『森のカフェ』
若い哲学者・松岡啓志(論文を書いて教授に審査されているところを見ると、卵といったところか)が、その論文が書けず、気分転換をかねて家の近くの森に出かけて、丸テーブルのおかれた場所にいく。
ここでも書けず、ノートにいたずら書きをしていると、突然、若い女性が「森のカフェへようこそ」といって、コーヒーの注文をとろうとする。「え、ここってカフェなのか」、とあわてる松岡に、彼女はカフェ一押しのコーヒーといって、赤いチェックのアラジン魔法瓶から熱いコーヒーを注ぐ。いつの間にか眠ってしまい、気がつくと彼女はいなくなっていた。
彼女は森野祥子という女子大生で、曲を作っているのだが、歌詞の二番が思い浮かばない。で、お気に入りの森の場所に行って、歌詞を考えようとしたのだが、見知らぬ人がいたんで、とっさに「森のカフェへようこそ」と言ったと友人に打ち明ける。以後、松岡と森野のパートが交互に描かれ、松岡の指導教授が入院したことから、代講をまかされ、教室で森野と再会することとなる。
松岡、森野ともに彼らのことを親身になって心配してくれる友人がおり、ふっと消えたりするので、私はてっきり彼らの分身だと思っていたのだが、どうやら違うようだ。ファンタジー好きの私としては、そっちの方が好みだったのだが……。
森のカフェといったとぼけたセッティングと、ちょっぴり神経質そうな松岡と、ノンシャランながら繊細な森野……ふしぎな二人の間から生まれ出た暖かい感情が見る者を包み込む。
監督はテアトル新宿の支配人を経て、「見えないほどの遠くの空を」(2010)でデビューした榎本憲男で、これが長編第二作目にあたる。松岡には「リアル〜完全なる首長竜の日〜」の管勇毅が扮し、森野役は東宝ミュージカル「レ・ミゼラブル」でコゼットを演じた若井久美子。ほかに橋本一郎、伊波麻央、志賀廣太郎、そして早稲田大学の名誉教授である安藤紘平が教授役で登場している。
森野が歌っていた曲は「いつのまにかぼくらは」といい、榎本監督が作詞し、音楽担当の安田芙充央が作曲している。さわやかな歌声にマッチした佳曲である。
榎本監督が東京郊外に引っ越し、近くの緑地帯を散歩しているうちに、ここで映画を撮りたいと思うようになったのが、そもそものきっかけだとか。「絵物語として楽しく、そして深くという一粒で二度おいしい映画を目指したい」とのことだが、低予算映画なので彼の自宅が松岡の書斎として使われたほか、主宰する月一回のシナリオ研究会シナリオ座学のメンバーがスタッフとして参加しておりいる。撮影期間はわずか八日間。自宅が撮影の拠点となり、ここで俳優は着替えをし、メイキャップをして近くの森に出かけていくというシステムだったという。日本女子大学、獨協大学、日本大学藝術学部と三つの大学のキャンパスでロケ撮影された。
北島明弘
長崎県佐世保市生まれ。大学ではジャーナリズムを専攻し、1974年から十五年間、映画雑誌「キネマ旬報」や映画書籍の編集に携わる。
大好きなSF、ミステリー関係の映画について、さまざまな雑誌や書籍に執筆。著書に「世界SF映画全史」(愛育社)、「世界ミステリー映画大全」(愛育社)、「アメリカ映画100年帝国」(近代映画社)、訳書に「フレッド・ジンネマン自伝」(キネマ旬報社)などがある。