字幕と吹き替えの違い
前田
あと、どちらか一方だけが変じゃなくて、その変に対する対抗感がなければ話題が弾まないので、必ず二人なんですよね。相手側も違うベクトルで変っている。こういう感覚でずっと弾んでる感じが楽しい。どう転んでもへこまない空気があるというか(笑)。
根岸
だから振られる側っていうのは大概いい人や普通の人ですよね。『新婚道中記』も『ヒズ・ガール・フライデー』と一緒で、ラルフ・ベラミーっていう大柄な役者だけど、あの人も振られたときに脇にいた叔母さんから“卒業証書”を与えられて、あっさり消えちゃう感じが潔くて。
高田
あれはどういう設定でしたっけ?『新婚道中記』の後から迫ってくるその人って、オクラホマか何かの人で。
根岸
そう。要は中西部オクラホマ出身の田舎者ですよね。
高田
一方のケイリー・グラントは都会人で、フロリダで浮気してるんですよね。
根岸
そうそう。フロリダでというか、フロリダに行ったふりをして、ニュヨークで浮気をして肌を焼いているとこから始まる。
高田
ああ、そうでしたね(笑)。彼が奥さんに「退屈したらタルサの街に出かければいいよ」って言うんですけど、タルサはもともと強制移住させられたネイティブ・アメリカンや黒人奴隷の居住地で、石油が発見されて景気が良くなり、流入してきた白人とのあいだでタルサ大虐殺が起きた。案外、キツいギャグを入れてるのかなと思ったり。
根岸
英語が分かれば、より面白いんでしょうけどね。
高田
そうかもしれないですね。地域や貧富の差がある。だから上辺だけで見ると能天気に笑えるんだけど、意外とヘビーな地域格差とか、常識の違いのようなものを放り込んでいると思います。
前田
あと僕は台詞が飛び交う、あのスピード感を吹き替えで見てみたい。
高田
それはあるよね。
根岸
吹き替え版はあんまり出てないよね。
前田
そうなんですよ。例えばアーロン・ソーキン脚本の『スティーブ・ジョブズ』(15)や『ソーシャル・ネットワーク』(10)、最近の『シカゴ7裁判』(20)などは、楽しい台詞や会話が延々と続くじゃないですか。それを吹き替えで見てもすごく気持ち良かったんです。だからスクリューボール・コメディも吹き替えの方がむしろ入りやすいんじゃないかなと思ったりして。
高田
ギャグや言い回しの面白さが、字幕で要約されると半減しちゃうんだよね。ほんと『ヒズ・ガール・フライデー』とか超見たいよね。
前田
そう!あれを吹き替えで見たい。
高田
注釈付きで、例えば町山智浩さんに当時の社会情勢なんかを解説してもらいながら見てみたい。
根岸
ルビッチの『生活の設計』(33)で、ミリアム・ホプキンスがゲイリー・クーパーとフレドリック・マーチと一緒にパリで同居する条件として、二人とは一切セックスはしないというのがあって。彼女がそれを宣言する台詞の一つに、野球の比喩が出てくるんですよ。「あなたたちの自意識を抑えこみ、野球のバットで鍛えてあげる」とか。もう一人、エドワード・E・ホートンというおじさんも出てきて、後半でミリアム・ホプキンスと一応結婚するんだけど、彼が「一塁さえ踏めなかったのは私だけじゃない」みたいなことを言うんです。スクリューボール・コメディの「スクリューボール」って、そもそもが「ひねり球」「変化球」の意味だから、台詞にも野球の喩えが出てくる。脚本はベン・ヘクトですけど、英語ではそういうことを言ってるんだなあって。
高田
そういう台詞の面白さって、字幕にするといまいち分からない所があったりする。すごく台詞が凝ってるんですよね。
根岸
字幕になると意訳されちゃう場合もあるからね。ヒッチコックの『スミス夫妻』(41)でも、キャロル・ロンバートのことをあるおじさんが形容する際に、耳で聞くぶんには〝half a mile Baseball bat〟と聴こえていて、野球のバットでかっ飛ばすみたいなことを言ってるのかなと勝手に思ったりしたんですけど、字幕は「勇ましいお嬢さん」と訳されてました。お転婆ってことなのかな。だから実際に英語で耳にするのと、日本語字幕で見る感じとは微妙にずれてる場合もあると思う。上手く訳してはいるんでしょうけど。
高田
確かに。吹き替えで見ながら、字幕も出しっぱなしで見てみたい感じはありますね。
根岸
高田さんはシナリオを執筆するとき、台詞研究のために『ソーシャル・ネットワーク』の日本語吹き替えを流しながら書くって聞いたけど、本当ですか?
高田
本当です。よくアーロン・ソーキンの映画を流しっぱなしにしてます。一つひとつの台詞が凝っているので、その面白さに追いつこうとして書くという。
根岸
なるほどね。だから台詞が多くなるんだ(笑)。
高田
あはは(爆笑)。僕はいまだに台詞が少ないほうが良い映画だっていう常識に反発したい気持ちがあるんです。前田くんとは「台詞は悪いもんじゃない」っていつも話しています。
前田
僕の自主映画も台詞は長いほうだったので(笑)。台詞を少なくすることに反発もあるんですよね。「ファミレスに行ったらみんな喋ってんじゃん!」みたいな(笑)。
高田
喋ってるだけじゃつまらないっていうんだったら、「朝生」があんなに続くわけがない(笑)。
前田
台詞をすべてちゃんと聞かせる必要もないと思っていて。何かこう、ずっと喋っている時間もすごくいいよなと。
高田
ほとんどサブリミナル的にね(笑)。
前田
そうですよね。特にアーロン・ソーキンは流している部分もあるじゃないですか。ある意味、意味を持たせないというか。がーっと勢いでいっちゃう感じ。おそらく彼もスクリューボール・コメディが好きなんだと思います。台詞が音楽のようになってますもんね。すごく楽しさを維持している感じがする。
根岸
だからスクリューボール・コメディをつくるとても重要な要件として、女優や男優さんが大量の台詞を結構なスピード感を持って楽々とこなせるってのは肝で、キャサリン・ヘプバーンやミリアム・ホプキンスもそうだし、バーバラ・スタンウィックなんかも楽々とこなしている印象がありますよね。
高田
独特のリズム感を歌うように喋るというか。前田くんが言ったように、一つひとつの台詞を大事に喋るんじゃなくて、ある流れのなかでメロディーのように喋ってほしいっていうのはありますね。
根岸
だからマレーネ・ディートリッヒは大女優だと思うし、ルビッチの『天使』(37)にも出てたけど、アメリカの出身ではないから、やはり喋り方に関してはノソノソしてると思う。スクリューボール・コメディとは違うジャンルですごい女優には違いないけれど、軽快に喋れるかどうかはまた別だなと。
前田
この人が奏でる、この人のリズムで、というか。役者のリズムに合わせつつ、その人が思いつきで喋っているような感覚。「いま、何て言った?」って聞いても「覚えてない」と答えるぐらいの口調というか。それをずっと維持していけたらいいですよね。