「吉野石膏」というと「タイガーボード」のテレビCMがまず思い浮かぶ。実は建材の石膏ボードではトップクラス、防音性やシックハウス対策などで先進的な技術を誇る優良企業だが、一般には必ずしも馴染みがない。自宅の内装壁面のクロスの下が同社の製品であってもなかなか目に触れないし、一般消費者が自分で直接購入することもまずないからだ。なのにちょっと不思議なあのCMを流していることがますます謎ではあるが(しかしスポンサーになっている番組はTBS「報道特集」など良質なものが多い)、同社が絵画を集めた理由が、また変わっている。会社の応接スペースや社長室などではなくて普通の職場に飾るためで、社員が心豊かに仕事ができるように、というのだ。

「吉野石膏コレクション」には、美術史を揺るがしたような超有名な「名画」は必ずしもないかも知れないが、ミレーに始まりモネ、ルノワール、シスレー、カミーユ・ピサロらの、作品の知名度は低いかも知れないが抜群の逸品が揃っているのも、社員の心を豊かにするための絵だからだろう。

とくにモネの「サン・ジェルマンの森の中で」は、これを目当てにファンが山形美術館に行ってみたら見られなかった、ということも多い。世界中のモネ展からの貸し出し要請が後を立たないからで、つまり知る人ぞ知る傑作なのだ。ちなみに山形市では、学校の校外授業で訪れる子供達にとくに人気があるのも、この一枚だと言う。

画像: クロード・モネ「サン=ジェルマンの森の中で」1882年 吉野石膏コレクション

クロード・モネ「サン=ジェルマンの森の中で」1882年 吉野石膏コレクション

ルノワールの「シュザンヌ・アダン嬢の肖像」(タイトル写真)は以前にも東京でのルノワール展に貸し出されたことがあったと思う。この画家には珍しいパステル画は、ルノワールが印象派のテクニックをいったん離れて古典主義的な手法に傾倒した時期の、一見おとなしく思える作品だが、しかしこの慎ましくも活き活きとした愛らしさ、バラ色の暖かい肌と、透き通るような眼はどうだろう? 豊かなブルネットの艶やかな表現も素晴らしく、なによりも、もし職場にさりげなく飾られていたら、ふと目に入るだけで思わず微笑んでしまうような、気分転換・心機一転にぴったりの絵だ。

農村絵画の巨匠ジャン=フランソワ・ミレーと、モネ、マネ、ルノワール、アルフレッド・シスレーやカミーユ・ピサロが特に日本で愛されて来たのは、日本人が田園風景の詩情に敏感で、農耕にノスタルジーを感じる文化を何百年もかけて作って来たからでもある。だから職場環境をよくするためが目的で集められたコレクションにも、当然ながらそうした風景画の佳作が集まっただけでない。一枚一枚にずっと見ていられるような、飽きの来ない味わい深さがある。

三菱一号館美術館がもともと、三菱が東京・丸の内に建設した初の洋風事務所建築である三菱一号館を復元し美術館として活用しているものだけに、あまり広くない部屋には当時の暖炉が再現されている展示スペースに、ぴったりの展覧会でもある。入ってすぐにシスレーの部屋、ピサロの部屋が続くのがいかにも歓迎されているような気分で、画家たちの作り出したやわらかな色と光の世界に浸れるのだ。広いスペースで圧倒されるのではなく、自然にそばにいるような絵画たちだ。

画像: カミーユ・ピサロの部屋

カミーユ・ピサロの部屋

つまりはそれが、「社員が気持ちよく仕事できるために飾る絵」の理想なのだろう。だからゴッホでも、激しい色彩と独創的な空間把握が刺激的な、圧倒される風景画ではなく、ゴッホの天才が一筆一筆に見まごうことなく現れながらも、色調・存在感はあくまで落ち着いた「静物 白い花瓶の薔薇」だったりする。

画像: フィンセント・ファン・ゴッホ「静物 白い花瓶の薔薇」1886年 「雪原で薪を運ぶ人々」(1884年) 吉野石膏コレクション

フィンセント・ファン・ゴッホ「静物 白い花瓶の薔薇」1886年 「雪原で薪を運ぶ人々」(1884年) 吉野石膏コレクション

隣に飾られているのはフランスに行く前に、オランダで労働の風景を描き続けていたころのゴッホの作品だ。

印象派だけに留まらず「その後」も包括したコレクションのもう一つの柱であるモダニズム絵画の、フォービズムやキュビズム、抽象絵画にも名作が多いのだが、そんな一枚のカンディンスキーの傑作の題名が、その特質を端的に表している。「適度なヴァリエーション」、まさに「適度な前衛」だ。

画像: ヴァシーリ・カンディンスキー「適度なヴァリエーション」1941年

ヴァシーリ・カンディンスキー「適度なヴァリエーション」1941年

明治時代には近代日本で最初の西洋風建築のビジネス街として開発が進み(西洋「近代」の黎明の時代でもあり、フランスで言えば印象派の時代と重なる)、今も日本屈指のオフィス街である丸の内に立地するこの美術館での展示は、吉野石膏コレクションにとってまことにふさわしい場なのかもしれない。社員が心豊かに仕事できるように、と集められた絵画は、仕事の帰りにでもふらっと寄って見るのでもぜんぜん構わない。むしろそうした身近な絵として見た方が、より一枚一枚の絵の真価がかえって際立つ。「やさしくなれます」というキャッチコピーもぴったりに、ただ絵を教養で見るのではなく、本当に人生に役に立つ芸術がそこに生まれる。

今回の展覧会で初公開という、ルノワールの一枚が、そんなこのコレクションの慎ましくやさしい美しさを象徴しているのかもしれない。これはアルフレッド・シスレーが亡くなった時に、遺族を支援するために印象派仲間たちが作品を提供し、オークションにかけた時の一枚だそうだ。

画像: ピエール=オーギュスト・ルノワール「箒を持つ女」1889年 吉野石膏コレクション

ピエール=オーギュスト・ルノワール「箒を持つ女」1889年 吉野石膏コレクション

開催概要

会期: 2019年10月30日(水)~2020年1月20日(月)
開館時間: 10:00〜18:00※入館は閉館の30分前まで(1月3日を除く金曜、第2水曜、会期最終週平日は21:00まで)
休館日: 月曜日(但し、祝日・振替休日の場合、1月20日、トークフリーデーの11月25日と12月30日は開館)
トークフリーデーは声の大きさを気にせず鑑賞できる日です。詳しくはこちら
年末年始休館: 12月31日、1月1日
主催: 三菱一号館美術館、共同通信社
特別協力: 吉野石膏株式会社、公益財団法人吉野石膏美術振興財団
協力: 公益財団法人山形美術館
協賛: あいおいニッセイ同和損保、大日本印刷
お問い合わせ
: 03-5777-8600(ハローダイヤル)

当日券:一般 1,700円 高校・大学生 1,000円小・中学生 500円

「印象派からその先へ 世界に誇る吉野石膏コレクション」cinefilチケット・プレゼント

下記の必要事項、読者アンケートをご記入の上、「印象派からその先へ 世界に誇る吉野石膏コレクション」展チケットプレゼント係宛てに、メールでご応募ください。
抽選の上5組10名様に、ご本人様名記名の招待券をお送りいたします。
この招待券は非売品です。転売、オークションへの出品などを固く禁じます。

応募先メールアドレス  info@miramiru.tokyo
応募締め切り    2019年11月27日(水)24:00

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