映画『空の瞳とカタツムリ』が2019年2月23日より池袋シネマ・ロサにて公開いたします。

求めあうがゆえに傷つけあうしかなかった男女四人。
触ろうとすればするりと逃げる儚い青春の終わり 人生のはじまり

画像1: ©そらひとフィルムパートナーズ

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難しい役どころにも屈せず一糸まとわぬ姿にも全身で果敢に挑んだ縄田かのんと中神円、そしてふたりの友人役の三浦貴大、孤独な青年を演じた藤原隆介、4人の中に渦巻くモラトリアムな時間と儚くも逃げる青春の終わりを繊細なタッチで叙情的に描きだす「新しい愛の物語」が誕生しました。

ふれたい。ふれたくない。雌雄同体のカタツムリは交尾の際に鋭い矢「恋矢(れんし)(Love dart)」を互いに突き刺しあう。この矢は交尾相手の生殖能力を低下させ、寿命すらもすり減らす。本作のタイトル『空の瞳とカタツムリ』は、故・相米慎二監督の遺作『風花』のタイトル変更案として最終候補まで残ったもの。
監督は、相米監督の弟子筋であり『サンデイ ドライブ』『フレンチドレッシング』『なにもこわいことはない』など脚本・監督と二足の草鞋で活躍する斎藤久志。
脚本を務めたのはテレビドラマ『深夜食堂』シリーズで脚本家デビューを果たし、本作が初のオリジナル映画脚本の荒井美早。

監督 斎藤久志と脚本 荒井美早
作品に寄せるコメント

「懐かしい。ロマンポルノだね」と観た人が言ったと聞きました。確かにこの物語を作 った荒井美早さんのお父さんは荒井晴彦さんです。そのDNAが流れているのかもしれませ ん。勿論、ロマンポルノを僕も観て育ちましたし、尊敬すべき作品も沢山あります。だからその言葉を否定するつもりはありません。しかしこの物語を作っている時に美早さんと話していたのは大島弓子さんの事でした。女の子を女の子のまま大人にしてくれない社会に「少女漫画」と言う手法で果敢に挑み 続けた孤高の漫画家・大島弓子さんの作品群は僕のバイブルです。美早さんの話を聞きな がら大島さんの傑作「バナナブレッドのプティング」を思い出していました。そして「バ ナナブレッドのプティング」の中での最後の問い、「男の子に生まれた方が生きやすいか、 女の子に生まれて方が生きやすいか」の答えを出す作品になるのではないかと密かに思っていたのです。
生きると言うことは試練です。父と同じ職業を選択した美早さんはその試練と格闘しな がらこの物語を作りました。話し合いの中で、何者でもなかった頃の自分を、美早さんは 「気高かった」と言いました。その言葉が大島さんを連想させたのかもしれません。
何かと戦っていることの試練。普通に生きることの試練。どちらが生きやすいのでしょうか?
もしかしたら性をモチーフに社会と向き合う女性を描き続けていたロマンポルノと、女 の子が女の子のまま生きていけることを描き続けた大島弓子さんの世界は繋がっているの かもしれません。
ー監督 斎藤久志

10代のころの苦しみと、20代のころの迷いを思い出しながら書きました。
映画完成までは紆余曲折あり、面と向かうことに抵抗のあった時期もありましたが、こ うして久しぶりに向きあってみると昔の恋人のように懐かしい、いとしさすら感じるものです。
好きな人の心と体、どちらかしか手に入らないとき、何を求め、どうすれば救われるの か。この映画が問いであり、答えとなりますように。
ー脚本 荒井美早

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各界からのコメント

体とはなんだろう? 
体が大きく画面に映し出されると、自分の体ではないのにゾワゾワっとして、考えさせられた。
性別や肌触りやパートナーシップなんか超えていけ。ただ、体を世界にぶつけるのだ。
ー山崎ナオコーラ(作家)

箱庭の中で足りない自分の欠片を探し求める若者たち。
自分自身を切り刻み、異なる感覚を重ね、そこに生まれる快楽を楽しみ軽蔑する。
コラージュには客観性が必要だ。その客観性が箱庭を作品として昇華し、
その過程こそが、箱庭の外へ出る唯一の方法なのだ。
ーQ-TA (コラージュアーティスト)

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長い長い詩の朗読を聞いているような物語に引き込まれました。
切なくて、優しくて、痛いほど愛しい詩。
観終わったとき、きっと誰かの体に触れたくなる。
それは男かもしれないし、女かもしれない、誰かに。
ー鈴掛真 (歌人)

今年の東京フィルメックスではいくつかの素晴らしい映画に出会えた。中でも、その物語と映像が今でも私の中に鮮明に残っている作品がある。『空の瞳とカタツムリ』だ。
演出と照明が素晴らしいのは言うまでもない。特筆すべきは役者同士のケミストリーが神秘的で、とても純粋なことだ。カメラを通して我々は、彼女たちの息遣いを見守る静かな証人となる。
ーアミール・ナデリ(映画監督)

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自分を愛せないのに、誰かに愛されようとして、誰かと交わる事で心を満たそうとして、そうやって葛藤しながら自分を探し続けて生きる…この映画はそんな2人の女の子の物語
ーフィフィ(タレント)

登場人物たちのいびつさや不完全さが、切なくて痛々しくて胸をしめつける一方、このうえなく輝いて見える瞬間がある。まるで奇跡みたいに、魔法みたいに。
ー加藤千恵(歌人・小説家)

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危うさや矛盾の中で生きる男女の葛藤を通して、私も青春時代に感じた歯がゆさを思い出しました。
恋したり不安になったり、苦しんだり人間ってそうなんだよなぁって考えさせられる映画でした。
ー橋本マナミ(女優)

映画というものは、誰かの覚悟を観るものである。それがそこにあれば全てでもある。
縄田かのんの、それを見せられた本作を観て、私は己の意気地の無さを痛感した。
ーリリー・フランキー

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『空と瞳のカタツムリ』予告

画像: カタツムリのようにたゆたう4人の愛と性~『空と瞳のカタツムリ』 youtu.be

カタツムリのようにたゆたう4人の愛と性~『空と瞳のカタツムリ』

youtu.be

ストーリー

誰もが一度は通る痛みを、鮮烈に描いた新しい愛の物語——

祖母の遺した古いアトリエでコラージュ作品を作り続ける岡崎夢鹿(縄田かのん)は、消えない虚無感を埋めるため、男とならだれとでも寝る生活を送っていた。
一方、夢鹿の美大時代からの友人である高野十百子(中神円)は極度の潔癖症。性を拒絶し、夢鹿にしか触れられない。そして二人の友人、吉田貴也(三浦貴大)は、夢鹿への想いを捨てきれないまま堅実に生きようと努めていた。学生時代、とても仲のよかった三人。
しかし月日が経つにつれ、少しずつバランスは崩れていった。そんな中、十百子は夢鹿に紹介されたピンク映画館でアルバイトを始めるが、行動療法のような日々に鬱屈していく。
その映画館に出入りする青年、大友鏡一(藤原隆介)は、満たされなさを抱える十百子に心惹かれていくが……。夢鹿と十百子、永すぎたモラトリアムは終わろうとしていた・・・。

縄田 かのん 中神 円 三浦 貴大 藤原 隆介 利重 剛 内田 春菊 クノ 真季子 柄本 明

監督:斎藤久志 
脚本:荒井美早 
企画:荒井晴彦 
タイトル:相米慎二 

製作:橋本直樹/松枝佳紀 
プロデューサー:成田尚哉 
製作:ウィルコ/アクターズ・ヴィジョン

制作プロダクション:ウィルコ/アルチンボルド 英題:Love Dart[2018/日本/カラー/DCP/5.1ch/120分] 

配給:太秦
 
映倫:R15 
©そらひとフィルムパートナーズ

2019年2月23日(土)より、池袋シネマ・ロサほか全国順次公開!

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