「ホテルコパン」
10人の壊れる日本人。と、その10人の怪優たち。
第2回 玄理 as ホテル従業員:片山ユリ

監督の門馬直人です。
劇中で描ききれなかった10人のキャラに込めた想いと、そしてそれを演じてきってくださった怪優たちの見どころについて今日も紹介していきます。公開の2月13日まで、より深く映画を理解していただけるようネタバレ前提で伝えていきたいと思っています。

画像: 玄理 as ホテル従業員:片山ユリ

玄理 as ホテル従業員:片山ユリ

絶望を乗り越えた後の「私以外私じゃないの♪」的な強さ。

以前、リクルートという会社で働いていたことがあります。今はどうか知りませんが、当時は、ほぼ全員が「俺様一番」タイプな男女の集合体でした。
「オレは二番でいいよ」など言う人がいれば、珍獣を見るような目で見られます。そういう「生まれたからにはテッペンとったる!」という意識の濁流が、会社の勢いにもなっていた時代でした。

そんな群雄割拠ひしめく戦国時代を呈する社内の中、一人異色な方がいました。競い合う社風にのまれず、マイペースながら人一倍仕事をこなし、飄々としてるようで妙に肝が据わっている人でした。俯瞰からモノを見ているようなところがあり、社内でも一目置かれる存在。そのスタンスが不思議で「なんかリクルートっぽくないですよね?」と尋ねてみると、「オレは一度死んでるから」と返ってきたのです。その時は30代後半の年齢でしたが、ちょうど30歳くらいの時に脳腫瘍で倒れたそうです。手術はしたものの、医師も家族も峠を越えられないだろうと覚悟を決め、親戚も集まりました。しかし、奇跡的に命を取り留めたのだそうです。「花畑を見てきた」とその上司は笑い「だから、これはおまけの人生なんだよ」と言いました。そして、死の淵を彷徨っている時、もっとこうしたかった、こう生きたかったと後悔したのだと。「おまけの人生くらい、自分は自分でいいんじゃないかって思ってね」と言われて妙に納得してしまったのでした。
転機を乗り越えた後の姿って、良い意味で開き直った姿だと思うのです。今作で、唯一絶望を乗り越えた後の立ち位置のキャラとしてユリにその姿を託しています。

劇中では語られていませんが、設定は、母親なく父親に育てられるも、その父親が中学生の頃に病気で倒れ、寝たきりになってしまったというもの。突然訪れた労働と介護の日々。これから人生を謳歌しようとする同年代の少年少女とは裏腹に、未来に蓋をされたようなユリは生きていくことに絶望を覚えます。とある日、労働と介護に疲れ絶望に苦しむユリは、父親を殺して、自分も死のうと考えます。深夜、動けない父の首に手をかけようとするユリ。しかし、いつも優しかった父。男手一つで育ててくれた父の思い出が蘇り、その手を止めます。ユリの目から涙が溢れ出し、その場にうずくまり嗚咽し続けるしかできないのでした。それを機に、ユリは開きなおるように人生を受け入れます。人は人、自分は自分の生き方があるのだと。

それから10年経ったのが、この映画に登場するユリです。一喜一憂しない。愛想笑いもしない。多くの人が目指すような目標も持たない。反対に、自分が生きる上で欲する食や性などには正直に生きているんですね。
絶望を乗り越えた姿として、ユリは一つの例でしかありません。人の数だけ違う姿があるでしょう。ただ、絶望を乗り越える時には、どこか開き直るみたいな感覚は必要なのだと思うのです。

感情を出さない異質感。怪優:玄理


劇中には前述のような説明シーンがないので、とにかくユリが他の9人とは違うタイプの人であることをわかってもらうために、「感情を出さない」「シニカルな上から目線」という2つのキャラ要素を強めてもらいました。
玄理の怪優さは、「独特な雰囲気を自然に纏っている」という持ち前の強い武器にあります。クールビューティー系な顔立ちも加味された無表情さと上から目線感の芝居によって、全編通して異質感を放っているキャラを作り上げてくれました。

それと、玄理は僕の比じゃない量の映画を観ています。そのおかげか、映画に対してのセンスや美意識が高いんですよ。なのでキャラやシーンの理解度が高くて助かりました。反対に、妙に色々なことに気がつくヤツでして、撮影中に「なんで役名で呼んでくれないんですか?」と言いだしたことがあります。撮影の現場では、役者さんを本名ではなく、役名で呼ぶことの方が一般的です。役名で呼ばれた方が、その役を意識しやすいからなのですね。そこでタネ明かしをするのもなんなのでうやむやにしましたが、なんて余計なことにまで気がつくヤツなんだと。
この映画、10人のキャラ設定はフィクション方向で、お話のトーンはリアリティ方向という世界感。そこで設定とリアリティを結ぶ方向として、なるべくキャスト本人のまま設定だけを寄せてもらうよう、役者の皆さんには伝えていました。本名で呼ぶのは、なるべく本人の持つリアリティを中心にするための意識づくりの一環だったのです。逆に設定を強めたい時だけ、海人とか千里さんとか役名で呼んでいたんです。

また、こんなこともありました。1カットだけ、ユリがお父さんを介護しているシーンがあります。劇伴音楽が流れる中、10人それぞれの悩める一夜を表すモンタージュシーンの一つです。その撮影に際し玄理が「お父さん、って声に出さないと、この介護されている人がお父さんだってこと、伝わらないんじゃないですか?」と。「いやいや、音楽シーンだから、台詞は入れたくないし、父親ってことはわかるでしょう」と全否定したのですが、実際編集してみて「あれ?確かに父親ってことが、全然わかんない!」となり、玄理が芝居として一応出していた声を使用させていただきました。あの時、否定して、ゴメンなさい!!

-公開まで、あと9日-

映画「ホテルコパン」予告編

youtu.be

This article is a sponsored article by
''.