中国芸能界へガチで挑む日本人必見!中国で日本のタレントの成功率は?
台湾、香港、中国本土など中華圏での仕事歴20年
(うち半分の10年は中国暮らし)
自称!日中友好大使の小松拓也です。
今回から数回のコラムは中国芸能界をガチで目指す方々には必見の内容とも言える、日本人タレントが中国でどう生き抜いていくか?というかなりレアな内容で綴っていきます。笑
恐らく日本人では小松拓也にしか書けない内容となっていくでしょう。
もちろん、僕のように中国在住経験を持ちながら中国で活動されている日本人タレントはいますが、その中で中国に会社まで興して芸能活動を行なった経験がある日本の芸能人は僕が知る限り、小松拓也しかいません。
ちなみに僕は、上海での6年間に及んだ暮らしと芸能活動のうち、最初の2年間を上海の現地芸能プロダクションに所属しながら活動し、残りの4年間をタレントとして表で活動する傍ら、自身で会社を立ち上げ、ネットワークやノウハウを構築しながらやり繰りして来ました。
なので、現地プロダクションに所属するメリット、デメリットのほかに、中国の芸能界では自分の活動次第では様々な発展を生める可能性のある市場がそこにあるという事実も誰よりも理解しています。
ちなみに、一般的に中国人に認知されている中国を拠点に活動をしている日本の芸能人の中で、広く認知されている日本人は断トツに矢野浩二さんが一位で、その次は自分で言うのもおこがましいですが僕、小松拓也だと思います。
というか、中国である程度の実績と知名度を築けた中国在住の日本芸能人は過去に遡ったとしても矢野浩二さんと小松拓也の2人に絞られると思います。
(上記の基準は、その内容が曖昧だと誤解を与えてしまう方が出現しかねないので、定義を中国政府が主導するような、例えば上海万博の開幕式や閉幕式といった国家レベルのイベントにゲストとして声がかかるかどうかという次元での知名度や実績とさせてください。
このレベルのイベント参加は、中国でかなりの知名度や実績が伴わないと当然出演すら叶いません。
ちなみに僕は、上海万博開幕式に谷村新司さん以外では唯一の日本人として出演したほか、2011年には台湾の台北ドームで行われた中華民国100周年記念のテーマソングを2万人の華僑の方々の前で歌わせて頂いた経験もあります。)
ちなみにおこがましいと思いながらもこの話題を敢えて出したのにはちゃんと理由があります。決して自慢したかったとかそんな陳腐な発想からではないんです。
要は、中国においてこれまでに芸能の仕事だけで副業を伴わずに生計を確保出来ている日本人は矢野浩二さんや僕を抜きにしたとしても、指で数えるほどしかいない現状をお伝えしたいのです。
今まで説明して来た通り、中国の一流タレントともなれば稼ぎはとんでもない金額になりますが、末端のタレントならばとても生活していける稼ぎにはなりません。
中国は日本の格差とは比べものにならないほど格差社会ですが、この点は芸能界も一緒です。
なので、現在の中国の芸能市場は非常に魅力的に写るかもしれないけれど、日本人にとっては大きな大きなハードルがあると思ってください。
「中華圏進出を目指す日本人タレントの入り口は?北京?上海?台湾?香港?どこがいいか?」のコラムでも個人的見解をすでに伝えていますが、あなたの目的が第2のディーン・フジオカを目指す!なのだとすれば、中国ではなく台湾へ進出を考えた方が確率は高くなると思います。
第2のディーン・フジオカと言うならば、当然逆輸入的に日本でも知名度向上を目指すというブランディングになりますから、努力や取り組みが成果に現われにくい中国本土よりは、台湾の方がその基礎を築きやすいとお伝えしたいのです。
小松拓也
1977年生まれ。
高校を卒業するとともに金城武のような多言語を操る国際的な俳優を目指し、台湾へ語学留学。
2003年に台湾でリリースした北京語CDアルバム「一萬個為什摩」は二万枚のセールスを記録。2007年に中国の国民的テレビオーディション番組「加油!好男児」に参加をし、約八万人の応募者の中からトップ20位に残った唯一の外国人ということで大きな注目を浴び、番組終了後は数多くの中国のテレビやイベント、雑誌などに出演するほか、数社の企業広告のイメージキャラクターを務め、日本の音楽を紹介する「音楽物語in Japan」のMCを務めるなど幅広く活動。
また、国家プロジェクトである上海万博の開幕式への参加や、世界中の華僑を台湾に集めて台北小巨蛋をステージに行われた四海大同では、2万人を前にイベントのテーマソングを歌うなど、その功績を中国からも認められている数少ない日本人の1人。
小松拓也オフィシャルブログ
http://ameblo.jp/takuyashanghai/