空海の指揮で製作された巨大な両界曼荼羅、国宝・高雄曼荼羅
大日経に基づいて世界の理論的な全体像を図式化した胎蔵界と、金剛頂経に基づいて大日如来を中心論理とする世界を理解する「悟り」に至る認識のプロセスを九段階で図式化した金剛界を併せて、「両界曼荼羅」を密教の根幹となる二つの柱としたのは空海の師・恵果だ。
神護寺には空海が指揮して製作された日本で最初の両界曼荼羅図、一辺6mに及ぶ巨大な両界曼荼羅図「高雄曼荼羅」が伝来する。濃紺の絹に金と銀の精緻な線描だけで、胎蔵界ならば400以上、金剛界は中心の「成身会」を囲む千体仏も含めのべ1400以上の様々な神や仏を描く。
後の真言宗の曼荼羅の原本となっただけでなく、密教によって新たに日本に紹介された神仏の描き方の基本ともなった点でも、美術史的にも重要な曼荼羅だ。
重要な儀礼で用いられることも多かっただろう。鎌倉時代の修理文書(下の写真)には灌頂院にあったと書かれているが、ならば正式に密教の僧侶となる灌頂の儀式でこの曼荼羅を掲げたのかも知れないし、そうなると使用頻度はかなり高かったかも知れない。一方で平安時代の後期には神護寺が一時荒廃し、寺外に流出していた時期もあった。
鎌倉時代にはすでに痛みが激しかったようで、後宇多天皇の命と鎌倉幕府の支援で大規模な修理が行われ、江戸時代にも光格天皇の主導で再び修理されたものの、近代以降は公開されることがほとんどなかったし、現にパッと見てもほとんどなにが描かれているのか分からない様子の写真もあった。
それが昨年、6年がかりの大修理が完了して記念の法要が執り行われ、この特別展でも本尊・薬師如来立像と共に、最も重要な展示作品と言える(前期には胎蔵界、後期には金剛界を展示)。
この修理では欠損を復原したり、描き直しやリタッチはせず、空海の時代に描かれたままの現存部分をありのまま見せるよう丹念に、丁寧に、時間をかけてクリーニングを行い、1200年の歴史で付着した埃や塵、密教儀式では火が多用されるのでその煤を慎重に除去、古い裏打ちを剥がして全体の平坦さを取り戻し、新しい裏打ちを絵絹と同色に染めて、欠損部はその裏打ちが見えている形になった。裏打ちの紙が見えている部分は写真の都合でやや明るく写っているが、肉眼でみるともっと暗い色で絵絹とほぼマッチしている。
クリーニングと、欠損部分が同じ色調になるだけで、明暗の比較と色彩のコントラストによって平安時代初期の、緻密かつたおやかな金の線が、鮮やかに浮かび上がる。
たとえば上の写真の上部中央に見えるのは不動明王で、空海が密教を伝えたことで日本に伝えられた代表的な仏のひとつだ。高雄曼荼羅に描かれたのが日本で最初の作例になる。
この不動明王が白紙に墨で写し取られ(白描画)、「弘法大師様」と呼ばれる真言宗の不動明王の基本的な形として日本中に流布し、仏画だけでなく立体の不動明王の仏像もこの形に基づいて作られることになる。
ただそれでも、銀の線は酸化で黒くなって肉眼ではほとんど見えない。赤外線撮影でその銀の線を浮かび上がらせて金の線と重ね合わせた完全復元の動画も展示されているので、そちらもぜひ会場で確認していただきたいし、欠損部分もある高雄曼荼羅の元の姿を理解する手立てとして、また原本は前期が胎蔵界、後期が金剛界と分けて展示されるので両界曼荼羅の全体がわかるように、江戸時代の光格天皇による大修理の際に作られた精確な写しの両界曼荼羅一組も併せて展示されている。
だがこの江戸時代の時点ですでに、高雄曼荼羅はかなり痛みが激しかったのではないか? 銀が黒ずんでしまう酸化も進んでいたはずで、すでにほとんど見えなかっただろう。
なのになぜ、ここまで精確な復原模写が可能だったのかといえば、高雄曼荼羅の諸仏や細部が、密教の仏画のお手本としての需要もあって、平安時代から克明に白紙に墨の白描画として写されて、その記録が残っていたからだ。
高雄曼荼羅は空海が唐から持ち帰った曼荼羅を詳細に写したものと考えられ、原画は唐の宮廷画家の手になるものだったようだ。
また曼荼羅、両界曼荼羅とはどんな絵なのかがよりよく分かるように、小ぶりながらとても色鮮やかで見応えのある極彩色の、鎌倉時代の両界曼荼羅も展示されている。
この鎌倉時代の、極彩色の両界曼荼羅と高雄曼荼羅は共に、前期は胎蔵界、後期には金剛界を展示しているので、高雄曼荼羅の欠損部分や色がないので分かりにくかったところなどは、この小さい方の曼荼羅で何が描かれているのかを確認することもできる。
現代ではデジタル・テクノロジーも駆使して白描画として記録された高雄曼荼羅の諸仏や、原本のスキャン・データを駆使して、空海の時代にどのように見えたのかを再現することも可能だろうし、現にそうした動画によるプレゼンテーションも映像展示されている。
そうして往時の華やかさをヴァーチャルで見るのももちろん興味深いのだが、痛みや欠損があり、銀の描線が酸化で肉眼では見えなくなっていたりしても、やはり原本の高雄曼荼羅はたまらなく魅力的だ。
濃紺の背景に浮かび上がる金の線の仏たちの姿は、確かに色があった方が分かりやすいのだろうが、そんなことは超えた神秘性に満ちている。
永い歳月で不鮮明になった部分も含め、じっくり見れば見るほどに、1200年前の絵師たちの見事な線が繊細な照明で次第に鮮明に浮かび上がって来て、いつまで見ても飽きない。