ドキュメンタリー映画『オードリー ・ヘプバーン』を5月6日(金)より劇場公開いたします。永遠の妖精と呼ばれ、美の概念を変えた革新的な存在でスターとしての名声を得たオードリー。
世界中から「愛された」彼女は一方、実生活では愛に恵まれなかった。多くの悲しみと孤独を抱えながらも、「人生の最後に、自分のことを好きになれた」と語る彼女の本当の姿とはー。今解き明かされるオードリーの生き方は、きっと、あなただけの幸せを見つけてくれる。

名声に隠されたオードリーの本当の姿を描く初の長編ドキュメンタリー映画

本作では、過去の貴重なアーカイブ映像をふんだんに盛り込み、近親者によって語られるインタビュー、そして滅多に聞くことができない本人の肉声によるインタビューによって名声に隠された彼女の本当の姿が描きだされます。ひとりの女性として、人間として、最後まで人々に愛を説き続けたオードリー・ヘプバーン。生涯をかけて「愛すること」を信じ続け、本当の幸せをつかんだオードリーの人生が今、紐解かれます。

4月24日(日)都内で行われた本作の試写会に、オードリー・ヘプバーンと親交が厚く、日本の親友としてプライベートでも親密な関係を築いてきた加藤タキさんが登場。映画の公開を記念して、オードリーから贈られたという直筆のお手紙を披露し、加藤さんだからこそ知るオードリーの意外な素顔やプライベートのオードリーがどんな女性だったのか、エピソードを明かしました。

死後、30年近くを経ていまなお世界中で愛され続ける偉大なる映画スター、オードリー・ヘプバーンの真の姿に迫るドキュメンタリー映画「オードリー・ヘプバーン」が5月6日(金)より公開となる。
4月24日(日)、都内で試写会が行なわれ、上映後のトークイベントに生前のオードリーと深い親交があったコーディネーターの加藤タキが出席。オードリーとの様々なエピソードや知られざる素顔について語った。タキさんは20年以上にわたって公私ともにオードリーと親交を結んできたが、そんなタキさんもこのドキュメンタリー映画を見て「『そういうことだったのか…。あぁ、なるほど』と納得したことが多々ありました」と初めて知ることが多かったと明かす。
「これまで疑問に思っていたことで、(映画を観て)一番納得がいったのが、彼女の『愛』に対する考え方。(オードリーは)慈愛に満ちていると言うけど、どうして彼女は求める愛ではなく、与える愛を選んだのか? このドキュメンタリーを見て『なるほど』と思いました」とうなずいた。

画像: オードリー・ヘプバーンと加藤タキさん(1982年に撮影されたもの)

オードリー・ヘプバーンと加藤タキさん(1982年に撮影されたもの)

画像: 加藤タキさん

加藤タキさん

タキさんが初めてオードリーと顔を合わせたのは、ウィッグのCMのコーディネーターとしてオードリーのローマの自宅を訪ねた51年前の1971年で、タキさんは当時26歳だった。「ツタの生えたレンガ造りのアパートメントで、大きな木の扉をノックし、メイドさんがいらっしゃるかと思ったら、オードリーさん本人がワインカラーのニットのワンピース姿で『ウェルカム!』と迎えてくださいました。何にびっくりしたって、15人ほどのスタッフを連れて伺ったのですが、ひとりひとり自己紹介したら、次の瞬間からちゃんと全員の名前を覚えて呼んでくださるんです。みんな『オードリーさんのためなら何でもやろう!』と思わせてくれました」と驚きのエピソードを明かす。
さらに「ひと段落してお茶を…となった時、銀のトレイに乗った銀のポットでコーヒーと紅茶を、レモンもミルクも全部自分で用意してくださるんです。ひとりひとりに『コーヒー? ティー?』と聞いてくださって、そんなオードリーさんにみんな吸い込まれちゃうんです!」と世界的大スターでありながら、スタッフひとりずつに細やかな気遣いをする女性だったと語る。仕事の場に限らず、普段からオードリーは「ごく普通の方。ナチュラルでした」と明かすタキさん。2回目のCM撮影で、パリを訪れた際も「(パリの常宿に)朝の7時半に迎えに行くんですが、7時29分に下から電話をすると、7時30分20秒にはおひとりで、ルイ・ヴィトンのバッグを持って降りてらっしゃるんです。『お持ちしますよ』と言っても、『これは自分の荷物だから』と。本当に自然体で偉ぶることがなくて、それはこのドキュメンタリーでも出ていたと思います」と語った。

ファッションに関しても「普段からとてもシンプルでした」とのこと。ある時、オードリーから「相談に乗ってほしい」と言われ、何かと思ったら「寒波が来るので、初めて毛皮を買うんだけど、何を買っていいかわからない」とアドバイスを求められたという。オードリーは普段から毛皮はおろか「カシミヤでもないウールのコートを着ていて、『これが居心地が良いし、私には似合うから。毛皮は似合わない』とおっしゃっていました」と明かし、タキさんが映画の中で彼女が身に着けていた毛皮やアクセサリーがとても似合っていたと本人に伝えると「タキ、あなたは勘違いしてるわ。あれは映画の中のオードリー・ヘプバーンが演じているだけで、素のオードリー・ヘプバーンには居心地が悪いし似合わないわ」と言われたという。
一方のタキさんは、当時からたくさんのアクセサリーを身に着けていたが、オードリーはそれに対して「タキはいっぱい着けるのが良く似合うわ。THAT IS YOU.(それがあなたなのよ)」と言ってくれたという。タキさんは「自身の価値観を他人に押し付けるようなことはせず、『自分は自分。他人は他人。成熟した人間ならわかるわよね?』という方でした」とふり返る。

画像: オードリー・ヘプバーンと加藤タキ(1971年に撮影されたもの)

オードリー・ヘプバーンと加藤タキ(1971年に撮影されたもの)

画像: プライベートのオードリー・ヘプバーン(1982年に撮影されたもの)

プライベートのオードリー・ヘプバーン(1982年に撮影されたもの)

また、プライベートでは愛に恵まれなかったと評されることが多い、オードリーの恋愛に対する考えに話が及ぶと、タキさんはパリでの撮影時の彼女との印象深いエピソードを披露。当時、オードリーは2度の結婚と離婚を経て、ロバート・ウォルダース氏と付き合っていたが、彼が席を外している時にタキさんはオードリーに「どういう男性が好きなの?」と尋ねたという。「すぐに返ってきたのが『A strong man(強い男)』という答えでした。思わず『え?』という顔をすると、彼女はウインクしながら『いま、マッチョな男を想像した(笑)? 違うわ。強い人というのは、挫折を知っている人のこと。挫折を味わった人は、それが強さと優しさに変わっていくのよ。それが“Strong man”よ』とおっしゃいました」と明かした。タキさんは、オードリーの恋愛観について「父親から与えられなかった愛が、彼女の挫折感、トラウマになっていたことが、この映画を観て理解できました。愛に恵まれなかった人は、世の中に対し斜に構えて素直になれないことが多いですが、オードリーさんはこの映画の最初のほうで『愛を受け入れるか? 拒絶するかの人生しかない』ということを本で読んだと言っていました。彼女は受け入れ、そうすることによって、求めても、求めても、与えられなかった愛を“与える愛”に進化させていったんだと、私は思いました」としみじみと語っていた。

また、オードリーは晩年の人生をユニセフ親善大使の活動に捧げ、世界中の貧困地域を訪れたが、タキさんはオードリーが口にした忘れられない2つの言葉を明かしてくれた。ひとつは、世界的な女優である自身がユニセフ大使として募金活動に奔走すると、多くのお金が集まることについて口にした「私はそのために女優をやってきた気がする」という言葉。もうひとつは、バブル期に来日した際にホテルでビュッフェ形式で行われた歓迎パーティーでの言葉で、オードリーはパーティ会場の隅で、人々が食事を皿に盛る様子を見ながら、寂しそうな眼差しで「タキ、日本だけじゃなく、アメリカでもヨーロッパでも、みんな自分が取った食事を食べきらないうちに皿を置いて、次の食事を取りに行ってるわ。もったいない。私は残飯でいいから、全てを引っさらって、このまま飛行機でバングラディシュに行きたい」と語ったという。少し前に大使として訪れたバングラディシュで、オードリーは、ある子どもから、配給で配られた1個のコッペパンの半分を「はい」と差し出されたそうで「それを手にしたとき、私はこんな大きな愛情をもらっているんだと、それが大きな喜びになった」と語っていたという。

この日のトークでは、タキさんがオードリーから受け取ったという直筆の手紙も披露。亡くなる前年の1992年の8月の日付の手紙には、グラフィックデザインを学ぶ次男のために、日本のデザインの本を送ってくれたタキさんへのお礼や、おかげで次男が無事に卒業できたという報告、さらに「息子はちゃんとあなたにお礼状を書いたかしら?」という“母親”の顔をのぞかせる言葉がつづられていたという。その頃、彼女の身体は既に病魔に蝕まれていたが、タキさんは「9月に入ってお電話をいただいて『ようやくユニセフの1年の予定が終わって、帰ってきたばかりで、1か月お休みだけど、10月からまた来年のユニセフの活動の計画を立てるわ』と言っていて、ひと言も『具合が悪い』といったことがおっしゃいませんでした」と述懐。

画像: (手紙):1992年に撮影されたもの

(手紙):1992年に撮影されたもの

画像1: 4月24日(日)都内で行われた本作の試写会に、オードリー・ヘプバーンと親交が厚く、日本の親友としてプライベートでも親密な関係を築いてきた加藤タキさんが登場。映画の公開を記念して、オードリーから贈られたという直筆のお手紙を披露し、加藤さんだからこそ知るオードリーの意外な素顔やプライベートのオードリーがどんな女性だったのか、エピソードを明かしました。

その後、タキさんは年末にクリスマスカードを送ったが、例年ならすぐにお礼の連絡をくれるのに、何の音沙汰もなかったことからおかしいと思って電話をし、そこで彼女がアメリカにいることを知り、息子と連絡を取って、病気であることを知らされたという。それでも、タキさんはそこまで症状が重いとは思ってなかったという。1993年1月20日にオードリーは63歳でこの世を去ったが、タキさんは「21日の朝にラジオをつけたら、彼女の曲が掛かっていて、(死を知り)本当にびっくりしました…。早すぎて…。心を痛めるというのは、ストレスになり、病を引き起こすことになるんですね。よく(恋人の)ロバートさんが『休ませなきゃ』と言ってましたが、そういうことだったんですね。いま、ご存命だったら、ウクライナのことを彼女はどう感じて、どういう行動をとっていらしたかな? と思います」と声を詰まらせながら、語った。

画像2: 4月24日(日)都内で行われた本作の試写会に、オードリー・ヘプバーンと親交が厚く、日本の親友としてプライベートでも親密な関係を築いてきた加藤タキさんが登場。映画の公開を記念して、オードリーから贈られたという直筆のお手紙を披露し、加藤さんだからこそ知るオードリーの意外な素顔やプライベートのオードリーがどんな女性だったのか、エピソードを明かしました。

トークの最後にタキさんは、オードリーが無類の親日家だったことにも言及。欧米のスターを迎える際にも控えめな態度だと聞いていた日本のファンが、熱狂的に出迎えてくれたことを非常に喜んでいたそうで、タキさんは「ある時、彼女は私に『タキ、私は前世で日本人だったかも。それくらい、日本が好き』と言っていました」と語り、死後30年近くが経ったいまでも映画雑誌などの好きな女優ランキングでオードリーが上位にランクインされることについて「日本のみなさんは、どこかで彼女の本質を見抜いているんだと思います。いまでも、こうして彼女の映画にみなさんが集まってくれることを、とってもお喜びになると思います」と語っていた。

映画『オードリー・ヘプバーン』予告編

画像: 映画『オードリー・ヘプバーン』予告編 5月6日(金)公開【STAR CHANNEL MOVIES】 youtu.be

映画『オードリー・ヘプバーン』予告編 5月6日(金)公開【STAR CHANNEL MOVIES】

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ストーリー
幼少期に経験した父親による裏切り、ナチス占領下のオランダという過酷な環境で育った過去のトラウマ、奪われたバレエダンサーへの夢、幾度の離婚…劇中では、過去の貴重なアーカイブ映像とともに、近親者によって語られるインタビューによって、これまで隠されてきたオードリーの一人の女性としての姿が描き出されていく。晩年は、ユニセフ国際親善大使として自身の名声を善のために尽くし、慈善活動を通して大勢の人たちに癒しと救済をもたらした。本作では、リチャード・ドレイファスやピーター・ボクダノヴィッチ監督ら俳優時代の仲間、そして息子や孫、家族ぐるみの友人など、プライベートに迫るインタビュー映像、貴重な本人の肉声によるインタビューがふんだんに盛り込まれ、愛情と寛容の力の証として存在する、極めて特別なひとりの女性の姿を、鮮やかにスクリーンによみがえらせている。

監督:ヘレナ・コーン

キャスト:オードリー・ヘプバーン、ショーン・ヘプバーン・ファーラー(オードリーの長男)、エマ・キャスリーン・ヘプバーン・ファーラー(オードリーの孫)、クレア・ワイト・ケラー(ジバンシィの元アーティスティックディレクター)、ピーター・ボクダノヴィッチ(アカデミー監督賞ノミネート)、リチャード・ドレイファス:
アカデミー賞受賞俳優(
『アメリカン・グラフィティ』、『ジョーズ』)他

振付:ウェイン・マクレガー
バレエダンサー:アレッサンドラ・フェリ、フランチェスカ・ヘイワード、キーラ・ムーア

100分/2020年/イギリス/5.1ch/ビスタ/字幕翻訳:佐藤恵子/原題:“Audrey”

配給:STAR CHANNEL MOVIES 
協力:(公財)日本ユニセフ協会

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公式Twitter @audrey_cinema

映画「オードリー・ヘプバーン」は5月6日(金)ロードショー。

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