これからこの連載で扱うのはDVD-BOXセットの紹介・批評だが、世のなかに溢れている「ディレクターズ・カット」版、特典映像付きなどといった、その映画のマニアのための付属物が同梱された高額なセットはほとんどない。いや、そうでなくともBOXセットは高額なのだ。だからお金のない人間は気にはなってもつねに躊躇するものだ。
ここでは、滅多に上映、あるいはTV放映(含む映画専門チャンネル)されることのない作品を収録した、どちらかといえば古い映画を集めたDVD-BOXを紹介・批評していきたい。購入を検討するときの一助となることを願って。
エドガー・G・ウルマーDVD-BOX(8作品)
さて、今回、取り上げるのはエドガー・G・ウルマー監督の4枚組8作品収録のBOXセットである。これは異例と言ってよいほど安い。定価は10,000円程度するが、Amazon価格ではつねに5,000円以下で上下している。しかもそのほとんどがレンタルの単品になっていないとなれば、これは興味もいや増すというものだ。
エドガー・G・ウルマーはハリウッドのB級映画監督として一部の愛好者のみに知られた監督のひとりだが、そもそもはチェコ出身でサイレント時代にベルリンで『日曜日の人々』(30)という傑作映画に参画した人物でもある。
4人の男女のベルリンでの何気ない休日。朝から始まり、バンゼー湖畔にピクニックし、夜はオイゲン・シュフタンのカメラがベルリンの都会の灯りを素晴らしいモノトーンの美で映し出した映画だ。この作品はロベルト・シオドマク(のちにアメリカでロバート・シオドマクとして有名になる)とウルマーが共同監督し、ロベルトの弟のクルト・シオドマクと(ベルリン時代の)ビリー・ワイルダーが共同で脚本を書いた。
とはいえ、F・W・ムルナウ監督の作品も手伝っていたウルマーは、途中からこの映画の製作からは抜けてしまったらしい。『日曜日の人々』の映画的功績はほぼ、ロベルト・シオドマクとオイゲン・シュフタンに帰すべきものだろう。
その後、アメリカに渡ったウルマーは、ユニヴァーサル映画で助監督などを経験したのちにベラ・ルゴシとボリス・カーロフを共演させた『黒猫』(34)で、監督としての地位を確立する。彼の生涯の数多くの作品のなかでも傑作といえるこの作品については別の機会に語ろう。
これでユニヴァーサルでうまくやっていったらウルマーは、もっと知られた監督として名を残したかもしれない。ところが彼は、ユニヴァーサルの社長であるカール・レムリが可愛がっていた甥の妻と恋に落ちてしまう。レムリはこれに怒って、他のメジャー各社にもウルマーを使わないように指示を出し、その結果、彼は独立プロダクションやマイナーな製作会社を渡り歩いて、映画製作を続けてゆくことになる。
『恐怖のまわり道』
この運命の変転は、BOXセットに収められた彼の代表作のひとつ『恐怖のまわり道』(45)にそのまま反映されているように思う(この作品は単品で発売されている)。
うらぶれた身なりの主人公ロバーツがカフェテリアでジュークボックスから流れる音楽を聴き、過去を回想するところから始まる。彼は東部の安クラブでピアノ弾きをしていた。一緒に働いていた愛する歌手のスーは出世を夢見てハリウッドに行く。
すぐには決断できなかったロバーツは、その後、ヒッチハイクでハリウッド行きを決行し、途中、ハスケルという男に拾われる。ところがひょんな事故でハスケルが死んでしまう。状況からして殺人を疑われかねない立場のロバーツは、ハスケルの死体を隠し、彼に成り代わってハリウッド行きを進める。ところがある給油所でヒッチハイクの女を乗せると、彼女からハスケル殺しを指摘されることになる。
この女はじつはハスケルの情婦で、ハスケルと喧嘩をして別れたが、彼の金を目当てに追ってきたのだが、クルマとハスケルの服を着たロバーツを見て、ロバーツがハスケルに成り代わったことを見抜いたわけだ。
とはいえ、ハスケルの事故死も、その情婦との出会いもあまりにも偶然が重なり過ぎだし、話の展開も強引だ。だが、映画は緊迫感をもって、その情婦(アン・サベージのキャラクターが素晴らしい!)がロバーツを警察に突き出すと脅しながら、ハスケル家の遺産をせしめようと画策するほうに話を持ってゆく。
この間のふたりの間で続く「のこぎりの刃の山」の連続のような確執の描き方が、素晴らしい。ヴォイスオーバーで主人公の心理を説明するシーンがこの映画全体を貫いているが、それは台詞によって「物語らしくなること」「円滑に進行すること」を嫌ってのことのように思える。だからとてもエッジの効いたごつごつとした映画になっていて、先がどこに向かうかわからない不安感を観客に抱かせるのに成功している。
ホテルでのある夜、警察に電話をかけるという彼女が受話器を持って自分の部屋に鍵をかけて引きこもる。ロバーツは電話させまいとドアの下から伸びた電話のコードを引っ張る。それでも彼女が出てこないのでドアをぶち壊して部屋に入ってみると、そこには酔って電話線を頸に絡ませた彼女が、ロバーツが強引に線を引っ張ったために絞殺死体となっていた。
主人公には、なんの悪意もなく、ただ、愛するスーに会うためにハリウッドに向かっただけなのに偶然が次々と重なり、彼はふたりの人間の殺人者となってしまう。どうにも抗えない運命。これはウルマーがユニヴァーサルを追われて、独立プロでしか仕事ができなくなったことと、どこか通じているように思える。
マイノリティ映画とオール黒人キャスト映画
『黒猫』以降、独立プロで作り続けたウルマーは、日本にはほとんど輸入されなかったようなマイノリティ映画の世界で糊口をしのいでゆく。19世紀末から1940年代くらまでのニューヨークなどは、ユダヤ人街、ポーランド移民の地区、ドイツ系やイタリア系の多い街区などがはっきりと存在していた。そして彼らは英語以外にも母国語を話し、あるいは老人は母国語しか話せないまま生活していたし、それが成り立っていた。
こういった人種的なマイノリティを観客ターゲットにした小さなバジェットの映画もつくられ、ウルマーはなかでも多くのマイノリティ映画を製作した監督だった。ユダヤ人向けのイディッシュ語映画を4本、ウクライナ語の映画を2本、製作している。
1939年の『ハーレムにかかる月』はオール黒人キャストの作品で、ある母娘とその恋人やギャングを軸にした物語で、まさにハーレムが黒人の娯楽の首都のような様相を呈していた時期を舞台にしたもので、しかもオール黒人キャストの作品としてはほぼ最初期のものとなった。こういった作品は、BOXセットにでも収められないかぎり、ほとんどリリースされることがないから貴重である。
秀作を残したPRC時代
ニューヨークなど東部の小プロダクションで映画製作をしていたウルマーだが、B級映画専門の製作会社PRCに誘われて1942年から47年まで、ここで安定した製作環境を得ることになる。BOXセットにはこの時期の秀作がいくつも収められている。さきに挙げた『恐怖のまわり道』もそうだし、19世紀のパリを舞台に連続猟奇殺人をテーマにした『青ひげ』(44)、『奇妙な幻影』(45)などは多作のウルマー作品群のなかでも一級のものだ。
『青ひげ』はピクトリアリズムの写真のような絵画的な光と影が美しく、ときに20年代の映画を観ているような感じをさせたり、あるいはロマンティシズムを感じさせたりするが、これは冒頭に記した『日曜日の人々』を撮影したオイゲン・シュフタンのカメラによるものである。とくに人物の顔のアップになるときに、全部に光をまわさないで暗い部分を作るという手法を頻繁に用いて、これが独特の不安な感じを醸し出している。
『奇妙な幻影』は、主人公の青年が予知夢で、父親の死は事故死ではなく、他殺であり、その犯人は、いま、母と再婚しようとしている恋人だと知る。
夢で見た断片的な事象が次第に現実での物的証拠として現れて、犯人であることの確証となってゆくあたりや、主人公の青年が、犯人の共謀者である精神科医の病院に、自ら囮(おとり)となって入ってゆくなどの緊迫感は、とてもよくできている。
『青ひげ』にも殺人犯の囮捜査に協力して殺されてしまう刑事の恋人など、ウルマーの作品には自ら囚われの身になることによって緊迫感を増す演出が少なくない。
「囮(おとり)」または、「囚われ」というウルマー特有の主題
まったくもって囚われていることそのものがテーマとなっているのは、『鎖につながれた女たち』(42)で、これは女囚をテーマにそこに赴任した新任の女性看守が施設の劣悪な環境を改善しようとして、上司の女看守たちとトラブって懊悩する物語である。
女看守たちが、ナチの強制収容所の女看守の制服と酷似したものを着ており、それがまた、この映画の陰湿さや厳格な規律を表徴している。このナチ風の制服は時代的にもドイツと戦っていた戦時中に作られたものであるから当然といえるが、ウルマーがドイツで映画製作に携わったこと、ドイツ表現主義映画に影響を受けたことから、そうしたドイツ的なものへの意識がつねにあったと思われる。『青ひげ』での地下水道を殺人犯が逃げるシーンなどは、まるでドイツ表現主義映画を観ているような感じだった。
美女ヘディ・ラマーが出資・主演した『奇妙な女』
製作会社PRCで製作していたウルマーだが、その後は、また独立系のプロダクションを渡り歩いて作ってゆくことになる。その手前にあの美人女優ヘディ・ラマーの製作のもとで『奇妙な女』(46)という作品を撮っている。これはラマー本人が出資し、主演したものでアンクレジットではあるが、あの「メロ・ドラマの巨匠」といわれたダグラス・サークが演出の一部を担当している。『青ひげ』や『恐怖のまわり道』、この『奇妙な女』などはB級映画という括りに入れて良いものなのか? という疑問が残るくらいよくできた作品である。
『奇妙な女』は主人公の少女の幼少期の奇妙な、ある種、自分本位で異常な性格の描写から始まり、大人になった彼女が、その自己中心性から人を傷つけ、裏切りながらも自分の野望を達してゆくという物語だが、最後の悲劇の描写の迫力ある映像などは見事というしかない。そもそもヘディ・ラマーの人物造形が、ちょっといないタイプの人間像をうまく作りあげている。
このBOXセットには、他に『忘れられた罪の島』(42・旧題:「モンスーン」)、『スリの聖ベリー』(51)が収められている。
『忘れられた罪の島』は、F・W・ムルナウの名作『タブウ』(31)の撮影協力をしていたときに構想を得た作品で、ジョン・フォード監督の『ハリケーン』(37)の暴風雨シーンの素晴らしさにも影響を受けており、さらには、この『ハリケーン』のセットがMGMにそのまま残っていて、それを借りて撮影することができたので製作された作品でもあった。こちらもそれなりにパワーのあるモンスーン襲来シーンに島の酒場に巣くう人間の強欲さを織り交ぜて退屈させない。
『スリの聖ベリー』は比較的、地味な作品で、警察に追われる三人の詐欺師が、教会に逃げ込んだことから善人の振る舞いをせざるを得ない状況に追い込まれ、図らずも善行を施したり、といったちょっと軽妙でコミカルな作品である。
★
晩年にはSFにまで手を伸ばすウルマーだが、このBOXセットはウルマーが30代から40代の脂の乗った時期の作品を収録しており、どれひとつ駄作や退屈な作品はない。ほとんどは版権切れの作品を収録しており、原題で検索すればYouTubeで全編を見れるものも少なくないが、日本語字幕で見たいのであれば、この値段でこれだけの作品を観れるというのは、僥倖と言ってもいいかもしれない。
エドガー・G・ウルマー DVD-BOX
監督: エドガー・G・ウルマー
形式: Black & White, Mono
言語: 英語
字幕: 日本語
リージョンコード: リージョン2
ディスク枚数: 4
販売元: IVC,Ltd.(VC)(D)
発売日 2014/02/28
時間: 624 分
長澤 均(ながさわ・ひとし)
1956年生まれ。グラフィック・デザイナー/ファッション史家。1981年に伝説のインディペンデント雑誌『papier colle』(特集=ナチズム)を創刊。林海象監督の1987年の『夢見るように眠りたい』ではコスチューム・ディレクション(アンクレジット)を担当した。CASIOのデータバンク・シリーズなどのコンセプト、ネーミングから川崎市市民ミュージアムでの「BAUHAUS」展のデザイン一式など、デザインの範囲も広い。著書に『流行服─洒落者たちの栄光と没落の700年』(ワールドフォトプレス)、『昭和30年代 モダン観光旅行─絵はがきにみる風景・交通・スピードの文化』(講談社)、『BIBA Swingin' London 1965-1974』(ブルース・インターアクションズ)『パスト・フューチュラマ─20世紀モダン・エイジの欲望とかたち』(フィルムアート社)、『倒錯の都市ベルリン─ワイマール文化からナチズムの霊的熱狂へ』(大陸書房)などがある。2016年に400ページを超える洋物ポルノ映画の歴史を綴った大著『ポルノ・ムービーの映像美学─エディソンからアンドリュー・ブレイクまで 視線と扇情の文化史』を上梓。