映画『ミスター・ダイナマイト:ファンクの帝王ジェームス・ブラウン』
を鑑賞して ⑵
(承前)バンドのメンバーが「彼は音楽を学んだわけではないから」と述懐するように、まったく楽譜が読めなかったジェームス・ブラウン。
しかし、自らのうちに とめどもなく湧き上がってくる新しい音楽のイメージを、口立てだけでバンド・メンバーたちに伝え、即興的に歌い、伴奏を求め、ともに試行錯誤を繰り返しては、やがてひとつの曲をつくりあげていくのだった。
そして私たちは、それらを記録した貴重な映像を通じて、ファンクや ザ・ワン 誕生の決定的瞬間を目撃することになる。
ジェームス・ブラウンは、マネージャーがいながらも、収益管理のすべてを自ら仕切っていたという。
「ショー・ビジネスじゃない。ショーとビジネスだ。どっちも大事なんだ!」
そう言い切る言葉に、半世紀にわたってアメリカ「ショー・ビジネス」界の頂点に君臨しつづけた男の凄みを感じる。
このドキュメンタリーを監督したのは、映画『エンロン 巨大企業はいかにして崩壊したのか?』や、アフガニスタンでの米兵による民間人拷問致死事件を扱った「『闇』へ」(アカデミー長編ドキュメンタリー映画賞)で知られる ベテラン・ドキュメンタリー作家のアレックス・ギブニー。
映画に造詣の深いミック・ジャガーが自ら直接、彼を監督に指名したとのことだが、さすが社会派といおうか、彼はジェームス・ブラウンの音楽人生をただ描くだけではなく、その生きた時代、社会との、リアルタイムでの関わり、交わりのさまを、じつに深く、鮮烈にとらえてみせてくれている。
ジェームス・ブラウンが成人し歌に目覚めた1950年代なかばから、スターとしてその絶頂期を駆け抜けた1960年代いっぱいまでは、ちょうど、全米のマイノリティー、とくに黒人の、合衆国憲法で認められた権利の回復をめざす運動、いわゆる公民権運動が歴史的に大きな盛り上がりをみせた時期と見事に一致する。
黒人として生まれ(一説には、父はアメリカ大陸先住民の、いわゆるインディアン)、スーパースターとして ときあたかも全米を揺るがす激動の時代の渦中に身をさらすこととなったジェームス・ブラウンは、まさにこの、黒人「問題」に揺れ動く「時代」というものに対しての自らの意思表示、立場表明を、いやおうなく求められていくこととなった。
(3に つづく)
映画『ミスター・ダイナマイト:ファンクの帝王ジェームス・ブラウン』
(アレックス・ギブニー監督作品)
公式サイト
東京の角川シネマ新宿ほかにて上映中
旦(だん) 雄二 DAN Yuji
〇映画監督・シナリオライター
〇CMディレクター20年を経て現職
〇武蔵野美術大学卒(美術 デザイン)
〇城戸賞、ACC奨励賞、経産省HVC特別賞 受賞
〇日本映画監督協会会員(在籍25年)