クーリッジ、スーザン・シーデルマン……。
ミニシアター・ブームの中で、日本でもインディペンデントの女性監督作品が公開された時期もある。

 しかし、観客への広がり方、影響力、という点では圧倒的に観客の目に触れる機会の多いハリウッド映画に軍配が上がるだろう。

 アメリカの、世界の、日本の女性たちに女性の生き方のバリエーションを見せる影響力はハリウッド映画にあったのだ。と、思う。少なくとも97年までは…。

 97年「タイタニック」が公開されロングラン、98年「Sex and the City」のテレビシリーズが始まる。
このころから、90年代を支えた女性映画人たちの活躍の場が、スクリーンからテレビへと移っていく。スクリーンのロマンス映画は、キャリアも恋も家庭もすべてをゲットしようという30代女性を対象にせず、もっと若いティーンズから20代前半をターゲットに、保守的なラブ・ストーリーを紡ぎ始めるのだ。

それはなぜだったのか。

観客の世代交代か、クリエイターの世代交代か。そこにはフェミニズムに対してアメリカ女性たちの受容が変化していることが影響してはいないか。日本の女性観客にとってはどんな影響があったのか。

90年代、ハリウッドで女性映画を支えたのは監督・脚本・女優だけではない。
いや、むしろ女性プロデューサーのバックアップがあっての女性映画だったのだと思う。
メジャー・スタジオはスタジオ・エグゼクティブに女性プロデューサーを据え、女性向きの企画を開発させた。

パラマウントのシェリー・ランシング、ソニー・コロンビアのローラ・ジスキン、ルーシー・フィッシャー、エイミー・パスカル(コロンビアは2030年代にも女性映画を得意としていた伝統がある)などは、女性映画からビック・バジェットのイベント映画に女性観客を誘いこむ仕組みでヒット作をたたき出す。

キャサリン・ケネデイ、ゲイル・アン・ハードなど、イベント映画を得意とするプロデューサーたちが、映画の中で女性キャラクターの地位を変えていったのも90年代の特徴だった。
強い女性キャラクター、フィーメール・ヒーローの出現である。

 しかし、このフィーメール・ヒーロー・ブームには皮肉な形で終止符がうたれた。

GIジェーン」の登場である。フェミニズムの行きつく先は前線に行く女性兵士の登場だったのだろうか。
01年アフガン、03年イラクの前線には女性兵士が立つようになった。

 その反省はあるのだろうか。

90年代、私がインタビューした何人かの女性映画人は言った。
「女性映画人が女性であることを注目されない日がくればいい」と。
今も彼女たちは同じことを言う。
サンダンス映画祭をはじめ、インディペンデント系の映画祭で、女性映画人の活躍は目覚ましい。
しかし、ハリウッドに呼ばれるのは彼女たちではない。
たとえハリウッドでデビューできたとしても、二本目の壁が高く立ちはだかる。
二本目が作れても、作り続けることはさらに難しい。

90年代女性映画のヒットメーカーだった、エイミー・ヘッカリング、ペニー・マーシャル、スーザン・シーデルマン。彼女たちはどこへ行ったのか。
アリソン・アンダース、ジリアン・アームストロング、インディの星たちはどこに行ったのか。
ミッシェル・ファイファー、メグ・ライアン、アシュレイ・ジャド、ロマンチック・コメディの女王と呼ばれ、仕事も恋もゲットする都会の30代女性を演じていた女優たちは今? 
彼女たちとプロダクションを起こした、女性プロデューサーたちは今? 
死屍累々の女性映画人たちの中で、かろうじて作り続けられているのはノラ・エフロン、ナンシー・メイヤーズ(90年代には脚本家だったが)くらいなもの。

キャサリン・ビグローが復活したのは喜ばしいことだが、彼女と二人、アクションを得意とする監督として期待された、ミミ・レダーは今何をしているのか。

シネコン時代になり、回転のいいティーンズ受け映画を劇場が欲しがり、20代後半から30代女性向けの映画は疎まれるのだという。いきおい製作側も作り渋り、結果として女性映画が減ってきていると聞いた。
ティーンズ映画の中にも女の子を主人公にした作品があり、女性監督や脚本家を起用することも少なくない。しかし女子映画は男子映画より少ないし、女性が起用された作品がヒットすれば、シークエルの監督が男性に変わることもおかしなことではない。

93年から、アメリカ映画界で活躍した女性映画人を顕彰するWomen in Hollywood が始まり、96年からプレミア誌が年に一度のスペシャル・エディションを発売(2000年には本誌の特集のみに)、現在はELLE誌がスポンサーになって顕彰式などを続けている。

90年代の女性映画人ブームは何を残したのか。なぜ始まり、なぜ終わったのか。
女性映画人は今や女性とくくらなくても十分に活躍できる地位をハリウッドに確保したのか。

70年代のインディペンデント系女性映画人たちはフェミニズムの実践として映画を作ること、映画に描かれる女性の役割やキャラクターを変えることを目的として映画を作った。
彼女たちにはハリウッド映画は敵だったのだ。

それが90年からのハリウッド女性映画人ブームでかわっていく。
インディペンデントの女性作家もハリウッドで作品を作る、ハリウッドの女性映画人たちもさりげなくだがジェンダー的な考えを女性向きの娯楽作品に取り込んでいく。そしてこの映画群が女性の生き方を変えていくことを夢見たのだ。

それが終わったのは、いつか。なぜなのか。
その後女性映画人たちはどうなったのか。私はそれを知りたいのである。
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と書いたのは20101月のこと。
その直後、アカデミー賞史上初の女性監督へのアカデミー監督賞・作品賞が決まり、20年かけてハリウッドの女性映画人の悲願は達せられたかのように見えたが、あれから5年。未だ長編劇映画部門における女性監督に対するアカデミー賞はノミネーションすらない状態である。

もっとも、史上初の女性監督作品とはキャサリン・ビグロー監督の戦争ドラマ『ハート・ロッカー』であり、ビグローは常日頃女性監督と私を呼ぶなと言っているタイプの作家だ。
女性の問題や女性の視点とみなされることを嫌い、アクションやサスペンス、スリラーなどのジャンルを手掛けてきた監督である。
 この5年、「史上初」の女性監督、「史上初」の黒人監督作品の作品賞など、壁が破られてきたように見える。しかしその受賞作品は、「女性らしからぬ、男性主人公の戦争映画」だったり「アフリカ系イギリス人」の監督の、しかも監督賞ではなく作品賞であったりと、微妙に主流映画からのエクスキューズがちらちらする選択であった。

つまり。未だ壁は高く、厚い、のである。叩き続けねばなるまい。

                                    
まつかわ ゆま  @cinefil.tokyo

 

 

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