第22回 日本語しか話せない、もしくは中国語がまだ覚束ない程度の日本人タレントでも活躍の場を広げる方法
台湾、香港、中国本土など中華圏での仕事歴20年(うち半分の10年は中国暮らし)
自称!日中友好大使の小松拓也です。
さあ、今回のテーマは『日本語しか話せない、もしくは中国語がまだ覚束ない程度の日本人が可能なアプローチ先』です。
もちろん中国を拠点に日本人タレントが仕事をする上で、ある程度の中国語の能力というのは確実に必要な要素となるのは間違いないのですが、今回はまだ中国語が不十分という方にとって、その中で中国語の習得と並行して、仕事や人脈形成に繋げていける実践的なアプローチ方法をお伝えします。
まず、「北京と上海の違いあれこれ!留学の候補地選びにも是非参考に!」でお伝えしたように、中国芸能界を目指す以上、日本人は芸能の中心地である北京を選んだ方が良いのか?について触れたいと思います。
答えは「一概にそうとは言えない!」と考えています。
何故なら以前の記事でも説明した通り、そもそも中国本土で日本人が名前を馳す可能性自体がまだまだ低いからです。
それは北京でも上海でも変わりはありません。
理由は色々あるでしょうが、そのうちの主な理由の1つは日本で活躍する外国人タレントの顔を思い浮かべれば想像しやすいかと思いますが、外国人タレントの皆さん、かなり流暢な日本語を話しませんか?
日本人が中国メディアに露出NGなんていうことは決してないし(政治問題が複雑な時期除く)、むしろ中国メディアは日本人で面白い人物の存在を求めているぐらいです。
ただ、その時必須になるのが中国語の能力となってしまうわけです。
(また、中国語に長けている日本人タレントがまだまだ少ないのにも問題があるでしょう。)
歌やダンスやアクションに秀でている人物など、言葉を必要としない一芸を取り上げてくれる中国メディアも当然ありますが、大抵が単発限りの出演にとどまり、継続的な発展には繋がりにくいです。
日本にハリウッドスターが映画の宣伝で訪れた際、通訳を伴って様々な媒体に露出する状況と同じで、日本人のビッグスターが中国を訪問した際に現地メディアに類似条件で露出する!ということは事実多々あります。
でも、この条件以外では基本的に中国のメディア媒体に出演する際は、中国語がなんだかんだマストになるでしょう。
だから、中国を拠点に活動をするのなら、中国語の能力なくして必要とされる日本人市場は基本的に2つだけしかないと個人的には思っています。
1つは、抗日ドラマや映画の日本兵役です。
抗日ドラマや映画は中国でかなりの数が昔から製作されており、その中には必ず日本兵が出現しますので、こちらの需要はそこそこあります。
かつては、抗日ドラマに出現する日本兵は極悪非道の殺人鬼のような描かれ方ばかりでしたが、最近は善行を行う好感度アップに繋がる日本兵も描く作品が増えている傾向です。
加えて、日本兵は大抵の場合が日本語さえ話せればいいし、台詞も中国語の台詞自体が少ない上に、中国人の俳優にはリアルな日本兵役が務まらないことから、日本人俳優にとって確実に需要がある市場となっています。
逆を言えば、抗日ドラマや映画以外で日本人が出演出来る作品はかなり少ないのが現実です。
(あなたが有名人ならばあなたの為に役を用意する現象は起きるでしょう。)
中国から抗日ドラマがなくなることは考えにくいし、この需要や市場が激減する可能性も割りと低いと思うので、日本兵役を1つの中国芸能界への入り口にしよう!と考えている方にはこのルートがオススメです。
その場合は抗日ドラマや映画の製作が盛んな北京に進出することをオススメします。
では、次回の記事では本テーマの2つ目の方法をお話します。
小松拓也
1977年生まれ。
高校を卒業するとともに金城武のような多言語を操る国際的な俳優を目指し、台湾へ語学留学。
2003年に台湾でリリースした北京語CDアルバム「一萬個為什摩」は二万枚のセールスを記録。2007年に中国の国民的テレビオーディション番組「加油!好男児」に参加をし、約八万人の応募者の中からトップ20位に残った唯一の外国人ということで大きな注目を浴び、番組終了後は数多くの中国のテレビやイベント、雑誌などに出演するほか、数社の企業広告のイメージキャラクターを務め、日本の音楽を紹介する「音楽物語in Japan」のMCを務めるなど幅広く活動。
また、国家プロジェクトである上海万博の開幕式への参加や、世界中の華僑を台湾に集めて台北小巨蛋をステージに行われた四海大同では、2万人を前にイベントのテーマソングを歌うなど、その功績を中国からも認められている数少ない日本人の1人。
小松拓也オフィシャルブログ
http://ameblo.jp/takuyashanghai/