声のない映像に、いまここで音が宿る。鍵盤の一打、電子音の震え、ふいに訪れる無音の緊張──サイレント映画の上映は、失われた時代の「再現」ではなく、その瞬間にしか成立しないライブ体験だ。観客の呼吸、会場の空気、映像のテンポに触発されて、同じ作品が毎回ちがう表情を見せる。その醍醐味を、最前線で生きてきた二人が語り合う。

今年で活動30周年を迎えたサイレント映画伴奏者・柳下美恵。デビューは1995年、山形国際ドキュメンタリー映画祭のオープニングでリュミエール作品103本を弾き切った伝説的な舞台だった。一方、作曲家・鈴木治行は現代音楽を軸に、90年代後半から映画音楽へと領域を広げ、2000年の『吸血鬼ノスフェラトゥ』(1922)を契機にサイレント映画のライブ演奏へ踏み出していく。

映画を「空気のように支えたい」柳下と、映像と音を対等な二声として絡ませたい鈴木。設計図を緻密に組み上げ、ズレさえ表現へと変える方法と、映画そのものを“楽譜”として鍵盤に移し替える方法。精密さと揺らぎ、構築と即興、その対照はサイレント映画という器の大きさを鮮やかに映し出す。さらに話題は、80年代池袋を形づくった西武(セゾン)文化の記憶へ──
寄り添う音と、拮抗する音。即興と設計図。二人の方法論の対照が、サイレント映画の可能性をいまの観客へと開いてゆく。

配信で「いつでも同じ体験」が手に入る時代に、サイレント映画は逆に新しい。毎回異なる日、異なる会場、異なるあなたの感覚が、同じ映像を別の作品へ更新してしまうからだ。配信では手に入らない「一回きり」の映画体験を、ぜひ受け取りに来てほしい。

柳下美恵さんの伴奏による『風』

『風』サイレント映画ピアニスト The Wind by Mie Yanashita

youtu.be

サイレント映画の音楽を始めたきっかけ

鈴木治行(以下、鈴木)
鈴木治行と申します。作曲家です。メインでやってきたジャンルは現代音楽で、ここ数十年の間、その方面を中心にコンサートしたり、CDを出したりしています。それとともに、1990年代後半頃から映画音楽も手がけ始めて、その中の一環として、2000年からサイレント映画にも音楽をつけています。ただ、僕は1本の作品にすごく時間がかかってしまうので、柳下さんほど数を手がけているわけではありませんけれども。

柳下美恵(以下、柳下)
柳下美恵です。私は主にサイレント映画の伴奏をやっていまして、1995年に山形国際ドキュメンタリー映画祭のオープニングで、リュミエール社の作品全103本を弾いたのがデビューです。そして今年で活動30周年を迎えて、このような機会をいただきありがたいです。

鈴木
僕はサイレント映画のライブ演奏については、映画の大好きな知人のデザイナーから「ムルナウの『吸血鬼ノスフェラトゥ』(1922)を企画したい」と声をかけていただいたのが最初のきっかけです。サイレント映画に音楽を付けるということにも興味があったので、「ぜひ、やりましょう」ということになって、2000年の12月に下北沢のタウンホールで2日間にわたって4回公演を行いました。ちょうどそのときに、柳下さんにも来ていただいて。

僕の普段の仕事は、主に譜面を書いて、それを演奏家に演奏してもらうという形で、基本的に演奏がメインではありません。昔はピアノやギター、バイオリンなども弾いていましたが。『吸血鬼ノスフェラトゥ』のときは自分で電子音楽を演奏しました。それが人前で演奏するようになった始まりですね。

柳下
『吸血鬼ノスフェラトゥ』のときは電子音を構成して、それをその場で音量や音色を選んでいくという感じだったのでしょうか。即興の部分もある?

鈴木
いや、事前にかなり作り込んでいます。だから、そのための設計図が絶対に必要です。僕の場合は建築物のようにしっかりと構成するので、すごく時間がかかるんですよ。完璧な音楽付きバージョンを作って、それをただ再生することも可能ではあるんだけど、やはりライブのときには微妙なズレというか、揺らぎが生まれる。素材は同じでも、出し方やタイミングによって差異が生まれるところが、大変だけど面白さでもあります。

完全な即興はないけれど、ある程度アバウトな部分もあるんです。『吸血鬼ノスフェラトゥ』の頃はフィルムで上映していたんですが、ライブ中にときどき、微妙に作曲していた音楽と映像の位置がずれてしまうことがありました。その対策として、一つの大きな構成体として固定されたものではなく、電車の車両みたいに、いくつもの車両が連結しているように作っておくんです。そうすれば、最初の車両で少しずれても、2両目の車両で調整できる。そのような調整は、やっぱりライブじゃないとできない。それが面白かったので、その後も同じような形で何本かやりました。

『吸血鬼ノスフェラトゥ』本編映像

『吸血鬼ノスフェラートゥ』 F.W.ムルナウ監督

youtu.be

柳下
私はもともと池袋の西武百貨店にあった「スタジオ200」という会社に勤めていて、そこに有名無名に関わらず、何かを表現したいという人が毎日来ていたんです。多目的ホールだったので、映画や演劇、舞台や落語、舞踏や講演会など多彩なジャンルがある中で、映画が自分の中では一番しっくりくるなと思い、だんだんと映画を見始めました。その中でサイレント映画にも出会うんですが、私が見始めた1990年代の頃は作品にまったく音が付いていなくて、「音が付いていたらいいな」と思っていたんです。そのうちに会社が左前になってしまって、「次に何をやろう」と考えていたところ、「サイレント映画ピアニスト」というのが選択肢になった。ただ、当時はまだそれが本当に職業になるかどうかは分かりませんでした。とりあえず始めてみたら職業になったという感じです。

相模原にある国立映画アーカイブの分館にサイレント映画の伴奏音楽に関する資料がたくさん保管してあったんです。その中で、500ページぐらいの参考書のような本(註:『Motion picture moods : for pianists and organists : a rapid-reference collection of selected pieces, adapted to fifty-two moods and situations』エルノ・ラペー著、シャーマー出版、1924)がありました。最初が「AEROPLANE」で、「飛行機の場面にはこういう曲を使ったらいいよ」という楽譜が掲載されていて、最後は「WEDDING 」。AからWまでアルファベット順にいろいろな場面状況における曲が取り揃えてあるんです。その中から「これが合うな」と思ったものを自分なりにピックアップして貼り付けたりして、曲を構成していました。ただ、鈴木さんほどではないと思いますが、やはり場面場面で切り貼りして、全部試していくのはすごく時間がかかってしまう。そのうちに「ここは自分で作ってみようかな」と簡単なメロディーなどを作るようになって、徐々にそうした部分が大きくなり、楽譜がない部分が多くなって、今ではほとんど即興伴奏です。即興と言っても、事前の準備段階で、映画を見ながらイメージやタイミングを頭の中に入れておきます。ですから、上映当日はその映画自体が楽譜として現れてきて、それを鍵盤に移す、というやり方をしています。今でも音楽的に自信があるとは言えませんが、「映画を読み取る」ことは得意な方だと思います。

『Motion picture moods : for pianists and organists : a rapid-reference collection of selected pieces, adapted to fifty-two moods and situations』エルノ・ラペー著、シャーマー出版、1924年

『Motion picture moods : for pianists and organists : a rapid-reference collection of selected pieces, adapted to fifty-two moods and situations』エルノ・ラペー著、シャーマー出版、1924年

『Motion picture moods : for pianists and organists : a rapid-reference collection of selected pieces, adapted to fifty-two moods and situations』エルノ・ラペー著、シャーマー出版、1924年