『ディア・ハンター』でアカデミー賞監督賞に輝いたマイケル・チミノ監督が77歳で亡くなったと海外メディアで報道した。
カンヌ国際映画祭のディレクター ティエリー・フレモーがツイッターで明らかにしたもので、自宅で亡くなり、死因は明らかになっていません。
マイケル・チミノ監督は、1974年クリント・イーストウッド主演の『サンダーボルト』で監督デビューを果たして、1978年に、1960年代末期におけるベトナム戦争での過酷な体験が原因で心身共に深く傷を負った若き3人のベトナム帰還兵の生と死、彼らと仲間たちの友情を描いた『ディア・ハンター』で、アカデミー作品賞、監督賞など5部門で受賞。
そして、1980年あまりに膨れ上がる製作予算によって映画製作会社が倒産に追い込まれるなどの「映画災害」を引き起こしたと言う世紀の問題作『天国の門』を発表。
この作品は、219分を主張する監督と、製作会社が考える上映時間との差がありすぎ、揉めに揉めた事実もありました。
その後、1985年に『イヤー・オブ・ザ・ドラゴン』87年に『シシリアン』を監督した。
何と言っても多くの方は、ロバート・デ・ニーロ、クリストファー・ウォーケンが出演して、ロシアン・ルーレットをする『ディア・ハンター』の衝撃を覚えているだろう。
そして、ある意味歴史的な名作となった『天国の門』。
結局、この作品が災いしたのだろうか、長編作としては、生涯7作品しか監督はしていないこととなった。
ご冥福をお祈りします。
監督
サンダーボルト Thunderbolt and Lightfoot(1974年)
ディア・ハンター The Deer Hunter(1978年)
天国の門 Heaven's Gate(1980年)
イヤー・オブ・ザ・ドラゴン Year of the Dragon(1985年)
シシリアン The Sicilian(1987年)
逃亡者 Desperate Hours(1990年)
心の指紋 The Sunchaser(1996年)
No Translation Needed(2007年) - オムニバスの一編
脚本作品
サイレント・ランニング Silent Running(1972年)
ダーティハリー2 Magnum Force(1973年)
『ディア・ハンター』予告
アカデミー賞 作品賞/監督賞/助演男優賞/音響賞/編集賞
『天国の門』 予告
『天国の門』エピソード
当初の制作費は1100万ドル。しかし、完成していた通りのセットが「馬が通れないから」との理由で改築させたり、ほんの一部しか映っていない機関車を撮るために当時走っていた実際の機関車を調達させたり、エキストラを大幅に増やしたり、撮影では撮り直しを繰り返したため、制作費を大幅にオーバーした。それでもユナイテッド・アーティスツは撮影を続けたために予算は4400万ドル(約80億円)[1]にまで膨れ上がった。撮影されたフィルムは約46万メートルに及ぶ。
5時間30分というあまりに長くなりすぎたフィルムから多くのシーンが削られ219分にまとめられプレミアム公開された。しかし、あまりの評判の悪さに、急遽149分の短縮版が作られ、一般公開はそれに差し替えられた。
この上映時間の大幅短縮による構成の破綻、アメリカ人の神経を逆撫でするようなテーマに対するマスコミの酷評などが祟り、映画は全くヒットせず1週間で興行を打ち切られ、チケットの払い戻しが殺到した。また台詞が音楽に隠されるなど不備も多く、第2回ゴールデンラズベリー賞の最低監督賞を受賞するなど評価も散々だった。映画の興行成績は3,484,331ドルであり[1]、莫大な赤字を出した。これによって制作会社ユナイテッド・アーティスツは倒産においこまれた。新聞には「Heaven turns into Hell(天国の門から地獄の門へ)」という見出しが載った。
『イヤー・オブ・ザ・ドラゴン』予告
ミッキー・ローク、ジョン・ローンが主演。
脚本はマイケル・チミノとあのオリバー・ストーンの共作だった。