レニ・リーフェンシュタール(独: Leni Riefenstahl)
(1902年8月22日 - 2003年9月8日)
ドイツの女性映画監督、写真家。
アドルフ・ヒトラー直々の依頼により、ニュルンベルク党大会の映画『信念の勝利』翌1934年には『意志の勝利』(1935年)を撮影したことから、溢れる才能がありながらも、戦後は一時黙殺されるなど数奇な人生となる。
ナチス・ドイツで製作されたリーフェンシュタールの映画作品、とりわけベルリンオリンピックの記録映画『オリンピア』と1934年のナチス党大会の記録映画『意志の勝利』がナチによる独裁を正当化し、国威を発揚させるプロパガンダ映画として機能したという理由から「ナチスの協力者」として批判され、戦後長らく黙殺された。(wikipediaより)
年譜
1914年 少女が車の下敷きになる事故を目撃。これをきっかけに「この世界で悪が善よりも強いものならば、とっくに善をくいつくしてしまっているだろう。それなのに自然はこんなに美しい。春は繰り返しやってくる。自分は人生に向かって『はい』(ヤー)と言おう」「たとえ何が起ころうと、人生を肯定して生きよう」という自分の生き方を確立
1917年 メルヘン小説に没頭
1918年 高等女学校卒業、ダンス学校に入学
1919年 ターレの寄宿学校入学
1921年 いったん家出するが父の許可が出てロシアのバレエ教師に弟子入り
1923年 父の資金提供でベルリン公演。ほとんど満席で、一夜にして有名になり欧州各都市で公演。実家を出てアパートを借りる。婚約
1925年 『聖山』撮影開始
1926年 『聖山』封切り
1930年 『モンブランの嵐』封切り
1931年 『白銀の乱舞』撮影開始、『青の光』製作のためにレニ・リーフェンシュタール・スタジオ・フィルム会社設立。ロケハン開始
1932年 『青の光』封切り、ヒトラーに手紙を出し、面会する
1933年 『雪と水の闘い』出版。『信念の勝利』封切り(12月1日)
1934年 『意志の勝利』製作用に社名変更『党大会映画会社』。撮影
1935年 『意志の勝利』封切り。国民の映画賞を受賞
1936年 ベルリンオリンピック大会を撮影
1938年 『オリンピア』封切り、うち『民族の祭典』がヴェネツィア国際映画祭で外国映画最高賞(ムッソリーニ杯)
1939年 『ペンテレージア』製作着手。ドイツ軍の戦争報道員として従軍しポーランドへ
1940年 『低地』製作着手
1942年 『低地』スタジオ撮り終了
1943年 キッツビューエルの家に疎開。映画を完成させようと努力
1944年 ヒトラーとの最後の対面
1945年 アメリカ軍により逮捕、釈放。フランス軍により逮捕、証拠として私物の接収。釈放。以後、逮捕・釈放、精神病院収容・退院を繰り返す
1948年 非ナチ化審査機関でナチス構成員ではなかったとの判決(12月1日)
1962年、スーダンのヌバ族に出会い10年間の取材を続ける。
1973年に10カ国でその写真集『ヌバ』を出版、写真家としてセンセーショナルな再起を遂げる
2002年には『ワンダー・アンダー・ウォーター 原色の海』で現役の映画監督として復帰
2003年9月8日(満101歳没)
1970年代以降はアフリカのヌバ族を撮影した写真集や水中撮影写真集などで、再び脚光を浴び映画作品も含めて再評価の動きも強まったが、ナチス協力者のイメージは最後まで払拭することはできなかった。
ただ、その映画も主題はともかくとして、作品としてみるとその監督としての才能には今見ても驚かされるものがあるのも事実である。
100歳にして、世界最年長でのスクーバダイバーでもあった経験を生かし最後の映画作品『ワンダー・アンダー・ウォーター 原色の海』を発表した。
監督作品
1932年 『青の光』(Das Blaue Licht)
初の監督と主演をつとめた映画
ヴェネツィア国際映画祭で銀賞を受賞
1933年 『信念の勝利』(Sieg des Glaubens)
1935年 『意志の勝利』(Triumph des Willens)
パリ国際博覧会 金メダル獲得
1935年 『自由の日』(Tag der Freiheit - Unsere Wehrmacht)
1938年 『オリンピア』(Olympia)
第1部 『民族の祭典』(Fest der Völker)
第2部 『美の祭典』(Fest der Schönheit)
ヴェネツィア映画祭最高賞(ムッソリーニ杯)受賞
1954年 『低地』(Tiefland)
2002年 『ワンダー・アンダー・ウォーター 原色の海』
(Impressionen unter Wasser)
番外編
女優として活躍していた時代。
ドイツの映画監督で山岳映画の先駆者 アーノルト・ファンク監督の作品1926年 『聖山』(Der Heilige Berg)でのレニ・リーフェンシュタール。
アーノルト・ファンク監督はまた、伊丹万作と共同監督の日独合作映画で原節子を大スターとさせた作品となる『新しき土』の監督でも有名。
ヌバ族を撮影するレニ・リーフェンシュタール