金と群青と緑青だけ。材料費から考えれば途方もなく贅沢な金屏風

「燕子花図屏風」は極端に抽象・単純化されているだけでなく、色数がそもそも極端に限られていることが、強烈なインパクトをもたらす。金と群青と緑青だけ。その原材料が、今回の展覧会では屏風と向かい合わせで展示されている。

国立科学博物館より特別出品の鉱物サンプル
奥からアメリカ産の自然金、アメリカ産と中国産の藍銅鉱(アズライト)、アメリカ産の孔雀石

この極端なまでに突き詰めた到達点の創造は、とても不思議でもある。「燕子花図屏風」は描かれた経緯がほとんど分からないのだが、単純に材料費だけを考えても、注文主によほどの財力があったことは確かだ。金が高価なのはいうまでもなく、金屏風の製作には戦国時代や江戸時代初期なら俗に最低でも十万石クラスの大名の財力が必要だったと言われる。

だがあえて色数を絞った「燕子花図屏風」のぜいたくさは、ただでさえ高価だった金屏風の中でも群を抜いているはずだ。

群青の顔料は、さすがにアフガニスタンなどでしか産出しないラピスラズリ(青金石、瑠璃)を砕いて作っている例は日本では稀だが、酸化した銅が青い結晶になった藍銅鉱(アズライト)が原料で、この鉱石はブルー・マラカイトという宝石扱いにもなっている。緑青はやはり銅の酸化物で宝石でもある孔雀石。どちらも金に負けずに希少で高価だったはずだ。

尾形光琳 燕子花図屏風 江戸時代18世紀 根津美術館蔵 国宝 右隻(部分・左端)
まったくと言っていいほど褪色が見られないことからも、上質の顔料をふんだんに使っていることが明らか

光琳はこの3色だけで大きな画面を埋め尽くす。カキツバタの花のサイズも「八橋図屏風」よりひとまわり大きく、群青の花は近くで見ると相当にたっぷりと、盛り上がらんばかりに厚塗りしているように見える。だいたいまず、現実のカキツバタはそんなに大きな花ではない。「八橋図屏風」ですら橋の大きさとの比較は明らかにおかしいし、「燕子花図屏風」の花はそれよりひとまわり大きい。

光琳の他の作品を見れば、墨の線が滑らかで、時に軽妙で常に繊細で緻密、そして時には荒々しいほど勢いがあっても、常に適確で迷いがない筆遣いの巧みさがよく分かるし、「八橋図屏風」でも花の描き方に巧みに形態と立体感を捉えた筆致も見られる。橋の板は琳派の得意とした「たらし込み」テクニックの絵の具の滲みで歳月を経た木の板の質感が表現されている。

だがそうした高度なテクニックの習熟を示す表現は、「燕子花図屏風」ではほぼ完全に封印されている。

尾形光琳 燕子花図屏風 江戸時代18世紀 根津美術館蔵 国宝 (部分)

あえて筆の流れを殺したように、べったりと塗られた顔料は、呉服商の御曹司で着物の柄のデザインも手がけた光琳が、染色のように型紙を使ったという説もあり、陰影の表現も濃淡の群青や緑青の色面を明解に分割し、ムラがほとんど見えない塗り方で、丁寧に、濃厚に塗りつぶされている。

実際のカキツバタよりも遥かに大きな花の、色そのものの、顔料の質感の迫力が、実在のカキツバタの花をリアルに描写するだけではなかなか到達できないであろう、ほとんど神がかった存在感をもたらしている。岩絵の具のマットな物質感が光を反射する金地の上に置かれた時に、その反射率の高さと拮抗してますます底知れぬ存在感を増す。

尾形光琳 燕子花図屏風 江戸時代18世紀 根津美術館蔵 国宝 右隻(部分)

光琳は金という素材の効果も計算し尽くしていたに違いない。反射率が高い金箔が貼られた面は、見る角度や距離によって見る者の目に入る光の量や波長が変わるので、光の加減によって近づくとより輝いて見えたり、時に微妙な赤みを帯びたりする。

それが艶消しに見える群青と緑青の色面との対比によって、まるで金地が明暗や陰影で塗り分けられているような錯覚が起こる。

尾形光琳 燕子花図屏風 江戸時代18世紀 根津美術館蔵 国宝

平板な金一色のはずなのに、いや平板で均一だからこそ、光のあたり方と観る者の位置関係で、そこに明暗と濃淡があるように錯覚し、空間の広がりと奥行きが生まれる。しかもそれは、屏風の前を歩き移動することで、刻一刻と変化する。

金箔の効果の光の魔法を最大限に生かすために、光琳はあえて色数をここまで限定し、フラットな塗り方も徹底させたのではないか? それにしても光琳はなぜ、ここまで色数も色のニュアンスも限定し、そしてなぜ我々はこの濃紺と緑と金という3色だけの組み合わせに、ここまで魅了されるのだろうか?