『ロバート・シオドマク傑作選』DVD-BOX(3作品)
連載第1回目で、エドガー・G・ウルマーがベルリン時代にロバート・シオドマクと組んで『日曜日の人々』(30)を製作したことを書いたが、今回はそのロバート・シオドマクのアメリカ時代の3作品を収めたBOXセットを取り上げたい。
ユダヤ系ドイツ人のシオドマクは1933年に製作した映画が、政権を取ったばかりのナチの宣伝相ゲッベルスによって批判され、身の危険を感じてパリに逃れた。それから6年間ほどパリで映画製作に携わり、それなりの評価を得たが、ナチスのパリ侵攻を感じ取って、その前年にカリフォルニアに移住し、ハリウッドで頭角を現していった。
アメリカで成功したフィルム・ノワールの巨匠
シオドマクの作品の多くはフィルム・ノワールに分類されるが、なかでも有名なのはウィリアム・アイリッシュ原作の『幻の女』(44)だろう。これは単品でDVD化され、レンタルもされている。そしてシオドマク作品のなかでも最高傑作の1本と言ってよいだろう。
主人公の会社社長が妻と喧嘩して家を出て、バーで奇妙な帽子を被った女と出会う。彼女とタクシーに乗り、劇場にも行くが最後まで女は名前すら教えない。
主人公が家に帰ってみるとそこには刑事がいて妻の死体が。あの奇妙な帽子を被った女が証人になれるはずだが、見つからない。やがて彼には死刑判決が下されるが、彼を愛する部下の女性、エラ・レインズが真犯人を突き止めてゆく。その展開もスリリングだが、映像そのものが素晴らしい。
バーで女といたのを否定し、偽証するバーテンダーと深夜の駅の構内で二人きりになるシーンの光と陰の緊迫感。劇場で女と一緒なのを見たはずなのに偽証するドラマーが、アフターアワーズのジャズ・セッションをするシーンの明暗と迎角からのカメラ。ドイツ表現主義映画を体験したシオドマクならではの表現主義的映像である。当時24歳のエラ・レインズの演技、魅力も華を添えて充分だ。
翌年に製作された『らせん階段』も一級のサスペンスで、ちいさな町で連続殺人が起こるが、殺される者は必ず、身体のどこかに障害のある女性だった。大きな屋敷に奉公するドロシー・マクガイアは幼少時のトラウマで、耳は聞こえるが、喋ることができなくなってしまっていた。
その彼女に殺人者の魔の手が迫るという話だが、大きな屋敷にいて他の奉公人もいるのにそれぞれ事情があっての外出などで徐々に家から人がいなくなって、恐怖感が増してゆくという演出は見事だった。
この障害者に対する、ほぼ理由なき殺人(多少は説明されるが)は、シオドマクがドイツでナチス勃興期を過ごし、その優生学思想から想を得たのではないかと思う。この作品でもらせん階段を陰影をもって捉えるだけで、恐怖がいやますというあたりの映像はドイツ表現主義映画的である。
ソフト化されているものには他に『都会の叫び』(48)、フランス時代の作品『罠』(39)がある。『都会の叫び』は、リチャード・コンテが犯罪者に扮するまさにノワール物だが、ちょっと事件のあらましも複雑すぎる感がある。『罠』はレンタルになってないゆえ残念ながら未見である。
ハリーおじさんの悪夢
となるとどうしても、このハリウッド時代の3作品を収めたBOXセットが気になるというものだ。このセットには『ハリーおじさんの悪夢』(45)、『暗い鏡』46)、『情事の代償』(50)の三作品が収められている。どれも題材も意想外で、しかも展開も素晴らしくうまい。製作年代順に解説していこう。
まず『ハリーおじさんの悪夢』、ヒッチコックの『ハリーの災難』(55)とごっちゃになりそうなタイトルだが、これは主人公ハリーを溺愛する姉がハリーの恋愛・結婚を破綻させてゆくという話だ。登場するのはハリーの姉、ジェラルディン・フィッツジェラルド、長姉のモイヤ・マッギル、家政婦のサラ・オールドグッド、そしてジョージ・サンダース演じるハリー叔父さんと、ニューヨークからハリーの務める会社に転勤してきたエラ・レインズである。
他の男優連中はチョイ役でしかない。ようするに女の園のなかでさまざまな思惑に右往左往させられる独身男の話なのである。
ここでもエラ・レインズが都会のちょっと強気な女を演じて魅力的で、彼女とハリーはすぐに恋仲になる。その恋の邪魔をするレティ(ジェラルディン・フィッツジェラルド)の神経質そうで、しかも繊細さ、母性愛、そして悪意ある嫉妬を含んだ演技が、このドラマをただの近親愛とそれゆえの憎悪だけにとどまらない複雑さを醸し出している。
それらすべてが結局は、男であるジョージ・サンダースひとりに焦点が絞り込まれるように、周りに女たちだけを配したシオドマクの演出手腕は見事というほかないだろう。
終幕で姉、レティが長姉ヘスターを殺したことになり、死刑を宣告され、最後にサンダースと面会するくだりでのレティがサンダースに毅然として放つ台詞は、映画史に残る名シーンだ。
じつはレティは殺してなく、束縛の過ぎるレティを殺そうとしたサンダースが毒を入れた紅茶をレティがヘスターに手渡したことによる過失死だったのだ。真実を話そうと刑務所に来たのに、レティはその真実を一笑に付し、自ら無実の死を選ぶのだ(このシーンでのジェラルディン・フィッツジェラルドの美しさたるや!)。
映画はここで終わる予定だった、当初は。レティの台詞の身震いがするほどクールな結末で。だが、当時のハリウッドの検閲システムは勧善懲悪にうるさく、また悲劇的結末よりもハッピーエンドを重視したから、製作会社はこの結末を許さなかった。
公開前の試写で選ばれた一般観客がいくつかの結末のうち望んだものが、公開作品となった。そのことによって映画史に残るラストシーンは、凡庸なハッピーエンドに成り下がってしまった。このシステムについてはヒッチコックも何度となく語っている。編集権は監督以上にスタジオが握っていた時代の話だ。それは観て確認していただきたい。
ちなみにこの優れた脚本を書いたイギリス人女性、ジョーン・ハリソンは、元の脚本とは違う「予定調和」で凡庸な結末に抗議してイギリスに帰ってしまった。
双子の姉妹による殺人事件『暗い鏡』
『暗い鏡』は、オリヴィア・デ・ハヴィラントが、テリーとルースという一卵性双生児の姉妹を演じる。キオスクの売り子をしているどちらもが、同じ服装をしていて誰が見ても見分けがつかないくらいそっくりである。ある夜、殺人事件が起こり、現場の状況からこの姉妹が疑われるが、刑事さえふたりの見分けがつかないから、逮捕すらできない。この設定はとても面白い。
ふたりを知る精神分析医が、一卵性双生児の研究のためのリサーチ協力を頼むと、ふたりの間には驚くべき相違が露見してくる。さて、犯人をどちらかに特定する段になって、外見で見分けがつかないことをいいことに、姉妹でありながら殺人を犯した一方が、無実の一方に成り代わる。どちらが本物のテリーでルースなのか? このあたりの演出とストーリー展開の見事さは驚かされる。
何にもましてオリヴィア・デ・ハヴィラントがすごく良い。個人的には姉のジョーン・フォンテインが好きで、デ・ハヴィラントは、いまひとつ垢抜けない感じで、いかにもアメリカ娘的な役柄が多かったように記憶するが、本作ではシリアスさや、もともとある愛らしさ、それに殺人者の冷酷さまで加わって、それをひとり二役で演じるのだから感嘆に値する。
ふたり一緒にソファに座ってもその特撮に違和感はないし、ふたりの微妙な性格の違いが見て取れるなど細部へのこだわりはたいしたものだ(上の写真でその性格の違いを読み取れるだろう)。
バーバラ・スタンウィックの演技が光る『情事の代償』
『情事の代償』は、バーバラ・スタンウィック主演で、彼女が偶然、酔った地方検事補(ウェンデル・コーリイ)と知り合いになる出だしが良くない。そもそも映画史を見回しても酔っぱらいの演技が良かったものなどほとんどない。
だが、バーバラ・スタンウィックが遺産目当てで、伯母殺しをしてからの展開は格段に面白くなる。なにしろ検事補は、酔って出会った一夜でバーバラに恋してしまうが、彼は妻子持ち。しかもこの事件後には担当検事となり、バーバラを有罪にすべく告発する側になってしまうのだ。
しかし恋している検事補は、巧妙に自分が弁護側に負けるような追求をし、それによってバーバラは無罪を勝ち取る。だが、解放された彼女を待っていたのはシカゴ時代から昵懇のごろつき、トニーだった。伯母の遺産を相続し、ふたりでクルマで高飛びしようとする車中、バーバラは突然、トニーの顔にクルマのライターを押しつける。
………崖から落ちるクルマ。
病院のベッドで瀕死のバーバラは、面会に来た検事補のウェンディと最後の会話をする。性悪女だがウェンディを愛していたのだ。「……トニーとは一緒に行けなかった」と。このシーンのバーバラ・スタンウィックの表情が、カメラのアングルも相俟って哀切きわまりない。
彼女はウェンディに向かって言う。「私はずっと葛藤してきたの、善と悪の間で」。そして涙ながらに「死ぬのは半分だけにして」と言って息絶える。ようするに「悪」だけが死んで「善」として生きたかった。でも、そうはならなかったということだ。
バーバラの死の間際の哀切な表情と感情の吐露だけで、観客はこの映画に満たされてしまう。
バーバラ・スタンウィックは、日本ではさほど大女優と思われてこなかったが、20年代から60年代まで長く活躍した女優で、しかも佳作といえる作品の多くで主演してきた。
非の打ち所のない美人とまではいかないが、可愛らしい役を演じても、蓮っ葉女を演じても、はたまた悪女を演じても、完全に成り切ることができて、しかも魅力的だった。
プレストン・スタージェス監督の『レディ・イヴ』(41)では詐欺師の偽の上流夫人をコミカルに演じ、ビリー・ワイルダー監督の『深夜の告白』(44)では、妖艶かつ性悪女ぶりが、エロティックですらあった。このとき彼女は脚にアンクレットをしているが、記憶する限りでは女性がアンクレットをした最も早い例だと思う。どちらも傑作なのでオススメしたい。
余談になるが、『情事の代償』でバーバラが裁判に勝ったあと、部屋で情人のトニーといると検事補のウェンディから電話がかかる。その話し中に強引にキスをするトニーとそれに負けるバーバラという演出は、この時期のハリウッドのプロダクション・コードを考えると相当に際どい。
いまで言うなら、セックス中の彼女に他の男から電話がかかってきても、そのまま行為を続けるというのとほとんど同じ感覚。時代が違うだけだ。このシーンがよく検閲を免れたと不思議に思う。
ロバート・シオドマクの3作品BOXセット。『幻の女』ほどの映像美学はないものの、プロットや細部にわたる演出の細かさなど、見るべきものは多い。エラ・レインズ、オリヴィア・デ・ハヴィラント、バーバラ・スタンウィックの3人の女優の名演技を観れるだけでも充分な満足感は得られる。あとは?………フィルム・ノワールが好きか否か、それだけのことだろう。
ロバート・シオドマク傑作選DVD-BOX
監督: ロバート・シオドマク
形式: Black & White
言語: 英語
字幕: 日本語
リージョンコード: リージョン2
ディスク枚数: 3
販売元: ブロードウェイ
発売日 2014/10/03
時間: 265 分
長澤 均(ながさわ・ひとし)
1956年生まれ。グラフィック・デザイナー/ファッション史家。1981年に伝説のインディペンデント雑誌『papier colle』(特集=ナチズム)を創刊。林海象監督の1987年の『夢見るように眠りたい』ではコスチューム・ディレクション(アンクレジット)を担当した。CASIOのデータバンク・シリーズなどのコンセプト、ネーミングから川崎市市民ミュージアムでの「BAUHAUS」展のデザイン一式など、デザインの範囲も広い。著書に『流行服─洒落者たちの栄光と没落の700年』(ワールドフォトプレス)、『昭和30年代 モダン観光旅行─絵はがきにみる風景・交通・スピードの文化』(講談社)、『BIBA Swingin' London 1965-1974』(ブルース・インターアクションズ)『パスト・フューチュラマ─20世紀モダン・エイジの欲望とかたち』(フィルムアート社)、『倒錯の都市ベルリン─ワイマール文化からナチズムの霊的熱狂へ』(大陸書房)などがある。2016年に400ページを超える洋物ポルノ映画の歴史を綴った大著『ポルノ・ムービーの映像美学─エディソンからアンドリュー・ブレイクまで 視線と扇情の文化史』を上梓、すでに重版となって好評である。