「刹那」という言葉がある。この珠玉の名作を観てからというもの、その言葉が頭から離れない。
映画『夏をゆく人々』(監督・脚本 : アリーチェ・ロルヴァケル)。
イタリア・トスカーナの田舎町に暮らす養蜂家の家族の、とくにその幼い娘たちの上を風のように通り過ぎる、まるで淡い夢のような、一瞬の夏を描いた物語である。
ひと夏という かけがえのない時間、手のひらからこぼれ落ちる砂粒のようにけっして二度とは戻らない「刹那」を描いて、この映画は、はかなく、せつなく、美しい。
青い海にきらめく真夏の陽光。深い洞窟の壁に照らしだされる篝火のあかり。水たまりに映り、娘の足先と戯れる天空からの光──。そう、これは、私たちが生きるこの世界の、光と影をめぐる物語でもある。
つましい住まいに射し込む陽だまりの中で、娘の一人が妹に、けだるく、ひとり言のように、こうささやいてみせる。「さあ、この光を飲み込んでごらんなさい」
ひと夏が、子どもでいられる時間が、そしてまた人生が、光と影が織りなす ほんの一瞬、刹那にすぎぬということを、弱冠33才の女性監督アリーチェ・ロルヴァケルは知っている。
しかし、そのことを悲観や諦念としてではなく、この世と人の生のあるがままのありようとして、あるいはまた宇宙の摂理として自然に受け入れ、静かに向きあおうとしている。
映画は監督自身の少女期の実体験に基づいているという。監督のこの独特の、対象のとらえかた、見つめかたは、そこからきているのだろうか。
そのように監督が淡々と描く映画世界の中、平凡に田舎町の夏をゆく人々のもとへ、ある日、遠くドイツから、テレビ・バラエティーの収録クルーが押しかけてくる。
未知の世界、異質なものとの出会い。都会の息吹き。きれいで洗練された大人の女性たちの、はじめて見る きらびやかな服装、華やかな化粧──。娘たちは、知らず知らずのうちに、しかし確実に、それらの影響を受けはじめる。そして、年ごろの彼女たちのなかで、なにかが次第に変わっていく。性に目覚め、大人への一歩を歩みだすのだ。
娘の一人は、その口の中にそっと含んでおいた蜜蜂を、まるでなにかの儀式のようにじわじわと這い出させ、それを身近な者にだけ秘めやかに披露する。不思議なエロティシズムを醸し出す秀逸な映像表現である。
はじめて外で一夜を明かして家に帰ってきたその娘(ジェルソミーナ!)が、大人の顔になっている(メイクによってではなく、芝居として大人の顔を表現している)ことにも感銘を受ける。
「家にはどこかに秘密を隠していいのよ」──終盤、母親が娘たちに、そんな、謎かけのような言葉を告げる。
そして、オープニングと対をなす、これもまた謎めいた味わいの不思議なエンディング。
これらの心憎い仕掛けによって、「刹那」というものがじつは「永遠」と同義であることを、わたしたちは思い知らされるのである。
〇映画『夏をゆく人々』(カンヌ国際映画祭グランプリ受賞)は、先日8月22日公開の東京・岩波ホールを皮切りに、今後順次、全国で公開されます。
旦 雄二 DAN Yuji
CMディレクターを経て映画監督
武蔵野美術大学卒
〇映画『少年』『友よ、また逢おう』
〇CM『出光』『DHC』『ラーメンアイス』『富士通』『NEC』『大阪ガス』『河合塾』『カレーアイス』『飯田のいい家』『sanaru 佐鳴学院』『タケダ 武田薬品』『ソルマック』『ミニストップ』
〇ドキュメンタリー『寺山修司は生きている』『烈 〜津軽三味線師・高橋竹山』
〇ゲーム『バーチャルカメラマン』『バーチャフォトスタジオ』
〇アイドル・プロジェクト『レモンエンジェル』
〇脚本『安藤組外伝 群狼の系譜』細野辰興監督版
など、ほか多数
◎城戸賞、ACC賞、HVC特別賞 受賞