『ウンタマギルー』髙嶺剛監督18年ぶりの新作『変魚路』劇場公開決定!!

沖縄を舞台に8mmフィルムからデジタルまで数々の作品を発表してきた鬼才、高嶺剛の18年振りの新作『変魚路』が、いま、生ぬるい現代を惑わし、撃つ。

画像1: (C)『変魚路』製作委員会

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迷い込むほど深くなる、記憶の迷宮(ラビリンス)
「オキナワンロードムーヴィー」はとうとう夢の路地裏へまで入り込んだ

『ウンタマギルー』『夢幻琉球・つるヘンリー』で世界を驚愕させた映画作家、髙嶺剛
かつて誰も見たことのない、神話・幻惑・魅惑・摩訶不思議な究極の映像世界が表出する

『ウンタマギルー』『夢幻琉球・つるヘンリー』など沖縄を舞台にした作品で知られる、髙嶺剛監督の18年ぶりの新作『変魚路』が2017年1月14日(土)〜シアター・イメージフォーラムにて公開されることが決定いたしました。

本作では髙嶺剛の盟友とも言える、沖縄を代表する俳優・平良進と北村三郎が主役を務め、沖縄のビリー・ホリデイと称される沖縄民謡の大家、大城美佐子が髙嶺映画のミューズとも言える存在感で音楽を奏でる。
また、沖縄を拠点に活動する美術家、山城知佳子を筆頭に多くの現代アート作家が、沖縄ともアジアともつかない独特の作品世界の構築に力を注いでいる。
音楽には前衛ジャズ界の巨匠、坂田明のグループARASHIが、髙嶺監督たっての希望で、アヴァンギャルドかつエネルギッシュな音源を提供し、髙嶺剛の新境地に華を添える。

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監督の言葉

映画『変魚路』のウチナー口監修の北村三郎さんから「むどぅるちゅん(思考停止状態)」という言葉を教えてもらった。私は「頭がカラになる」と意訳して、それをキーワードに、撮影場所を沖縄に限定して、一生懸命デジタル映画の作業をした。
2013年から撮影と編集をほぼ並行して行った。あらかじめ用意された内容を、役者さんやスタッフに、それぞれ思うように解釈してもらい、それに私が手を加えた。

今回のデジタル映画は作業が作業を生んでいくので、各作業の見直しは、自分の頭の見直し作業でもある。そのようなことを3年の間繰り返して映画は完成した。
私は、沖縄で映画をつくる時に踏まえておくべき様々な約束事----言葉・時間・場所・記憶・歴史・風俗・文化・世相・物・人間関係・話のスジ、それらを統一してそのままなぞることは、なるべく避けた。
私は、いまここにしかない沖縄の空気を描くことに挑戦した。たとえば、即興鼻唄を唄いながら路地裏を歩くタルガニ(平良進)、海辺で島唄「下千鳥(さぎちじゅやー)」を唄うカメ(大城美佐子)などがかもし出す、風景に漂う“地の匂い”をカメラが忠実に吸いとることを願った。

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『ウンタマギルー』『夢幻琉球・つるヘンリー』で世界を驚愕させた映画作家、高嶺剛
かつて誰も見たことのない、神話・幻惑・魅惑・摩訶不思議な究極の映像世界が表出する

髙嶺剛 Takamine Go
1948年沖縄の石垣島川平生まれ。高校卒業まで那覇で過ごしたあと、国費留学生として京都教育大学特修美術科に入学。その頃から8ミリ映画を撮り始める。ジョナス・メカスを私淑し、日本復帰前後の沖縄の風景を凝視した初長編監督作品『オキナワン ドリーム ショー』(1974)を制作する。1985年初の長編劇映画『パラダイスビュー』完成。ベルリン国際映画祭ヤングフォーラム部門をはじめ、10数カ国の映画祭に出品。『ウンタマギルー』(1989)でベルリン国際映画祭カリガリ賞、ナント三大陸映画祭グランプリ、ハワイ国際映画祭グランプリ、日本映画監督新人賞など国内外の映画祭で多数上映、受賞し、全編沖縄語で展開される新しい表現を生みだした作家として世界的に注目される。
1996年よりジョナス・メカスの来沖縄がきっかけとなり生まれた『私的撮夢幻琉球 J・M』を発表。1998年には沖縄を代表する民謡歌手の大城美佐子を主演に迎え、『夢幻琉球・つるヘンリー』を市民プロデューサーシステムでデジタル撮影をいち早く取り入れて製作、東京国際映画祭、ロッテルダム国際映画祭、香港映画祭などで上映。ほかにも短編多数制作。山形国際ドキュメンタリー映画祭2003に審査員として参加、沖縄特集でも「髙嶺剛の世界」として特集される。2006年には、NYのアンソロジー・フィルム・アーカイブにて、「Dream Show: The Films of Takamine Go」レトロスペクティブが開催された。本作『変魚路』は、18年振りの劇映画作品となる。

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『変魚路』作品解説

あの苛烈な「島ぷしゅー」からX年後、死に損ないの者ばかりが暮らすパタイ村。
タルガニは親友のパパジョーとともに、この世に絶望した自殺願望者たちの「生き直し」事業を営みながらつつましく生きている。
ある日ご禁制の媚薬を盗んだ嫌疑をかけられてしまったタルガニとパパジョー。
村を脱出する羽目となった2人を追う謎の女たちや、生きているのか死んでいるのかもわからない男たち。やがて追うものと追われるものの境目は消え、時間軸は「変」になったまま、島の歴史の神話的領域にまで入り込んでいく。

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プロダクション・ノート

                       岡本由希子(『変魚路』総合プロデューサー)

「ヨーイ、スタート!」
2013年3月19日、髙嶺映画を愛する誰もが待ち望んでいたその瞬間、撮影現場となった浜辺に建つ廃墟の壁が崩れ落ちないかと心配になるほどに、監督の掛け声は天地を震わせた。あの細い身体のどこから声が出ているのか……驚き呆れ、そのうち目頭が熱くなった。

『夢幻琉球・つるヘンリー』(1998年)以来十数年ぶりとなる劇映画の撮影だ。もちろん、この間も『つるヘン』のスピンオフ(『夢幻琉球 オキナワ島唄パリの空に響く』NHK)や『パペット シャーマン スター』等の短編作品は発表されてきたし、映画祭や美術展など様々な機会に過去作品が上映され、新たなファンを獲得し続けてきたのだが、いかんせん新作が……なかなか撮られない。

 私が髙嶺監督に初めてお目にかかったのは、『つるヘン』公開時に某文芸誌の編集者としてインタビューを行ったときで、以後、山形国際ドキュメンタリー映画祭の沖縄特集(2003年)やその他の機会に再会、再々会を果たして徐々にお近づきになった。『つるヘン』の次に撮るテーマを、その度に聞かせてもらっていて、『変魚路』というまさに「変」なタイトルは当初から決まっていたように記憶する。偽装自殺を請負う男、逃亡劇、ロードムービー……会うたび毎に語られる物語の断片にすっかり魅了され、いつかいつかと待ち焦がれていた。
その間も沖縄は、冷戦後の世界の構造的変化、グローバル資本と軍事主義の奔流に揺さぶられ続けていた。この荒波に押し流されないようアンカーを打つためには、私たちには髙嶺映画が必要だ! 
そんな確信を抱いていたところ、某月某日(2006年暮れから07年にかけての寒い時期だった)那覇の街角で偶然監督に出会った私は、映画制作はド素人なのにもかかわらず大胆にも口にしてしまった。「髙嶺さん、映画作りましょう、お金は私が集めます!」

 制作マネジメントは山形映画祭東京事務局スタッフの濱治佳さん(03年の沖縄特集の担当者)が買って出てくれた。もとより用意できる資金は限られているなか、当初は主演の二人プラス数人の役者にカメラマンが同録するゲリラ的な、それこそ初期ヌーベルバーグのような撮影になるかと思っていた。ところがどっこい濱さんは、強力なスタッフを次から次へと集めてきたのだった。

 数年かけたロケハン時より監督と一緒に島を歩いた後藤聡さん。崔洋一作品等の助監督を務めてのち沖縄に戻ってきていた経験豊富な砂川敦志さん。現代美術の世界で活躍する山城知佳子さんは、実は出演(!)をお願いしていたところ、それより裏方として映画づくりに参加したいとの有り難い申し出を受けて、やはり気鋭のアーティスト阪田清子さんと共に、沖縄県立芸大の若き芸術家の卵たちも巻き込んで美術や衣装、大道具小道具といった意匠を精魂込めて造り上げた。
撮影と編集・合成は監督が講師を務めた専門学校の同僚・高木駿一さんが大阪から駆けつけ、沖縄側は『つるヘン』で撮影を手がけた平田守さんが馳せ参じた。「ビジュアルアーツ大阪」と「パッション沖縄」の多大なる御厚意で充実の機材を提供いただいた。撮影現場では誰もが一人何役もこなしていて、円滑な進行に尽力された宮島真一さん、走り回っていた小田切瑞穂さん、倉本光祐さん……みな、髙嶺監督の新作を心待ちにしていたのだ。

 これまでは監督と同世代の方々だったであろうスタッフが、本作では監督よりだいぶ歳下の30〜40代が中心となったのが特徴的だ。髙嶺監督と一緒に仕事をするなかで発見したことや学んだことなどを嬉々として話してくれた彼・彼女らの表情は忘れられない。この経験がみなさんにとって糧となり財産となることを祈る次第である。

 そして何と言っても主役のお二人。沖縄芝居の重鎮、平良進さんと北村三郎さんの、この島の歴史を丸ごと身体にとりこんだような何者にも代え難い存在感。監督のミューズ・大城美佐子さん、カッチャン、親泊仲眞さんといった髙嶺映画の常連も、再びの映画撮影に大いに喜んでくださった。
 三週間にわたった撮影は、春の沖縄独特の曇り空の下、主に沖縄島の中南部で行われた。この『変魚路』は、さまざまな審級の「喪失感」に彩られているが、実際に映画のロケ地も、現在はもはや失われ、映画の中・記憶の中の風景として残るのみの場所がいくつもある。

 ラッシュ編集、追加撮影、そしてまた編集と、三年におよんだデジタル技術を駆使した編集作業は、監督の暮らす京都で家内制手工業的に行われた。単線的(リニア)な物語を切り刻み、つなぎ、断片のコラージュを重ねて、主人公のタルガニが歩行する路地裏のように、映画自体が迷宮となっていった。ロケ地の一つでいまは無き監督のご実家に保管されていた8㎜フィルムも、『変魚路』の中には組み込まれていて、それはとても印象深いシーンとなっている。

プロデューサーとして私がずっと言い続けたのは、(資金面での制約は大きいけれど、それでも)髙嶺監督が望むように、好きなように、思いのまま、映画をつくって欲しい、ということだった。果たして出来上がった映画は、幾度もの世替わりに翻弄され今なおもがき続ける「沖縄」を描きあげ、絶望とも救いともつかない宙吊りとなったラストシーンが胸を締め付ける、唯一無二の作品となった。いまこの時代に『変魚路』公開に立ち会える僥倖を噛み締めている。

画像10: (C)『変魚路』製作委員会

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また本作の公開に合わせまして、
『ウンタマギルー』『パラダイスビュー』『夢幻琉球・つるヘンリー』などの代表作から、8mm作品や上映機会の少ない作品を集めた「髙嶺剛監督特集」も同時に開催が決定した。

画像: また本作の公開に合わせまして、 『ウンタマギルー』『パラダイスビュー』『夢幻琉球・つるヘンリー』などの代表作から、8mm作品や上映機会の少ない作品を集めた「髙嶺剛監督特集」も同時に開催が決定した。

『変魚路』
2016年/カラー/DCP/沖縄語・日本語/81分

監督:高嶺剛  
出演:平良進 北村三郎 大城美佐子
音楽:ARASHI(坂田明、ヨハン・バットリング、ポール・ニルセン・ラヴ)、大城美佐子、大工哲弘、嘉手苅林昌、CONDITION GREEN、北村三郎
配給:シネマトリックス

(C)『変魚路』製作委員会

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