日本公開が、危ぶまれた『不屈の男 アンブロークン』。
ついに、公開だが、今は亡きルイ・ザッカローニさん本人が、アンジーと思い出を語る貴重な映像が解禁された。
アンジェリーナ・ジョリー監督が「この映画は政治的なメッセージを持った作品ではありません。生き抜くとはどういうことかを観てもらえれば嬉しいです」と解説している。
ストーリー
カリフォルニア州トーランスでの青年期、イタリア移民の子であったルイ・ザンペリーニは、店から盗みをし、ちょっかいを出してくる奴は誰とでもケンカする、手の施しようのない不良だった。しかし10代の頃、兄ピートの励ましのおかげで、反抗的なエネルギーを走りの驚異的な才能に振り向け、彼の人生は一変した。次々とアメリカの記録を更新し“トーランスの竜巻”と呼ばれるようになった。1936年のベルリン・オリンピック5000mに出場した高校生のルイは、最後の1周で驚異的ともいえる56秒を叩き出し、一躍英雄となった。
第二次世界大戦で爆撃手となったルイ。1943年4月、南太平洋上カントン島での救助活動に向かう途中、グリーン・ホーネット号はエンジン・トラブルで海に突っ込み、11人のクルーの内、8人を失った。ルイと二人の生き残り、飛行機のキャプテンだったラッセル・アレン・“フィル”・フィリップスと、後部砲手フランシス・“マック”・マクナマラ軍曹は、簡素な救命ボートで、数週間にわたり無限に広がる太平洋上を漂流した。
マックが生き延びたのは33日間。サメの襲撃、照りつける太陽、容赦ない嵐、日本の爆撃機による機銃掃射などの過酷な環境に耐えたものの、飢えと脱水と疲弊によって遂に亡くなった。ルイとフィルは総計47日を生き延び、最終的には2000マイル離れたマーシャル諸島に流されたのだった。
彼らは日本海軍に捕らわれ、クェゼリン島で独房に入れられる。二人は別れ別れとなり、フィルはどことも知れず連れ去られる。ルイは、東京の大森捕虜収容所に送られた。そこで精神のバランスを欠いた収容所署長、サディスティックな振る舞いによって“鳥(バード)”とあだ名された渡辺伍長に目をつけられることになる。
規律正しく営まれる収容所での生活。絶望的な状況の中、日本兵の目を盗み、情報を得ては回覧し、生き延びようとする捕虜たち。しかし、メモが発見されてしまい、関わった者は厳しい罰を受ける。フィッツジェラルドに「生き延びることが復讐だ」と言われ、兄の言葉「耐え抜けばやれる。自分から挫けるな」を思い出すルイ。
ある日ルイは、アメリカ本国で「オリンピック選手のザンペリーニは戦死した」ことになっていると告げられる。プロパガンダのため、ラジオ・トーキョーで自らの生存を伝えるよう要請されるルイ。無事に放送を終えるが、上層部はルイに対し、アメリカの悪口を言い、彼を捕らえている日本軍をほめそやすような放送に協力するよう、おいしい食事や甘い条件を出して説得する。彼は拒否し、大森収容所に戻る。
戻ってきたルイに、「意志が強く、私と同じだ」と嬉しそうな渡辺。しかしすぐに「私の友達になれる奴だと思ったが、お前は日本の敵だ」と怒りのボルテージを上げ、捕虜全員に一発ずつ頬を殴るように命令を下す。
クリスマス休暇、捕虜による“シンデレラ”が上演され、希望に満ちた稀な瞬間が訪れた。そんな中、渡辺が昇進のため大森を去ることが発表され、つかの間の平穏な日が訪れるのだが。。。。
第87回 アカデミー賞® 撮影賞、録音賞、音響編集賞 ノミネート
第15回 AFI(アメリカン・フィルム・インスティチュート)アワード ムービー・オブ・ザ・イヤー
第86回 ナショナル・ボード・オブ・レビュー賞 ブレイクスルー演技賞(ジャック・オコンネル)
第25回 シカゴ映画批評家協会賞 有望俳優賞(ジャック・オコンネル)
第9回 ダブリン映画批評家協会賞 ブレイクスルー賞(ジャック・オコンネル)
第21回 全米映画俳優組合賞 スタント・アンサンブル賞
第42回 サターンインターナショナル賞 アクション・アドベンチャー映画賞
第14回 シネマ・フォー・ピース賞 最優秀映画賞
第19回 ハートランド映画祭 真の感動作賞
第12回 アフリカン・アメリカン映画批評家協会賞 第7位
監督
アンジェリーナ・ジョリー
脚本
ジョエル・コーエン&イーサン・コーエン
プロデューサー:
アンジェリーナ・ジョリー
出演
ジャック・オコンネル
ドーナル・グリーソン
MIYAVI
ギャレット・ヘドランド
フィン・ウィットロック
ジェイ・コートニー