『エゴン・シーレ 死と乙女』をご覧になった占星術家の鏡リュウジさんに作品へのコメントを依頼したところ、 コメントの他に「エゴン・シーレが占星術的に見てとても興味深い人物」だということを教えてくださり、ホロスコ ープ(出生時の天体の位置から運命などを読み取る)をみてくださいました。
占星術家 鏡リュウジさんによる、
エゴン・シーレのホロスコープ
「性と死の境界領域のすれすれの領域で美を追求し、夭折した画家エゴン・ シーレ。
シーレの星は何を語るのだろうか。
シーレは 1890 年に生まれである。占星術家ならこの年代を目にするとピンとくるものがある。
この年、太陽系の彼方の天体である海王星と冥王星が接近しているのである。
これは実におよそ4 9 2 年に一度のこと。よきにつけ悪しきにつけ、大きな社会変化の種子が巻かれる年であるとされ、あのヒトラーもこの星の会合のもとで生まれている。
もっともこの世代生まれはすべからくこの星の配置をホロスコープに持っている。いわばこの人たちはすべて社会の価値観の大きな変化を何らかのかたちで深く体験することになると考えられるわけだが、シーレの場合にはこの海王星と冥王星の合に水星、火星までもがコンタクトしている。
海王星は、この世界を超えた、理想的な美の世界を象徴する。一方で冥王星は死が象徴するような、極限の状況を表している。ここに永遠の少年の神である水星(ヘルメス)と情熱の火星が加わっているのである。
シーレの求めた美は、この物質世界には存在しなかったのかもしれない。
強迫的ともいえる少女たちへの性への憧憬は、本来、この世界では実現不可能な美への、形を変えた表れだったのかもしれない。
シーレが28歳でこの世を去ったとき、進行した太陽は美の星である金星に接近。シーレは死の中でこそ、理想の美の世界に帰還したかのように見えるのである。」
愛さえも、命さえも、この絵に捧げてーーー
20 世紀の幕開けとともに彗星のごとく現われ、スキャンダラスな逸話と挑発的 な名画の数々を残して、わずか 28 歳で早逝した異端の天才画家エゴン・シーレ。
数多くのモデルと浮名を流したシーレにとって、とりわけ大きな存在となった2 人の女性――16 歳でヌードモデルを務め、敬愛する兄を献身的に支え続けた妹ゲ ルティ、そしてクリムトのモデルを経て、シーレとは公私にわたるパートナーと なって彼の美のミューズであり続けたヴァリ。彼女たちとの濃密な愛の日々を通 じて芸術を追求し続けるシーレの姿を赤裸々に炙り出す。
シーレ役にはモデル出身の新人ノア・サーベトラ。プレイボーイで非情、野心的 なシーレを、眼を奪う白皙の美貌とともに説得力たっぷりに息づかせた。エゴン・ シーレ没後、約 100 年。最高傑作「死と乙女」に秘められた愛の伝説が今、明ら かになる――。
【ストーリー】
第一次世界大戦末期のウィーン。表現主義を代表する天才画家エゴン・シーレはスペイン風邪の流行によって、妻エディットとともに瀕死の床にいた。時を遡ること、1910 年。美 術アカデミーを退学したシーレは、同世代の画家仲間と“新芸術集団”を結成、16 歳の妹ゲ ルティの裸体画で頭角を現していた。そんな時、ヌードモデルのモアと出逢う。褐色の肌 を持つエキゾチックな彼女をモデルにした大胆な作品で一躍、脚光を浴びるシーレ。その 後、敬愛するグスタフ・クリムトから赤毛のモデル、ヴァリを紹介されたシーレは、彼女 を生涯のミューズとして数多くの名画を発表。幼児性愛者という誹謗中傷を浴びながらも、 ふたりの信頼関係は、文字通りシーレを時代の寵児へとのし上げていく。しかし、第一次 世界大戦が勃発。シーレとヴァリの関係も、時代の運命に翻弄されてしまう──。
ヴァリをモデルに描いた最期の絵。そのタイトルは「男と乙女」、後に「死と乙女」と改題されることになる。ウィーン表現主義の最 高傑作のひとつとなったその絵画は、ふたりの稀有な絆を永遠に刻む愛の証となるのだった。
■監督ディーター・ベルナー
■出演:ノア・サーベトラ、マレシ・リーグナー、ファレリエ・ペヒナー、 ラリッサ・アイミー・ブレイドバッハ
■原題:EGON SCHIELE ‒ DEATH AND THE MAIDEN
■オーストリア・ルクセンブルク作品 109 分 シネマスコープ
© Novotny & Novotny Filmproduktion GmbH
提供:ニューセレクト
配給:アルバトロス・フィルム
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