台湾、香港、中国本土など中華圏での仕事歴20年
(うち半分の10年は中国暮らし)
自称!日中友好大使の小松拓也です。
近年、中国映画市場が急拡大してきたことに伴い、僕の周りにも「中国映画に出演してみたい!」と話すような俳優が増えて来ました。
でも、ほとんどの人が中国語を話せるわけじゃないし、中華圏にツテや情報を持っているわけでもない方がほとんどです。
こういった方の考え方には大きく分けて
①留学や海外での生活も含めて、言語を学びながらどっぷりと進出しよう!
②日本にいながら機会があるなら映画などの仕事を中華圏の方としたい!
の2つがあると思いますが、②の考え方に関しては、日本や中華圏でかなり知名度がある方ならば語学習得の有無に関わらずチャンスは来るでしょうが、それ以外のほとんどの方には、中華圏にゆかりの深いプロダクションに所属しているということでもない限り、チャンスすら通常はないでしょう。
なので、今回は①に話を絞って僕なりの見解を書いていきたいと思います。
海外に住んでさえもチャンスを掴みたいと考えている人というのは、当然その分本気度も高いのだと思います。
最近だとNHK朝ドラ「あさが来た」などへの出演によってディーン・フジオカ君が逆輸入俳優として日本でも大ブレイクし、注目を集めていますが、その影響からか海外で活動する日本人タレントににわかに熱い視線が注がれるようになっています。
フジオカ君(僕はディーン・フジオカ君のことをフジオカ君と呼んでいるので)や僕は、割りと古くから海外へ飛び出し語学や文化を吸収してきた日本人です。
当時、フジオカ君がアメリカへ留学以前から彼と面識のあった僕は、その後フジオカ君が台湾へ、僕が上海に住むようになってからも台湾や上海で何度か再会し、彼の成長ぶりや才能にはいつも驚かされていました。この才能を日本人はほとんど誰も知らないのがもったいないな…
そう思うほどに彼の才能は素晴らしくて、例えば一緒に複数の海外の友人を交えながら普通に会話をしていても、中国語だけでなく、英語、日本語と、次々と使い分けながら誰とでもコミュニケーションを何の違和感もなく取っていくのです。
(彼と僕の共通の友人にはアメリカやカナダ帰りの台湾人や香港人が多く、彼らは1番の母国語として英語、次に中国語を話します)
僕は北京語しか話せないので、英語の会話が始まると途端に話についていけなくなってしまうのですが、フジオカ君は3か国語をナイフやフォークを使うのと同じような感覚で、ごくごく当たり前に自然に使い分けながらコミュニケーションをするんです。
彼が凄いのは語学だけでなく、音楽のセンスや才能に関してもそうでした。
日本では広く俳優としての認知度の方が高いフジオカ君ですが、楽器も様々な楽器を使いこなし、演奏だけでなくアレンジやエンジニアリングに至るまで、全ての工程を1人でこなしてしまいます。
しかもそのクオリティが、これまた高いわけです。
芝居も語学も音楽も殺陣も何でも自在にこなしてしまうスーパーマン!
僕にとってフジオカ君の日本でのブレイクは起こり得るべくして起こった真実だと思っているし、その才能にようやく日本が気づいただけ!という感覚が強いです。
じゃあディーン・フジオカというマルチなタレントを育てたのは何だったのか?という点に話を集約すると、個人的には彼の周りの環境が大きかった!と思うんです。
当然、彼自身の努力や人間性、考え方や生まれてから過ごしてきた全ての経験値が底辺にあるというのを踏まえた上での話ですが
フジオカ君の台湾時代、彼の周りには先ほど僕がフジオカ君を形容したスーパーマンが沢山いました。笑
ジャッキーチェンと肩を並べるほど中華圏では有名なサモハンキンポーの次男であるジミー・ハンや中華圏のSMAPとも称されるほど人気の高いF4のメンバー、ヴァネス・ウーなどが代表格です。
彼らは皆、ABCと称されるアメリカやカナダ出身の台湾人や香港人であり、語学をいくつも使い分けるだけでなく、芝居もアクションも音楽も何でも自在にこなすスーパーマンです。
実は台湾に住む芸能人にはこういったタイプのエンターテイナーが多く、その中で彼らと過ごした時間はフジオカ君にとっても間違いなく意義深い時間となったはずです。
だって、想像してみてください。
例えば毎日の食事の際、テーブルの上を通る言葉が複数言語の会話が日常茶飯事だとしたら?
外人との食事でこういったシチュエーションを経験したことがある日本人は分かるでしょうが、こういうシチュエーションって言葉が話せないうちは相当しんどい時間ですよ。笑
その分、こういった環境はかなり自分を鍛えてくれます。
語学に限らず、音楽や芝居などあらゆる面でスーパーマン達とこういった日常を過ごしてきたフジオカ君。
彼の意識がどういう基準にある中で毎日を過ごしていたか?容易に想像出来ると思います。
ちなみに今では逆輸入俳優と称されるフジオカ君が、海外での1番の時間を過ごしたのが台湾なわけですが、「じゃあ第2のディーン・フジオカを目指すような中華圏への進出を目指す日本人が、みな台湾に行くのが正解なのか?」
次回は違う視点からの見解をお伝えしたいと思います。
小松拓也
1977年生まれ。
高校を卒業するとともに金城武のような多言語を操る国際的な俳優を目指し、台湾へ語学留学。
2003年に台湾でリリースした北京語CDアルバム「一萬個為什摩」は二万枚のセールスを記録。2007年に中国の国民的テレビオーディション番組「加油!好男児」に参加をし、約八万人の応募者の中からトップ20位に残った唯一の外国人ということで大きな注目を浴び、番組終了後は数多くの中国のテレビやイベント、雑誌などに出演するほか、数社の企業広告のイメージキャラクターを務め、日本の音楽を紹介する「音楽物語in Japan」のMCを務めるなど幅広く活動。
また、国家プロジェクトである上海万博の開幕式への参加や、世界中の華僑を台湾に集めて台北小巨蛋をステージに行われた四海大同では、2万人を前にイベントのテーマソングを歌うなど、その功績を中国からも認められている数少ない日本人の1人。
小松拓也オフィシャルブログ
http://profile.ameba.jp/takuyashanghai/