小野耕世のPLAY TIME
1. 映画「ダンケルク」のスピットファイア・パイロット
前回、私はアメリカでの人種差別の時代、1960年代初め、NASAで働いて宇宙開発競争を成功に導いた黒人女性たちの活躍を描いた優れた映画「ドリーム」について書いたが、彼女たちは人種差別と共に、女性であることの差別をも戦い抜いたのだった。
それについても、もう少し語りたいことがあるのだが、その前に話題になっている映画「ダンケルク」について触れておきたい。
第二次世界大戦のさなかの1940年、ドイツ軍によりフランスのダンケルクに追いつめられた連合軍兵士たちを救出するためのイギリス軍側が行った官民協力しての戦いを描いている。
この映画がちょっとトリッキーなのは、三つの時間を二時間足らずの映画のなかにとりこんでいる点だろう。イギリス軍は一週間かけて船でダンケルクにむかう。民間の漁船は一日かけて行く。そして空中の英軍戦闘機がドイツの戦闘機と空中戦を演じるのは一時間なのである。この三つの時間を映画は見せていく。
そのなかで、私がいちばん気持ちを乗せたのは、英軍機のパイロットが独軍機と戦う場面だったのは、子どもの頃の記憶があるからだろう。私は五歳の頃、東京・世田谷の自宅でアメリカのB29爆撃機による焼夷弾攻撃で燃える家から母と弟といっしょに脱出、一夜を近くの森ですごし、翌朝帰ってくると、あたり一面焼け野原になっていた。その後、東京から埼玉県指扇のいなかに疎開したが、蓮の畑でアメリカのグラマン戦闘機の機銃掃射を受けて逃げのびた<戦時体験>がある。
にもかかわらず、第二次世界大戦時の戦闘機などに一種のあこがれを抱くのは、敗戦後の東京の家で、「世界の翼」という航空機の写真集などを弟といっしょに見て、わくわくした日々があったからでは―と思う。第二次大戦時の日本のゼロ戦、イギリスのスピットファイア、ドイツのメッサーシュミットなどの戦闘機の写真を見て、弟と一緒に目を輝かせていた小学生時代があったからだろう。男の子なんて、だいたいそんなもので、美しいメカへのあこがれを、みんな持っているのである。
クリストファー・ノーラン監督の「ダンケルク」では、スピットファイア機のパイロットが、敵のメッサーシュミットを撃ち落とす場面が、CGを用いない実写さながらに描写されているのに感心した。それも一貫してスピットファイアのコクピットからの視野で描かれている。燃料は、一時間分しか残っていない。「あと30分、15分・・・」と無線で同僚に伝えながら、このパイロットは戦うのである。
そして一時間経ち、何機ものメッサーシュミットを相手にしたスピットファイア機は、パラシュートが使えなくなり、燃料切れでプロペラが止まったまま、まるでグライダーのように静かに滑空して、なんと敵地に着陸し、殺されてしまう。この無音の場面、そのカメラワークを、私は美しいと感じた。
イギリス兵とフランス兵を平等に救え―と公式には言いながらも、実は英国兵を優先的にしろと命令が出ていることや、救出船のなかでのベルギー人などへの他国民差別が描かれている点などに実感があったが、最後の故郷への生きのびた兵士たちの帰還場面は、ちょっとしらけた気分になった。いろいろ優れた撮影や演技があったのは確かだが、個人的には、最も気負いなく任務を超えた仕事を果たして死んでいくスピットファイア戦闘機のパイロットの姿が、後になるほどこころに残ることになった。
2. 映画「人生はシネマティック!」は、もうひとつの<ダンケルク>だった!
話題になっている映画「ダンケルク」を見たあと、たまたま私は、なんの予備知識もなく、ロネ・シェルフィル監督によるイギリス映画「人生はシネマティック!」(原題Their Finest その最良の部分)を見た。そして、映画を見るまでは、まったく予期しなかったのだが、これはもうひとつの<ダンケルク>映画なのだった。
1940年、ダンケルク救出作戦が成功したあと、ロンドンの情報省では、戦意高揚の映画を作ろうとしていた。連日、ロンドンではドイツ軍の空襲があり、ビルは壊れ人びとが死んでいるというのに、映画館は満員なのだった。人びとは、映画という娯楽に飢えている。そのときある女性の取材者が、ダンケルク救出作戦で、船で兵たちを救った双子の姉妹の話をきく。取材すると、彼女たちの救助活動は誇大に伝えられると知るのだが、映画局は、それをもとに国民を元気づける映画を作ろうとする。そのシナリオ書きに、しろうとのその女性取材者も加わるはめになってしまう。「週給は、男性は4ポンドだが、きみは女性だから、2ポンド半でいいだろう?」と言われ、仕事がないのでひきうけてしまう。
つまり、当時は日本でもどこでもそうだが、こうした女性差別は当たり前だったのだ。そして、映画の出だしには、女性工員たちが、工場で弾丸を製作しているありさまが、白黒映画で描写される。おや、これは当時のニュース映画の再録、もしくはこれはモノクロ映画なのかなーーと思うと、すぐ画面はカラーになり、やはりカラー映画なのだとわかる仕組み(というか、いたずら)がなされている。日本の戦時中と同じで、若い女性たちが工場に動員されていたのである。「明日までに、弾丸百万発を造れ!」軍司令官に命令された女性は怒る。「それでは一日14時間労働になります。とても無理です!」その彼女が、国策映画のシナリオを書くはめになる。
だが、途中から映画内容が変えられる。ダンケルクのとき、まだアメリカは対ナチ戦に参戦していない。「アメリカを参戦させるために、映画のなかにアメリカ兵を出して勇敢に戦う場面を描き、映画をアメリカでヒットさせるんだ」と、映画局の方針が変わり、無理矢理アメリカ人の血の混じった青年を探し出し、映画に出演させる――というのだから、撮影スタジオは毎日おお騒ぎ、シナリオは二転三転・・・そのなかで、脚本書きの彼女は、映画監督や老俳優や、撮影カメラマンたちと撮影現場を動きまわり、なんとか気丈にがんばり通す。そう、これはダンケルクを題材にした喜劇映画なのだが―英国情報局の役人たちや、映画キャストやスタッフたちの空襲化の混乱のなかでの撮影風景のメチャクチャぶりと、彼らの人間味に、笑いながらひきこまれてしまう。にわか脚本家を好演する主演女優のカトリン・コールが、映画のなかで自己改革をとげていく姿には、映画「ドリーム」のなかで、自分を貫き通す苦しい時代の女性をの進みかたに通じるところがある。そして私は、笑いころげながら、その人間味にこころ打たれていく。そして、史実に忠実であろうとした映画大作「ダンケルク」より、この非常時にばかげた映画を作らなければならない人びとを描いた「人生はシネマティック!」のほうに、私のこころはつかみとられてしまったのだった。映画の結末にも大笑いした。
映画とは、映画づくりとは、結局こういうことなのだよなあ、という一種あたたかい気分にひたってしまうのだった。
この、いわば<ダンケルクごっこ>のような喜劇映画のほうこそ、大作「ダンケルク」よりもずっと映画なのではないか――と私は感じてならない。必見ですよ。
小野耕世
映画評論で活躍すると同時に、漫画研究もオーソリティ。
特に海外コミック研究では、ヒーロー物の「アメコミ」から、ロバート・クラムのようなアンダーグラウンド・コミックス、アート・スピーゲルマンのようなグラフィック・ノベル、ヨーロッパのアート系コミックス、他にアジア諸国のマンガまで、幅広くカバー。また、アニメーションについても研究。
長年の海外コミックの日本への翻訳出版、紹介と評論活動が認められ、第10回手塚治虫文化賞特別賞を受賞。
一方で、日本SFの創世期からSF小説の創作活動も行っており、1961年の第1回空想科学小説コンテスト奨励賞。SF同人誌「宇宙塵」にも参加。SF小説集である『銀河連邦のクリスマス』も刊行している。日本SF作家クラブ会員だったが、2013年、他のベテランSF作家らとともに名誉会員に。