カンヌ国際映画祭 受賞作そうまくり


今週の「カレイド シアター」はカンヌ国際映画祭報告。
今週は、受賞作などについて詳しくお話しします。
さて。カンヌ国際映画祭にはみっつの作品選定方法があります。
監督や製作者が自分で応募する方法。
映画祭側が新作の応募をお願いする場合。
各国・各地域のコーディネーターがそれぞれの担当地域の作品を見て推薦する方法。
この三つです。

一年かけて集めた作品に、応募作品を加えて映画祭事務局が予備審査にあたり、最終的に長編コンペティションに20本前後の作品を選びます。この上映作品から各賞を最終的に決めるのが審査員団です。
審査員のメンバーは、審査員長を含めて奇数になるように選ばれます。男女比も最近は問題にされるようになっています。どちらかというと作り手が選ばれる場合が多く、その中でも監督と俳優のバランスや、制作者、それから他の映画周辺のクリエイターを加えるかなどで毎年バリエーションがつけられています。
年齢の構成もできるだけ幅広く、と考えているようで、若手にはカンヌ育ちの入賞経験者を入れることが多く、三年前はその枠が河瀬直美でしたし、昨年は前年『マミー』で審査員賞受賞のグザヴィエ・ドラン、今年は昨年『サウルの息子』でグランプリを獲ったラズロ・ネメスでした。

河瀬直美は今年、シネフォンダシオンという学生映画部門と短編部門の審査員長に就任しています。日本人で審査員を務めた人は何人かいますが、審査員長は初めて。これって、スゴイ出世ぶりなんですよ。
国籍も幅広く、地域を意識した選び方になっていますが、なにせアジアは広いもので、ことしはアジア代表がイランの女性プロデューサーになっていました。東アジア、日本・韓国・中国の映画人が同時に審査員に選ばれるってことは、きっと、ないでしょうね。

というわけで、今年の審査員団のメンバーをご紹介しましょう。
審査員長はオーストラリアのジョージ・ミラー監督。昨年『マッド・マックス 怒りのデスロード』が招待上映され、大変な人気を呼んだことを受けての審査員長依頼だったのでしょう。一貫して娯楽映画しか作らない監督の審査員長というのもちょっと珍しい選択でした。
審査員は、審査員長を含め3人の監督、フランスのアルノー・デプレシャン、ハンガリーのラズロ・ネメス、5人の俳優、イタリアのヴァレリア・ゴレノ、アメリカのキルスティン・ダンスト、デンマークのマッツ・ミケルセン、カナダのドナルド・サザーランド、フランスのヴァネッサ・パラディ、そしてプロデューサーのイラン人女性カタヤーン・シャハビ という9人です。4人の女性に5人の男性、です。
 
ドナルド・サザーランドはカナダ人。1970年ロバート・アルトマン監督の「マッシュ」の時には共演者たちとカンヌ入りした写真が、今年の日報に紹介されていました。
 今年なぜか何回も「カナダ人として~」とサザーランドに食い下がる記者がいたんです。
カナダの監督としてドランがコンペ入りしてパルムを狙っているからということがあったんでしょうが、あまりにしつこいのでサザーランド、むっとしたんでしょう。ジョークで答えたんですよ。
「三人の兵士が敵につかまって銃殺されることになった。最後の願いを一つ聞いてやると言われ、イギリス兵は紅茶を一杯飲みたいと言った。カナダ兵は15分だけカナダ人のアイデンティティについて話させてほしいと言った。三人目のフランス兵はこういった。こいつを殺させてくれ」
ちょっと最後のところこいつを殺してくれなのか、殺させてくれ、なのか、曖昧なんだけれど、とにかく受けてましたね。

 コンペの場合、作品の国籍が取りざたされることが多いのですが、そんなことは関係なく、作品本位で選ぶんだからさ、クチャぐちゃ言うな、ということだったんでしょうね。
たしかに今は合作というか、あちこちの国から出資を募ることが多くなり、この作品はこの国の作品です、とは言いにくくなっています。また、監督の国籍で作品の国籍を決めるわけにも行かなくなっています。例えば今年、オランダ出身のポール・バーホーベン監督のコンペ作「ELLE」はフランス語で作られ、フランスとドイツが出資しています。オランダ作品ではないけれど、バーホーベン作品であることは見ればわかる。それでいいんですよね。
日本作品が出品されるとなるとつい盛り上がる私たちもちょっと反省しないといかんな、と思った次第です。

授賞式模様

 さて。というわけで、11日間にわたって21本の作品によって争われてきた長編コンペティションですが、22日の晩に授賞式が行われ、8つの賞の行く先が決まります。
授賞式はメインの上映劇場であるリュミエール劇場で行われますが、ここにはプレスは入れません。招待状を持った人しか入れないんですね。では、プレスはどうするかというと、ある視点部門の上映会場であるドビュッシー劇場で生中継を見るんです。
中継は授賞式の一時間くらい前から始まっています。だいたい30分くらい前にはプレスの人たちも集まってくるのですが、何のためかというと、授賞式に来る人たちをみて受賞者の予測をするためなんです。
というのも、授賞式には上映作品全部の監督やキャストが招待されるわけではなく、何かしらの賞をあげる、と思いますよー、と映画祭の事務局から呼ばれた作品の関係者だけが、やって来るんです。だから授賞式にやって来る人を見ると、へえーあれが何かとるのか―ってわかるんですね。
といいながら、結局なにもなし、ってこともあったり、他の賞をすでに取っている人たちが呼ばれていたりもするんですけれどね。
生中継なので、来る人全部をチェックするわけにも行かないし、結局は授賞式が始まってから、会場のあちこちを映すカメラに、「あっ、あの人が写ってる~、うっそー」とか「やったー」なんて、一喜一憂しているわけです。

授賞作、その理由?!

 さてここで。パルム・ド・オルでも、グランプリでも。カンヌの最高賞を二回撮っている監督は何人いると思いますか?
・アルフ・シェーベルイ (スウェーデン、1946年『もだえ』、1951年『令嬢ジュリー』)
・フランシス・フォード・コッポラ (アメリカ、1976年『カンバセーション…盗聴…』、1979年『地獄の黙示録』)
・今村昌平 (日本、1983年『楢山節考』、1997年『うなぎ』)
・エミール・クストリッツァ (セルビア、1985年『パパは、出張中!』、1995年『アンダーグラウンド』)
・ビレ・アウグスト(デンマーク、1988年『ペレ』、1992年『愛の風景』)
・ダルデンヌ兄弟(ベルギー、1999年『ロゼッタ』、2005年『ある子供』)
・ミヒャエル・ハネケ(オーストリア、2009年『白いリボン』、2012年『愛、アムール』 )
この7人です。
 そして今年はここにもう一人、8人目としてケン・ローチ監督が加わったのですね。
今年のパルム受賞作、ケン・ローチ監督の「アイ、ダニエル・ブレイク」は、ごく普通の一般市民である初老の大工ダニエルが、病気で働けなくなった途端に、社会保障システムの矛盾のためにすべてを失う危機に陥る、という物語です。
ケン・ローチ監督は2006年に『麦の穂をゆらす風』で初めてのパルムを受賞しています。もう10年前になるんですねー、早いなー。

今回で13回目のコンペ入りというのはカンヌ映画祭の歴史でも最多。今年79歳で、今年のコンペ監督の中では最長老でした。
公式上映に先立っての記者会見では記者たちのブラボーの声に、恥ずかしそうにちょっと手を上げてこたえる姿が、とても謙虚な感じでロ―チらしく、いいな、と思いました。
それがパルム、ですから。さすがにうれしかったようで授賞式の舞台では珍しくガッツポーズを見せていました。満場のスタンディング・オーベーションも、ロ―チへのリスペクトが感じられて素敵でした。

画像: I, DANIEL BLAKE Movie CLIPS (Cannes 2016 Palme d'Or - Ken Loach) youtu.be

I, DANIEL BLAKE Movie CLIPS (Cannes 2016 Palme d'Or - Ken Loach)

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 授賞式でのロ―チのコメントも感動的でしたね。「We must say another world is possible and necessary」。今この瞬間にも世界には飢えている人たちがいる。そんな社会的弱者を作り出さないもう一つの世界が必要だし、そんな世界を作ることは可能なのだと映画は示して見せなければいけない、という意味のコメントです。
 映画が、かなりストレートな社会批判テーマの作品なので、反発もありましたが、私は世界の動きにコミットメントすべきというカンヌ映画祭の姿勢が好きなので、このパルムは歓迎しています。

 まぁ、例年、批評家やジャーナリストが予想する受賞作と審査員の選ぶ授賞作は一致しない物なんですが、今年は特にその違いが大きくて、プレスが生中継を見ているドビュッシー劇場では二回も大ブーイングが起こりました。
 ブーイング自体は珍しいものではありませんが、今年のように満場にちかいブーイング、というのはそんなに、ないものです。
 カンヌでは何冊かの日報が発行されています。星取りをやっているのはその内3冊です。国際版の「スクリーン」誌は世界の新聞や映画誌の映画ジャーナリストや評論家が、フランス語版の「シネマ・フランセ」誌はフランスの映画ジャーナリストが、そして国際版セレブ情報誌の「ガラ」誌では、世界のカルチャー誌の映画ジャーナリストが、それぞれに星取りを繰り広げます。
プレスはその星取りを見て、賞の予想をしたり、見逃してはいけない作品はどれかと考えたりするわけです。
さらに、国際批評家連盟もネット上で星取りを公開しています。こういう情報を見ながらカンヌの参加者は、様々な方向から、長編コンペの賞の行く先を、日々予想しているわけですね。

 このところ、わりと審査員の選ぶ授賞作と星取りで評判のよかった作品が重なることが多く、今年も、どの星取りでも好評だった『ト二・アードマン』というドイツの女性監督の作品が、きっと何かとるに違いないと思われていました。
この作品のマーレン・アデという女性監督はこれが初カンヌ。プロデューサーとしての仕事が長く、長編劇映画監督は3本目。既に前の二作はサンダンス映画祭やベルリン映画祭で受賞歴もあります。

 かなりへんてこな、パンクな、と評した人もいますが、変わった人々を描く作品です。
引退した音楽教師である父親と、その生真面目な娘の葛藤と和解を描きます。変わり者の父を嫌い、自分はちゃんとした社会人になろうと日々努力し、会社での地位を築き、もっとステップアップをとがんばっている娘のところに、いきなり父親がやってきます。一度は追い払ったものの、出戻ってきた父親は、何を考えたのか、カツラと入れ歯で変装して”トニ・アードマン”と名乗り、娘の周辺に出没して彼女の人生をかき乱すのです。
 変わっていると言えば、このキャラクターも、その行動も、ストーリー展開も定石をずらしまくっていて、新鮮なほどです。そこに多くの評論家やジャーナリストが魅かれたのだと思います。
それが、授賞式を終わってみると、無冠。それはないだろう、という空気がドビュッシーに漂っていました。

授賞式は毎年賞の順番が変わります。最後の2本が、グランプリとパルム・ド・オルであることは固定されていますが、俳優の賞、監督賞、脚本賞、審査員賞の並びは年によって変わります。だんだんと賞が決まっていくにつれて、じゃあ、グランプリかパルムかと期待が高まるわけですね。
「トニ・アードマン」の場合、まぁ、初カンヌなので、審査員賞くらいでどうか、と私は思っていました。おととし初コンペのドランが審査員賞、昨年初カンヌのネメスがグランプリという流れもあり、これだけ評価の高い作品なら、と思っていたんです。
 それが、まさかの無冠。

 審査員賞が、わたしは嫌いな作品でしたし評価も良くなかったアンドレア・アーノルド監督の「アメリカン・ハニー」に決まった時は、思わず「なんでー」と叫んでしまいました。日本語で。
ブーイングに参加しちゃいましたもんね。イギリス人の監督がテキサスで撮影したロードムービーで、家族を捨てた少女が無軌道な若者グループと旅をするという話。どのキャラクターも好きになれず辟易してしまいました。まぁ、アーノルドはカンヌ育ちの監督ですからねー、と思いましたが、やはりねぇ…

さて。ブーイング話続きで監督賞に。
監督賞はW授賞でした。ルーマニア人の監督クリスティアン・ムンジウ監督の『バカロレア』とフランスのオリヴィエ・アサイヤス監督の『パーソナル・ショッパー』。
ムンジウ監督は2007年に初カンヌでパルム・ド・オルを受賞、2012年には脚本賞と女優賞を受賞しています。
アサイヤス監督は5回目のコンペ入りで初受賞ですが、2004年には「クリーン」という作品で女優賞を、マギー・チャンに もたらしています。

画像: BACALAUREAT TRAILER OFICIAL youtu.be

BACALAUREAT TRAILER OFICIAL

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画像: PERSONAL SHOPPER International Trailer (2016) Kristen Steward youtu.be

PERSONAL SHOPPER International Trailer (2016) Kristen Steward

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『バカロレア』はなかなか評判も良く、中間層の挫折という、他にも何本かの作品と共通するモチーフを使って、人の愛情と倫理について描いて見せました。ルーマニアの医師が娘を留学させようと頑張ってきたのに、卒業試験の直前、娘が暴漢に襲われ、父と娘の将来設計は崩壊していきます。それを止めようとする父は不正に加担しようとするが、という物語です。俳優も脚本もよく、逆にムンジウにしては物語がまとまりすぎていて、普遍性は獲得したけれど個性は抑えめだな、という印象を受けました。
 今年は今までならば社会の底辺にいる人びとや抑圧された人々を主人公にしてきた監督たちが、暮らしに困らない中間層の人々を主人公に据えた作品が目立ちました。そうすると見る人にとっての普遍性というか一般性は出るけれど、この監督らしくないかな、という印象があり、それがちょっと低めの評価になった監督もいます。 
けれど、その、見る人にとっての普遍性、つまり、これは自分にも起こりうることかも、という感覚を持ってもらうことが、現在の社会では必要なのではないかとも、わたしは思ったんですね。かわいそうな人たちに手を差し伸べなくては、じゃなくて、自分のこととして考えることの必要性、です。

 ロ―チがもう一つ言っていました。「社会が寛容性を無くしている。例えば、貧困は自己責任だと考える風潮が、イギリスだけではなくヨーロッパ全土に広がっている」
これは世界中に広がっている傾向だと私は思います。では、映画はそれに対して何ができるか、と考えた結果が、中間層の人に自分のことと思ってもらえる主人公の設定であり、ストーリーだったのではないかと思います。
 その点でも、ムンジウの作品は賞に値するものだと私は納得したわけです。
 
 が、しかし。ムンジウ作品に対して『パーソナル・ショッパー』は心霊能力のある娘が亡くなった双子の弟と交霊しようとするという物語で、見ていて頭がハテナでいっぱいになりました。監督が何をしたいのか、てんでわからなかったのは私だけではなかったようで、星取りの評判も悪く、当然監督賞の発表はブーイングの嵐です。アサイヤス監督自身はちっとも気にしてなかったようですけれどね。どうせ彼に賞をあげるなら、おととしの「アクトレス 女たちの舞台」にあげときゃよかったのに、と思いました。
映画祭の受賞には、仕方ないことですが、タイミング、というものがあるんですよね。

 女優賞の話が出たところで、俳優賞のことを。
カンヌ映画祭では、俳優賞に主演と助演の区別はありません。映画で一番目立つ俳優はやはり主演者なので、たいていは主演俳優が受賞します。けれど、時々、助演の俳優が受賞することもあるのが面白いところです。
とぉぉぉぉー、16年間信じてきましたが、間違ってました~。
俳優賞は主演俳優に与えられ、時々目覚ましい演技をした助演俳優には、特別に助演賞が設けられるのです。
いやー、はずかしい。今まで知らなんだ。間違えたことを教えてしまった皆さん、すみません。

気を取り直して。
 今年の俳優賞は、男優がイランの「セールスマン」のシャハブ・フセイニ、女優が「マ・ローザ」のジャクリン・ホセに贈られました。
今年のコンペ作品群は平均的に出来がよく、男優に関してはどの人が撮ってもおかしくないよねという人が5人はいました。なので、あまり意外性はなかったかな。
俳優であり高校教師である主人公と、女優である妻は「セールスマンの死」の公演を間近に控えていました。その妻が、思いがけない事件に巻き込まれます。それまでは進歩的なインテリのカップルとして生きてきた二人に亀裂が生まれ、夫は自分の培ってきたものと衝動と倫理の間で引き裂かれていきます。
 監督は「別離」などで有名なアスガー・ファルハディ。監督は脚本賞を受賞しました。ミステリーとドラマが混然一体となる彼の作風が今回もいかされていました。

 実は、一本の作品が二つの賞を獲るのは、カンヌではあまり喜ばれません。パルムとグランプリが監督・脚本と重なることは避けるというのが不文律です。なので、脚本と男優賞はぎりぎりセーフ、という感じ。でも、二つは多かったかも。
 今年は女性が主人公の作品が、12本ありました。では、女優賞は混戦か、というと二人のベテラン女優に絞られるだろうとは思っていました。
「アクエリアス」で、マンション立ち退きに一人で抵抗する元音楽評論家を優雅に毅然と演じた、ブラジルのソニア・ブラガと、「マ・ローザ」でマニラの肝っ玉母さんを演じたジャクリン・ホセです。
 結果として、カンヌ育ちのひとりであるフィリピンのブリランテ・メンドーサ監督の作品ということもあり、地域的人種的バランスを考えて、もあるのだと思いますが、ジャクリン・ホセに落ち着いたのではないかと思います。
 フィリピンには、コンビニの元祖のような小さい何でも雑貨店があります。サリサリストア、というのですが、ローザは四人の子どもを抱え、ダメ亭主を抱えながらサリサリストアを経営しています。とはいえそれだけでは食べて行けず、小口の麻薬取引も手伝っています。それが警察の眼のつけるところとなり、夫婦ともども逮捕されてしまいます。保釈金を集めるため奮闘する子供たち。というわけで、難があるとしたら後半は子どもたちが中心でローザ母さんどうしたって感じになってしまったところです。
 それでも、映画的な小国の作品に賞を出すということが、その国の映画界を活性化することにつながると、カンヌ映画祭は考えているので、ブラジルよりもフィリピンを選んだのでしょう。 

 最後になってしまいましたが、グランプリの「イッツ・オンリー・ジ・エンド・オブ・ザ・ワールド」。日本公開が決まっていて、どうも「まさに世界の終り」というタイトルになりそうです。
 監督のグザヴイェ・ドランは「カンヌは僕の成長記録みたいだ」と言いましたが、20歳で撮った初長編が監督週間で上映され、21歳の時の二本目と23歳の時の三本目はある視点部門で上映、25歳の五本目で初コンペで審査員賞、そして27歳でグランプリ、と撮った作品のほとんどがカンヌで上映されている、正真正銘のカンヌっ子です。子役から始めた俳優でもある美男子で、若くて才能もあるということから、今一番カンヌが期待している監督と言っていいでしょう。ここで賞なしで帰すわけにはいきませんよね(笑)。
 といっても今回の作品はドランにとって初めての小説の映画化で、自分は出演せず、豪華スターたちの共演をきっちりとドランの映画としてまとめたという点が、今までとは違う挑戦として評価できると思います。

画像: 2016 Cannes Film Festival - Xavier Dolan's Interview youtu.be

2016 Cannes Film Festival - Xavier Dolan's Interview

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画像: http://en.vogue.fr/fashion-culture/fashion-exhibitions/diaporama/5-things-you-need-to-know-about-xavier-dolans-its-only-the-end-of-the-world/34104

http://en.vogue.fr/fashion-culture/fashion-exhibitions/diaporama/5-things-you-need-to-know-about-xavier-dolans-its-only-the-end-of-the-world/34104

 不治の病にかかった若い作家が、自分の死を告げるため12年も離れていた実家に帰るのですが、ハイテンションな母親、不機嫌な兄、感情的な妹の口論の中、大事なことをなかなか言い出せない、というお話です。唯一彼の、何かを言いたげな雰囲気を感じ取る兄嫁ですが、夫に気兼ねして踏み込めず、主人公は家族の中で孤独を深めていきます。
 マリオン・コティヤール、レァ・セドゥ、ギャスパー・ウリエルという若手でも随一の人気者たちを揃え、ヴァンサン・カッセル、ナタリー・バイというベテランが加わり、彼らに言うことを聞いてもらうだけでも大変だったろうと思います。
この作品を撮ることで、ドランはメジャーな作品も取ることのできる監督であることを証明したのではないでしょうか。そしてカンヌのグランプリ受賞はそのお墨付きになるでしょう。

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