そして世界は美しくあり続ける、冷酷なまでに

金が極めて高価で、富と権力の象徴にもなること(金屏風を見て「ぜいたく」「金持ち」を連想するのも我々の価値観を反映したものの見方だ)も含めて、金屏風は実のところ、観る者の内面をもそこに反射・反映してこそ観られるために、過去の日本で盛んに作られたのではないか?

いや心、つまり内面の反映と、外面的・実際に、物理的に見えているものを、客観と主観といったような区分けで線引きすること自体、光琳の「燕子花図屏風」や「八橋図屏風」の前では、あまり意味を持たないような気がする。

尾形光琳 燕子花図屏風 江戸時代18世紀 根津美術館 国宝 右隻(部分)

光琳はフラットかつマットに塗られた群青の燕子花の花と緑青の葉を、光を強く反射する金箔と対比させる。反射率の違いから、金箔の部分は観る者が屏風の表面に対してどのような距離で、どんな角度から観ているかによって、その輝きや色合いが変化して見える。だがこの変化は別に屏風の中に起こっているはずもなく、単に我々の立ち位置と視点が変わっただけだ。

我々が「燕子花図屏風」を観るとき、その金箔の背景に反射・反映されて我々が見ているのは、自分たち自身の具体的な肉体的立ち位置であり、その光と同時に我々の目に入る、極度に抽象化・図案化された群青の色彩のパターンとしての燕子花の図象にどのような現実の自然界の花を連想するのかも、我々の内面心理から派生する認識の問題だ

尾形光琳 燕子花図屏風 江戸時代18世紀 根津美術館 国宝 左隻(部分)

だとしたら三島由紀夫と尾形光琳、そして室町時代初期の金閣寺と江戸時代の「八橋図屏風」という一見かけ離れたものを結びつけた石岡瑛子の直感は、恐ろしく正しかったことになる。映画は三島由紀夫(緒形拳)が防衛庁を襲撃し自決する日の朝の三島と楯の会の面々を、ポール・シュレイダー監督らしい抑制されたリアリズムで映し出して始まり、英訳された「仮面の告白」のテクストなどを使ったナレーションで、三島の内面を英語の一人称で(つまり三島の文章それ自体にある微妙な自己客観性を際立たせて)語りつつ、幼少期からその生涯をモノクロ映像のフラッシュバックで追う。映画は同時に、三島の小説を根底では自伝的なもの、その極度に個性的な主観を客観的論理性の文学表現に昇華したものと解釈し、三島が創造したその小説世界を、現実の三島のエピソードと並行して見せていく。第一章の中の「金閣寺」の映像化がその最初で、第二章で取り上げられるのは当初の構想では「禁色」だったのが三島夫人の反対で新聞小説「鏡子の家」になり(主演は沢田研二、左幸子、李麗仙)、そして第三章の「楯の会」や自作・自演の短編映画『憂国』、東大全共闘との討論などのエピソードと並行して「豊饒の海」の第二部「奔馬」(主人公の学生は永島敏行)が映像化され、第四章が防衛庁立て篭もり事件で、完璧な芸術としての人生の完成にして三島の究極の最終作品となる自決で終わる。この三つの小説の部分の美術を任され、映画セットの常識を覆す斬新なデザインを提供したのが、石岡瑛子だ。

源氏物語図屏風 江戸時代17世紀 根津美術館蔵

その石岡が「神々しい」、そして「生命」と呼んだ光琳にインスパイアされた「金閣寺」の、映画の中での位置付けはとりわけ入り組んでいる。その複雑さが逆に、光琳の表現の、極度の抽象化で突き詰めた本質を、逆照射しているようにも思える。

すでに三島の小説において、究極の美である金閣寺は仏教の礼拝施設で主人公も修行僧のはずが、そのイメージは性的なエクスタシーに結びついている。つまり究極の美とは、性欲が煩悩となる人間的な価値観を超越して、究極の美をどう受け取るかは人間の勝手な誤解でしかないと言わんばかりに、超然としている。映画で「金閣寺」の映像化と並行して提示されるのはまず、少年・青年時代の三島が病弱で身体的にひ弱であったことのコンプレックスであり、三島はそのコンプレックスの裏返しとして戦時下に英雄的な死の願望に取り憑かれながら、しかし徴兵検査では自分のひ弱さをわざと誇張しただけでなく肋膜炎まで偽って徴兵を逃れてしまい、だから自らの存在も欲望も偽りでしかないという告白が、ナレーションで語られる。この時の映像が、検査会場で全裸や褌一枚で並ぶ健康な若者たちの、揃って丸刈りの相似形の裸の背中だ。これがそんな「甲種合格」に属すことがない三島の主観として見せられることで、身体的コンプレックスとその裏返しとしての健全で屈強な肉体への憧れと同時に、抑え難い同性愛の欲望も示される。もちろん徴兵検査の光景がエロチックなものになるという意味づけは、三島の主観を介さない限りは成立しない。そろって丸刈で並んで直立する青年たちの裸の肉体は、無感情にただ肉体であることによってこそ誘惑し、かつそろって背中を向けていることで見ている側の欲望の主観を拒絶しつつ、ただそこに並んでいる。

このように複雑な内面を抱えた三島本人の、頭脳明晰で感受性鋭敏、しかも極度に論理的だからこそ混乱し苦悩するしかない心の迷宮が、「金閣寺」の主人公の迷いとその表象として配置が変化し続ける八橋とパラレルになり、放火事件の犯人が三島の分身であり、放火が彼にとっての「究極の美」の破壊であると同時に「自分殺し」でもあることへと繋がっていく(ここは原作の自己解放的にも読めるエンディングと大きく異なる)。主人公の切腹で終わる「奔馬」だけでなく、すでに「金閣寺」が三島の自死を先行して暗示しているのだ。

源氏物語図屏風 江戸時代17世紀 根津美術館蔵 部分
庭の池にカキツバタが咲いている。すべてが金箔の「燕子花図屏風」の世界観と異なり、カキツバタが生える池は群青で塗られている。

しかもこの「自分殺し」としての放火は、総金箔貼りで金以外の一切の異物がない金閣の室内で行われることから、主人公が焼き尽くそうとしているのは金屏風の中の世界の本質そのものにも見える。つまり、主人公は自分がその中でしか存在し得ず、かつその自分を拒絶するかのように超然と存在していた世界そのものを焼き尽くしてしまうことでこそ、自分を殺そうとしている。その自己破壊が、三島由紀夫自身が自らの芸術世界の創造を完成させるためには、究極の作品としての自決しかなかったこと、三島が自分の理想とし、またそれに取り憑かれていた「日本」というイメージを自らの生命と共に永遠に現実世界から切り離そうとするからこそ防衛庁を襲撃して自決することへと、繋がっていく。

その一部となるように自分を誘惑しながら、その自分を同時に拒絶して超然と存在する「究極の美」「完全な調和」の、完璧で動じることのない理想の世界を、燦然たる視覚イメージに表現することが石岡瑛子が「金閣寺」のデザインに当たって直面した課題だった。だからこそ抽象概念としての究極の美であり、主人公を取り巻く世界そのものでもある「金閣寺」は、光琳にインスパイアされた金屏風の中の世界としてデザインされることになったのだ。

宇治図屏風 江戸時代17世紀 根津美術館蔵
画面を横切る宇治川の右下に平等院、右上には宇治上神社、左上に萬福寺など。宗教的なテーマというよりは、観光的な名所絵か? 川の両岸には商店や川魚の漁など、宇治の庶民の生活が活き活きと描かれている。

逆に言えば尾形光琳の、在原業平の「かきつばた」の歌と「八橋」をモチーフにした金屏風以外なら、そんなインスピレーションにはなり得なかったのではないか?

なぜなら「燕子花図屏風」で光琳が具現し、「八橋図屏風」で繰り返した世界観が、まさにそういう誘惑と超越、自己投影による同化と拒絶を同時に併せ持つ視覚体験だからだ。

「聖なるもの」すら超越した、「ただそこにある世界」のニュートラルな存在

改めて「燕子花図屏風」を見直す。

尾形光琳 燕子花図屏風 江戸時代18世紀 根津美術館蔵 国宝

抽象化を徹底したフォルムと色数の限定、そして金箔の効果ゆえに、この屏風を観てなにかを感じるということは、実はそれを観る時の位置関係という自分自身の物理的な立ち位置と、抽象表現の燕子花の群生にどんな花を想像するのかという内面の認識を、同時に反映したものに他ならない。

だが我々がそうやって金屏風に魅了されると同時に、物質としての金箔と、厚塗りされた群青、そして緑青の顔料そのものの存在もまた、明らかに我々の眼前に、ニュートラルな、我々の干渉を一切受けない不変なものとして、そこにある。

尾形光琳 燕子花図屏風 江戸時代18世紀 根津美術館蔵 国宝 左隻(部分)

「燕子花図屏風」はあらゆる多種多様な解釈を観る者の中に引き起こすようにその感性を誘惑しながら、そこから出て来るどんな解釈も超越して、手の届かない超然とした世界として、そこに存在し続ける。

あるいは、この展覧会の構成が提示するように、濃い青と緑と金の三つの色は、聖なるものに関わってその聖性を表現する色彩として日本文化に受け継がれ、我々もまた無意識な集団的記憶としてその色彩の文化を引き継いでいるがゆえに、この3色の組み合わせに魅了される。

春日社寺曼荼羅 南北朝時代14世紀 根津美術館蔵

だが聖なる色の中でも特に大自然と結びつく緑は、人間世界にとっての異界であり、時には魔界すら示す色でもある。

兜率天曼荼羅 南北朝時代14世紀 根津美術館蔵
兜率天は釈迦の入滅から5億6千7百万年後に衆生の救済のために如来となって地上に現れるという弥勒菩薩が、それまで日々如来に到達するための修行に明け暮れて暮らしているとされる場。

自然が自然そのものである以上は、聖と認識するのも魔界や鬼として恐れるのも、結局は我々人間の生存の都合と、その都合に基づく受け取り方に過ぎず、八百万の神々に満たされているとかつての日本人が信じて来た大自然は、聖なるものであるが故にそれ自体はニュートラルな、超越した存在として、ただそこにある。

宇治図屏風 江戸時代17世紀 根津美術館蔵 部分
画面の下部・手前には後ろ側から見た平等院の阿弥陀堂(鳳凰堂)。宇治川の中州には石造十三重塔、対岸には宇治上神社。

石岡瑛子のデザインした「金閣寺」の金屏風の中の世界観は、放火犯になってしまう主人公と三島由紀夫自身の内面を投影した世界でありながら、同時にそれが金という高い反射率を持つと同時に一切の化学変化を受け付けない不変の物質で取り囲まれた世界である。金はその中の人間の心や内面をただ反射してるだけで、金色の世界それ自体はなんらその内部の人間たちに干渉されることも変化することもなく、ただ超越して、そこに存在している。

尾形光琳が「燕子花図屏風」で創造した金屏風の中の世界も、究極には、そのようなものなのではないか?

尾形光琳 燕子花図屏風 江戸時代18世紀 根津美術館蔵 国宝 右隻(部分)

徹底的に省略され、フラット化され、抽象化された、金地に浮かぶカキツバタの群生。ここまで突き詰められた表現は、もはや主人公を描かずにその存在を暗示するという「留守模様」ですらない。

これが業平の「かきつばた」の歌に基づくという外部情報があれば、カキツバタの群生を都を離れた男がそこに遺した妻に思いを馳せながら見た光景として、この絵を観ることもできなくはないだろう。しかしそれはこのモチーフの底本が「伊勢物語」だと知っている観客の内面だけに起こり得る感じ方であって、そんな情感を示唆する要素は、特に「燕子花図屏風」の場合、絵の中にはまったくない。

「燕子花図屏風」を構成する色彩と同じ配色の陶器の例
色絵菊花文綾花形台鉢 江戸時代17世紀 個人蔵

「八橋図屏風」であればまだ、観るもののを絵画内の世界に誘う分かり易い手がかりとして橋が描かれ、水平線と斜めの線のリズミカルな組み合わせが自然に我々の視線を誘導してくれる。橋があるので、その上を歩く業平を想像して自分を重ね合わせることもできるかもしれない。

「八橋蒔絵螺鈿硯箱」は蓋を開けると金箔で装飾された硯が載せられた金箔の中蓋があり、その下には一面に金の線で文様化された海の波が広がっている。単に在原業平をモチーフにしただけでなく、はるかに壮大なテーマが実は隠されているのだが、硯箱なので観る者はまず蓋を開け、硯を使うために箱から出し、その下に納められた紙を取り出すために中蓋を取るという具体的なアクションによって、順を追って世界の壮大な普遍性という真のテーマに到達できるよう、分かり易く誘導される。

そうした分かり易い仕掛けも、「燕子花図屏風」には一切ない。

尾形光琳 燕子花図屏風 江戸時代18世紀 根津美術館蔵 国宝 右隻(部分)

我々の視覚はまず金・濃い青・緑の色彩とその明解なコントラストに誘惑され、その視線は絶妙に配置された群青の花と緑青の緑の、同じ角度の斜めの線の繰り返しのバリエーションで複雑かつ明快にリズミカルに構成された配列に引き込まれるだろう。

そして視線が金屏風の前を行ったり来たりしながら、金の反射する光の変化に沿って絵の中の世界に入り込もうとする。

尾形光琳 燕子花図屏風 江戸時代18世紀 根津美術館蔵 国宝 左隻(部分)

しかしそこで動いているのは、我々観る側の身体と心だけだ。

金屏風はただ超然とそこにそびえ立ち、抽象化され尽くしたカキツバタの群生は不動のパターンとしてただそこにあり続け、我々をどんな「真理」や「テーマ」や「作者の言いたいこと」にも、連れて行ってはくれない。

同じモチーフを扱った「八橋蒔絵螺鈿硯箱」を手がかりに考えるなら、「八橋」と「燕子花」に光琳が見出したテーマは、おそらくは在原業平の歌や「伊勢物語」を遥かに超えて、ほとんど関係がないものに到達していたのだろう。あるいは一見浮ついた恋愛遍歴を語る「伊勢物語」を密かに貫く、この現世が「憂き世」であり「浮世」でしかないという無常感を突き詰めたところに、人間のどうしようもないはかなさの限界との対比で、光琳はそこに世界の根幹の絶対性、ただ超然と存在し続ける不変さ・普遍性を見出していたのかも知れず、だとしたらその世界観には在原業平本人が存在できる余地は、「留守模様」としてすらないのかも知れないか、業平本人も「八橋蒔絵螺鈿硯箱」の底に広がる無限の海に溶け込んで、その一部となっているのかも知れない。

尾形光琳 燕子花図屏風 江戸時代18世紀 根津美術館蔵 国宝

「燕子花図屏風」の出発点が業平が観たであろうカキツバタの群生の絵画化であっても、金・濃い青・緑の色彩に還元されることで、その色彩には仏の世界や八百万の神々の世界が投影されてもいる。

光琳はその聖なる色の組み合わせを、色彩そのものへと還元するまでに突き詰め、その突き抜けた先に、金箔と顔料という物質そのものに抽象化された、我々が存在する物質世界の真理そのものが、この金屏風には凝縮されている。

その物質世界つまり宇宙は、我々人間がどんなにもがき悩み足掻こうが、不変にして普遍なものとして、屹立し、超越的に、ただ存在し続ける。

尾形光琳 燕子花図屏風 江戸時代18世紀 根津美術館蔵 国宝