小野耕世のPLAYTIME ⑩ 「なぜバファローの大群が?」
映画『捜索者』(1956)から40年以上経って、久々に作られた西部劇に、ケヴィン・コスナーが監督した『ダンス・ウィズ・ウルブズ』(1990)がある。
その年のアカデミー賞作品賞・監督賞など7部門の賞を得たこの映画では、主人公の白人の合衆国騎兵隊の男は、インディアンの友となり、<オオカミと踊る男>という部族名をもらうので、それが映画のタイトルになっている。
この映画のなかで、バファローの大群が映っていたのをご記憶だろうか。その場面に感動し、滅びたと言われるバファローも「探せばまだあんなにいるじゃないか」と述べた日本の映画評論家がいたほどだ。
だが、その映画評論家は知らなかったのだ。映画のなかの野牛の大群は、実は現在でいうCG合成だったということを。まだCG技術は難しい1990年当時、初期段階だったから、映画の関係者は、バファローの群れはCGによるという事実を秘密にし、宣伝にもそのことは封じたのだった。たまたま私は、業界の専門家からそのことをきいていたのにすぎない。CG合成技術が、いまのようにだれもが知っている時代ではなかった。
バファローの群れが、ともかくもまだ実在し、それに向けて銃を乱射するジョン・ウェインが登場する映画『捜索者』では、雪の降る冬や、灼熱の夏を何年も過ごしてコマンチ族を追い続けたジョン・ウェインとジェフリー・ハンターは、ついに娘をさらったコマンチの酋長と対決する。
この時成長した主人公の姪を演じるのは、後に映画『ウェスト・サイド物語』に主演するナタリー・ウッドだった。コマンチ族にさらわれる幼児の頃の彼女を演じたのは、ナタリーの実の妹で、ふたりを出演させることで、ナタリー・ウッドの母親は、まだ少女だったナタリーの映画出演を許可したのだった。
ついに探し出した姪に、イーサンは銃を向ける。インディアン化した女性は、許しておけないからで、これは実際に当時の白人たちのあいだでかなり一般的な感情だった。そのときナタリー・ウッドの前にジェフリー・ハンターが立ちはだかり、ジョン・ウェインは、銃を降ろす。娘をさらったコマンチの酋長は、ジェフリー・ハンターが拳銃で射殺する・・・。
それまでに、この映画では、合衆国騎兵隊とコマンチ族とのあいだの、いくつかの戦闘が描かれる。河をはさんでの戦いは、とりわけすさまじい。映画の製作者側には、ジョン・フォード監督の息子も加わっていたし、ジョン・ウェインの息子のパット・ウェインも、騎兵隊の若い士官として軍服姿で出演している。フォード映画の常連である俳優のウォード・ボンドは、牧師件騎兵隊指揮官の役を演じているが、若い士官がすぐにサーベルを抜くので、あぶなっかしくてしかたがない。「おい、早くそのナイフをしまえ」と、パット・ウェイン に言う場面は笑いをさそう。
娘を救出して帰ってきたふたりを、家族がむかえる。ジェフリー・ハンターには恋人が待っていた。そして、イーサンはどうするかというと、ここでほんとうに去っていく。
このラスト・シーンで、映画の初めに流れた主題歌がくり返される。「What makes a man to wonder・・・,Ride away, ride away・・・」(なぜ男はさすらうのか?馬に乗って去っていく、去っていく)。
だが、この時のジョン・ウェインには、馬はいない。彼は徒歩で去っていくのだ。だから、Ride away(騎乗で去っていく)という歌詞とは合っていない。つまり、Ride away ではなく、Walk away なのだ。そして、家のとびらは閉じられ、画面が暗黒になって、The Endの文字が、最初のタイトルと同じデザインの画面に現われる。
『捜索者 西部劇の金字塔とアメリカ神話の創生』という本には、映画『捜索者』がどのように作られたかについて、そのもとになった史実の詳細な跡づけと、それを小説化したこの映画の原作者アラン・ルメイという作家の生涯についても詳述している。ジョン・ヒューストン監督の西部劇『許されざる者』(1960)もアラン・ルメイの原作で、邦訳がある。
ここで、アメリカにおける西部小説の歴史に触れておこう。
最初の西部小説は、1902年に出版されたオーエン・ウィスターによる「ザ・ヴァージニアン」で、日本語版の抄訳がかつて出ている。これは単純なヒーロー物語で、アメリカではベストセラーになったとはいえ、内容にそれほど深味はない。
私の好きな西部小説の作家は、ゼイン・グレイであり、映画『駅馬車』の原作である短編小説を書いたアーネスト・ヘイコックスであり、さらには映画『シェーン』(1953)の原作を書いたジャック・シェーファーである。シェーファーは、とりわけ短編が得意で、文章もよく、私は彼の短編集を(ハードカバーの原書も含め)かなり持っている。女性の西部小説家もいて、私のお気に入りはドロシイ・ジョンスンだ。彼女は映画『縛り首の木』の原作者ではなかったか(まちがっていたらごめんなさい)。西部劇小説の量産作家はなんといってもマックス・ブランドで、彼の伝記はアメリカで出ているが、その息子が同じマックス・ブランドの名で、西部劇小説を書いているからややこしい。
文学的に評価が高いのは、ウォルター・ヴァン・ティルバーグ・クラークの長編『オックス・ボウ事件』(The OX-BOW Incident)だろう。傑作だが邦訳はない。この小説を気にいったヘンリー・フォンダの主演で、1940年代に映画化されているが、日本未公開だ(テレビで放映する予定でいれた16ミリプリントを、私は東京のテレビ局で見ている)。私刑(リンチ)をテーマにした問題作だったが、興行的には成功しなかった・・・などと話しはつきないが、私は原書のほか、日本で翻訳されている西部小説のほとんどを、持っている。
ところで、ジョン・フォードの西部劇によってスターになった俳優ジョン・ウェイン(1907-79)は、しばしばデューク(Duke 公爵)と呼ばれていた。「そんな呼び名も軽すぎるくらいだ」と、日本の映画評論家が書いているのをむかし読んだことがある。だが実際は、デュークとはジョン・ウェインが子どものころ飼っていた犬の名前だったのである。つまり、愛犬の名が彼の愛称になったのだと、私はやっと知ったのである。デュークとは、この場合、別に大物とか御大(おんたい)を意味する呼び名ではなかったのだ。
映画『捜索者』の評価は、アメリカでは年々高くなっているようだ。その最初の公開から50周年となる2006年、製作関係者の声などを含む二枚組のDVDがワーナー・ブラザーズから発売された。私はその日本版をたまたま見つけて、買っておいたが、そのままほったらかしにしていた。
『捜索者 西部劇の金字塔とアメリカ神話の創生』をいっきに読み終えた私は、そのDVDを初めて見て、いろいろ思い出した。しかし私は、画面精度の高いビスタビジョン版を、映画館でもう一度見たいとつくづく思うのである。