数々のアーティストのMVを手掛けてきた廣賢一郎監督×若手実力派・芋生悠による、忘れられない痛みを背負った男女のロードムービー『あの群青の向こうへ』が1月11日よりアップリンク渋谷他にて全国順次公開中です。
このたび、シネフィルでは今作の監督の廣賢一郎氏と、若手女性監督のトップランナーとして走り続ける松本花奈監督のフレッシュな対談をおこないました。
廣賢一郎 監督×松本花奈 監督 cinefil 特別対談
廣監督にとっての松本花奈監督と東京
廣「早速ですが、僕は松本さんの監督した映画『脱脱脱脱17』や、インタビューは自分の映画作りの参考にと何度も見ているんですよ。」
松本「ええ!変なこと喋っていないか不安になってきました。」
廣「撮影当時の自分としてはすごく勉強になりましたよ!僕は出身が田舎だったし、映画を学校で学んでいないから、初めはどこで何を勉強して良いかもわからない状態だったんです。そういったときに、松本監督が「どう映画を撮っていたか」を知れるのはすごくありがたくて。例えば、松本さんが撮影に使用していたBlackmagicのシネマカメラは、性能は素晴らしいんですけど、見た目がオモチャみたいだから、知識がなかったら普通は「誰が使うんだろう?」ってなると思うんです。」
松本「確かに。廣さんは、どういう経緯で映画を作り始められたんですか?」
廣「僕は中学生のときに「フォレスト・ガンプ/一期一会」という作品を初めて観て。その時に「映画って面白い!」って思って、映画鑑賞にのめり込んだんです。そのうち、家のデジカメで動画を撮って遊ぶようになって、気が付けば自主映画を作るようになっていました。」
松本「なるほどです」
廣「僕は映画の学校には行ったことがなくて。その点は松本さんと少し似ていますね。実際に自分で試しながら少しずつ学んでいった感じ。ただ、僕が松本さんに対して羨ましいなと思うのは、松本さんは仲間に恵まれてることだと思うんです。松本さん自身も、監督としてついて行きたくなるような魅力があるし。」
松本「いえいえ、とんでもないです。でも仲間がいたことは大きかったですね。高校生の時に一緒に自主制作を作っていた仲間とは今でも繋がっています。」
廣「松本さんのキャリアのスタートが東京だったことも大きいと思うんですが、信頼できる仲間たちと一緒に上を目指していく感じが羨ましかったんです。自分は田舎の出身だったし、身の回りにそういう仲間がいなかったから。」
松本「地元はどちらですか?」
廣「長野県の松本市ですね。」
松本「じゃあ高校まではそこに?」
廣「そうですね。で、田舎者なんで、東京か大阪に出りゃ何か映画作れるだろうと思って。どっちも同じだろうって思ってたんですよね。田舎者だから(笑)」でも大阪来たら全然違くて。大阪にはやっぱ制作会社全然ないし、仕事も全然ないし。ほぼ東京。で、東京やっぱ行かなきゃって。で、最近東京来てみたんです。」
松本「そうなんですね。私、3年ほど前に「過ぎて行け、延滞10代」という中編映画を撮ったのですが、その中で田舎に暮らす高校生の男の子がお兄ちゃんのライブを見に初めて東京に来るというシーンがあって。ただ私自身は中学から東京に来ていたので、「初めて東京という地に足を踏み入れたときの感情」が正直分からなくて。なので、そのシーンの演出にはかなり悩みました。「あの群青の向こうへ」では”東京へ初めて来る男女”がキーとなっていますよね。東京に憧れを抱く感じやヒリヒリ感がとてもリアルだと感じたのですが、やはりそれは実体験も踏まえているのですか?」
廣「そうですね。都会の人は想像できないかも知れないんですけど、最寄り駅と呼べるような駅がなかったりするんですよ。どの駅も30分くらい離れていたりだとか。」
松本「車がないとしんどいですね・・・・」
廣「駅も東京みたいに沢山路線はなくて、上りか下りだけ、みたいな」
松本「あっち行きたいのに電車ない!みたいな」
廣「だから、僕は最初、路線図に色分けがしてある意味がよく分からなかったんです。JRかと思っていたらいつの間にか地下鉄に乗っていたりするし、いつまで経っても丸ノ内線の場所が見つからないし、新宿から山手線に乗ったら1時間くらい経っても渋谷に着けないし。(内回りと外回りを間違えて)」
松本「分かんないですよね」
廣「そういうことを映画に入れたいな、とは思っていましたね。ちゃんと入れられたかは分からないですけど」
キャスティング 主演/芋生悠 中山優輝
松本「丁度この間、一か月くらい前にワークショップがあって。そこでカガリ役の中山優輝さんに会ったんですよ。」
廣「聞きましたよ。松本監督に会いましたって。」
松本「あ、そうですか?その後の飲み会で「今度、芋生悠さんと2人で主演した映画が公開されるんですよ!」って言われて。「えっ芋生ちゃんと!監督は?」「廣監督」「え、めっちゃ知ってるー!」って感じで(笑) キャスティングはどのようにされたんですか?」
廣「当時はやっぱり俳優さんのことも全然分からなかったんですよね。どんな人がいるかとか、どういったところに相談に行けば良いかとか。今思うと恐ろしいことですが、ひたすらパソコンで調べて探していました(笑)」
松本「事務所のホームページとか検索しますよね。」
廣「だから、最初は本当にそういった感じで、地道に探していました。そんなときにSNSで芋生悠さんを見つけて。でもSNSって結構みんなあだ名でやってたりするし、肩書きが書いていなかったりするじゃないですか。芋生さんは自分で描いた絵とかも沢山投稿してたから、最初は女優さんだとは分からなかったんですよね。」
松本「ふむふむ。」
廣「だから最初はイラストレーターの方だと思っていたんですが、たまたま芋生さんが出演しているCMを目にしたんです。」
松本「あ、化粧品の?」
廣「そうですね。あとなんか、工業機械のCMかな?その時に見た芋生さんのイメージが、所謂「可愛らしい女の子」って感じじゃなかったんですよ。ボーイッシュで、どこかカッコイイ感じがしたんです。」
松本「それすごく分かります。」
廣「僕は女性がカッコよく描かれている映画が好きで。ユキ役も、可愛らしい女性よりも、芯があって逞しい女性像を描きたいと思っていたから、芋生さんに魅了されたんです。それで、ビクビクしながら電話してみたんですよ。芸能事務所か何かに--すると、最近亡くなられてしまったんですけど、マネージャーの方と連絡がついて。」
松本「難波さん?」
廣「はい。難波規精さんという方が、どこから来たかも分からないような田舎者の僕に対して、すごく丁寧に話を聞いてくださったんです。それで、なんとか出演を了承いただくことができて。でも、カガリ役の方は、全然見つからなかったんですよね。」
松本「最初はどういうイメージだったんですか。男性の方は?」
廣「ちょっとヤンチャで、やさぐれた男性をイメージしてました。」
松本「あーなるほど。」
廣「ただ、意外とそういう人が見つけられなくて。興味を持った人に限って大手の事務所の所属だったりして、そもそも連絡もつかないようなことがほとんどで。絶望しかけたときに、あるイベントで中山くんに出会いました。「俳優志望なんです」というようなことを言っていたので、なんとなく名刺を交換して、少しお喋りをしました。その後も何回か会うことがあったんですが、その時に「僕は演技の経験はないんですけど、どんなことでも本気でやります」って言われて。そうしているうちに、演技が上手いことよりも、一生懸命やってくれる人がいいなって思うようになって。クランクインの3日前とかだったんですけど、中山くんに「主演やってくれないか?」とオファーしました。」
松本「そうだったんですね。でもそんな急遽でスケジュール空いてました・・・?」
廣「「空けます!」って言ってくれました(笑)」
松本「え、じゃあ本当に初お芝居?」
廣「そうですね。」
松本「えー! すごいですね。」
廣「ところどころ棒読みになってしまうところとかはあって、最初は「これはダメかも知れない」とか思ってしまったのは事実なんですけど、彼は本当に一生懸命やってくれて。撮影終盤に行くにつれて段々演技が上手くなってきて、何とか撮り切ることができました。」
松本「芋生さんと中山さんはどうでしたか?仲良くやってましたか?」
廣「芋生さんと中山くんは結構仲良くやってましたね。きっと芋生さんが気遣ってリードしてくれていたのかな。多分役のことを考えて、なるべく2人で過ごすように考えてくれていたんじゃないかなと思っています。」
映画ロケ
松本「撮影は何日間だったんですか?」
廣「実質は1週間くらいですね。10日間の予定だったんですけど、大雨と遠距離移動でかなりの日程が潰れてしまって。」
松本「そうなんですね。」
廣「交通費を節約するために、当時住んでいた大阪から、長野、東京と移動する予定で撮影して行きました。結局、撮り切れなくて最終日の前日に、ぶっ倒れそうになりながら大阪に戻ったんですけどね。」
松本「めっちゃドライブ?(笑)」
廣「そう、しかも自分で運転してましたからね(笑)。そんなギリギリの状態なのに、大雨が降ったりするんですよね。」
松本「大雨の設定にしてしまうとか。」
廣「それも考えたんですけど、どうしてもシーンが繋がらなくなってしまうので、頭抱えてました。」
松本「誰かいますね、雨男(笑)大阪を撮影地にしたのは何でですか?」
廣「大学が大阪だったので、土地も人も味方に付けやすかったからですね。友達がいたり、お気に入りの喫茶店があったり。撮影用のスタジオを借りる予算なんてなかったですしね。」
松本「そういうこと、なんですね。」
廣「当時は僕自身も東京に来たことなんてほとんど無かったから、映画に出てくる2人に重なる部分がありましたよね。「新宿はこんなにでっかいのに、公衆トイレ全然見つからないんだけど!ここどこ!」みたいな。」
廣「どこへ行っても疲れるし、休憩場所を探すのも大変で。何かトラブルがあった時に、右も左も分からない東京で途方に暮れている余裕はないと思ったので、東京じゃなくても撮影できそうなシーンはできるだけ、大阪と長野で撮ろうと考えていたんですね。」
松本「なるほど。新宿とかやっぱ東京って感じがしますよね。」
廣「そうですね。今の僕にとっても東京と言われたら新宿ってイメージありますね。撮影前ロケハンをした時に、お金がなくて、新宿西口のヨドバシカメラ近くにある立体駐車場で、助監督をしてくれた友達と1週間くらい車中泊して(笑)超暑くて苦しかったんですけど、思い返すと凄く良い思い出に思えて。」
松本「それは少し楽しそうですね。今だから出来る醍醐味な気がします。」
未来からの手紙について
松本「場所とか、二人の雰囲気とか、滅茶苦茶リアルじゃないですか。でもその中に一個だけこう、ブルーメールという手紙のファンタジーが入ってて、それが好きだったんですけど、あの手紙の着想っていうのはどういうところから来てたんですか?」
廣「まず、この映画の脚本は、僕が20歳の時に書いた脚本で。」
松本「え、廣さん今、お幾つでしたっけ・・・? 」
廣「今は23歳ですね。当時は20歳という節目の時期だったんですが、何をやっても全然思うようにいかなくて燻っていたんです。当然ですよね。まだまだ駆け出しで、知識も、お金も、仲間もない状態だったから。このままじゃダメだなって思って、「松本さんをはじめとする監督たちはどう映画を撮っているか?」を真剣に考えるようになったんです。使うところにはしっかりとお金を使わなければいけないんだ、と気付かされたんですが、当時20歳の自分には100万、200万のお金が容赦なく消えていく感覚が物凄く怖くて。そんな恐怖も重なって、一生懸命やってはいたけれど、頼れる人もいなかったし、色んな不安で雁字搦めになって。そういうときに、未来の自分がパッと現れて、「お前は大丈夫だから!」って言ってくれたら、きっと吹っ切れるのになって思って。その時の気持ちを映画に落とし込みたいと考えた時に浮かんだアイデアでした。」
松本「なるほどなるほど。」
廣「SF映画があまり好きではないので、SFっぽく思われるのは嫌だったんですけど。雰囲気としては『イルマーレ』とか、ああいう感じにしたかったんですよね。」
松本「ああー。」
廣「ネット記事とかでは「SFっぽい」と書かれることが多くて、「ちょっとSFっぽくなってしまったんだな」と受け止めてはいます。」
松本「いや、そんなことないですよ。」
廣「あ、大丈夫でしたか?」
松本「はい。ユキ(芋生悠)の手紙には何て書かれてたんですかね?気になってしまって(笑)」
廣「前向きな内容を想像していただけたら。具体的に何が書かれているかは、案外重要じゃないと思うんですよ。」
松本「それはそうですね。でも、リアルにああいう手紙があったら、自分の手紙には何が書かれていると思います?」
廣「僕は、宝くじの番号かな?(笑)」
松本「やば(笑)」
廣「それかやっぱり、「お前はきっと大丈夫だよ」っていう漠然とした感じなんじゃないかなと思いますね。」
松本「私は何て書くかな?「ヘーキヘーキ!」とか(笑)」
廣「ヘーキヘーキ(笑)」
松本「語彙力が(笑)」
キャラクター
松本「ユキとカガリは途中、色んな人に出会いますよね。それぞれのキャラクターのモデルとなった人とかいるんですか?」
廣「そうですね。カガリにとって大切な存在であった「彩」というキャラクターにはモデルとなった人がいます。他にも色々な人物が登場するんですが、僕が今まで出会ってきた人をベースにしている部分が大きいと思います。そして、それぞれのキャラクターを描くにあたって、「距離感」というものを大事にしていました。僕は「パーソナルスペース」というものを大事にしていて。例えば、普段から僕は、考え方の違う人を尊重したいと思っていますが、その人の考え方を自分が強要されたり、逆に自分が強要したりすることには怒りを感じます。そこの一線は自分にとって大事なので、キャラクター描写においても影響しているんだろうなと思います。」
松本「パーソナルスペースというと、2人はお互いのことにあまり口を出さないじゃないですか。程よい距離間というか。それも凄い現代っぽいなっていうか、何かいいなって思いました。」
廣「そうですね、そこは気を遣っていました。あと、2人が恋人同士みたいにベタベタしないように注意していました。あくまで2人は良き友人であってほしいと思って。」
松本「恋愛っぽくは一切ならないですもんね。何なら段々と幼馴染みにも見えてくる瞬間がありました。」
監督が何から何まで?
松本「ええと、撮影と、編集と……カラコレと美術と、CGとかもやってましたよね?映画のクレジットが廣さんの名前で埋め尽くされてて。」
廣「車両もやってますよ(笑)運転できる人がいなかったので。」
松本「そうでしたね。」
廣「松本さんの『脱脱脱脱17』の時は、照明さんだけプロの技師さんを呼んだんでしたよね?」
松本「ああ、そうそうそう。」
廣「本当はプロの技術スタッフさんを集めたかったんですけど、当時の自分には厳しくて、どうしても見つけられなかったんですよね。」
松本「分かります。最初、コネクションを探るのが難しいですよね。」
廣「はい。照明さんってどこにいるの?っていう感じですよね。偶然知り合えても、こちらは低予算だし、自主制作だしで、あまり相手にして貰えなかったんですよね。だから、かなり多くのことを自分でやる覚悟はしていたんですけど、録音さんだけは絶対に見つけないと撮影ができないと思って、辛抱強く探し続けて、ようやく見つけることができました。なので、録音技師さん以外は全員素人の現場だったんです。」
松本「えー、そうなんですか。」
廣「大学の友達とか、バーベキューで知り合った人とかをかろうじて寄せ集めただけの制作スタッフだったので、映画作りどころか、誰もカメラに触ったことがなかったんですよね(笑)だから贅沢は言ってられなくて、技術のことは自分で勉強して補っていました。」
松本「やばい(笑)」
廣「もちろん未熟でしたけど、その時に一生懸命調べて学んだことは、今の自分の礎になってる部分も多くあります。何でカラーグレーディングをするのか、ダイナミックレンジがどうとか、クロマ・サブ・サンプリングが云々とか。Rawって何?プロキシって何?といった感じで、とにかく必死に勉強していました。」
松本「でもCGとか、どうやってやってるんですか?」
廣「CGだけは本当にお手上げだったんですよね。なので、撮影前からデジタルハリウッドというCGの学校に夜間で通い始めて勉強しました。」
松本「すごい!!!」
廣「撮影が忙しすぎて結構休んでしまったりはしたんですが、そこで最低限のことを学ばせてもらって、映画に生かしたっていう感じですね。」
松本「じゃあブルーメールのCGとかも全部自分で。」
廣「そうです。」
松本「素晴らしいですね。」
廣「いや、でもCGってメチャクチャ難しくて。プロのCG屋さんが見たら「何だこれ?」と思われてしまうかなとは思いますね。自分は向いていないと思ったので、CGアーティストって本当にすごいなと。」
松本「いやいや。カメラは何を使ったんですか?」
廣「初代のBlackmagic Pocket Cinema Cameraですね。松本さんの映画『脱脱脱脱17』の時のBlackmagic Designのユーザー事例を読んで、使ってみたいなと。あのカメラはベース感度が低いじゃないですか。800とか。」
松本「1600がマックスですもんね。」
廣「だから当時は、夜のシーンとかどう撮っていいか分からなかったんですよね。」
松本「映らないと何も始まらない・・・」
廣「そうなんですよね。例えば、明るい単焦点レンズを使うとか、照明でベース上げをしてやる、みたいな発想がなかったので。」
松本「なるほど。」
廣「だから、お世話になっていたデジタルハリウッドの先生にPanasonicのGH5を借りて、ISO感度を馬鹿みたいに上げて撮るようなことをしてしまっていました。なので、ノイズがひどい箇所も多かったりして、技術的反省がかなり多かったです。」
松本「分けられていたんですね昼間はBMPCCで、夜はGH5と。でも全く違和感なかったですよ。もう、グレーディングの妙ですね、完全に。」
廣「でも当時はグレーディングの知識も未熟だったので、反省点の方が多いですね。」
松本「あ、本当ですか?」
廣「今でこそMusic VideoやCMの監督業を沢山するようになって、技術力は格段に上がってきましたが、それを踏まえて松本さんが高校生の時に監督した『脱脱脱脱17』の映像を見ると「すごいな…」って感心しちゃいますね。」
松本「嬉しいです。最近は自分でカメラを回したりすることはあるんですか?」
廣「ありますね。東京に来てから、やっと信頼できるカメラマンに出会えたんですが、予算が小さい案件のときは自分で回します。」
松本「その方が意外と良かったりするときもあるかもしれませんよね。」
廣「そうですね。自分でカメラを回すことがなくなってしまうと、感覚が鈍ってしまう気がしますし」
松本「確かに。特に映画とかだと結構。」
廣「そうですね。松本さんは自分で撮影をしたりとかはしないですか?」
松本「今まではあまりなかったですね。でも興味はあります。」
廣「松本さんが滅茶苦茶でかいカメラ持って撮影してたらカッコいいですけどね(笑)」