ハロルドはなにかを考える顔で水煙管を吸い、それからしんみりといった。「たしかに、ぼくはこれまで人生を生きてこなかった」煙を深く吸い込むと、急にくすくす笑い出した。「でも死んだことは何回かあるんだ」
――コリン・ヒギンズ『ハロルドとモード』

死=終わりから見つめた生

1960年代後半のベトナム戦争末期、泥沼の戦いを続けていたニクソン政権下のアメリカで、後に日本において「アメリカン・ニューシネマ」といわれる一連の映画群が次々と発表される。それらの作品に出てくる若者を中心にした人物たちは、終わりの見えない戦争を続ける偽善的な体制に反発を示しながら、大抵は挫折と敗北を味わい、道端に捨てられたゴミ屑のようにあっけなく死んでいった。そんな中にあって、ひとつの風変わりな映画が登場する。ハル・アシュビー監督による『ハロルドとモード/少年は虹を渡る』(71)だ。

裕福な家庭に育ち、生きがいは自殺の真似事という19歳のハロルドと、権威を厭い、心の赴くまま芸術と自由を愛する79歳のモード。この青年と老女の恋愛を描いた映画は、公開から半世紀以上を経た今もなお、いや、むしろ時代を経た今だからこそ、その理解と支持はさらに深まっているといえる。

映画『バード・シット』&『ハロルドとモード』予告編

youtu.be

現実を反映するようにしてスクリーンに「死」が溢れていたニューシネマの時代。『ハロルドとモード』もその例に漏れず、孫と祖母ほどの年の差が離れた二人は、何の縁もない他人の葬式で初めて出会う。保守的な母親と狂信的な軍人の伯父の間で、世間の常識や規範にがんじがらめになりながら、ハロルドはなんとかして自らを囲うその檻から抜け出そうとする。戯れのように繰り返される狂言自殺は、彼にとって必死の足掻き、抵抗でもあるのだ。その一方で、もうすぐ80歳を迎えるモードにとって、死はごく自然で身近な出来事であるだろう。だが、楽天的で自由奔放に見える彼女の生き方もまた、秘められた過去を知ることで、それはひとつの抵抗の証であり、闘争であることが分かる。つまり、一見何もかもが対照的に見える二人は、その実「死」という共通項によって結ばれているのだ。そして「死」で終わるのではなく、死という「終わり」から「生」を見つめているからこそ、ニューシネマの時代にあって、『ハロルドとモード』は特別な位置を占める作品となっている。