「集団的自衛権が可決され戦争に巻き込まれる可能性は高まったと思います」と、語っても集団的自衛権という言葉の響きや漢字の羅列に拒否反応をおこす若者達に「戦争を知らない大人」になった私が戦争の悲惨さを伝える事は至難の技です。
勿論、皆さん義務教育で戦争の歴史は学んではいますが日々発信される娯楽情報にかき消され戦争を深刻に考える機会は少ないでしょう。
3.11の事もイスラム国のテロ行為もタイムラインの下位に追いやられるのが
メディアの仕組みです。
それより深刻なのは仲間外れや、いじめの対象にならない様に気を使い、経済格差で決定される将来に自分を探し、疲れ果てファンタジーの世界に逃げ込む事でひと時の休息を得る若者達の日常こそ無限に続く戦場とも言えます。
彼らは、そんな状況を乗り切る知恵として現実逃避のスキルを高めてきた世代です。
心が崩れないうちに素早く避難するシェルターとして映画館は遠すぎるのかもしれません。
リアルに仲間がいなくても一人で逃げ込む空間では沢山のアプリが暖かく迎え入れてくれます。
お客様は料金プラン次第でお好みの世界に浸れます。そんな彼らを離さないようにあらゆる手段を講じて囲い込み従順な消費者に仕立てるのが商売というものです。ですから安心な筈のシェルターが集客のトラップだという事は多々あります。
美大は娯楽を提供する側の人材を育てる訳ですから学生はトラップにハマっている場合ではありません。ですから女子に人気の無い戦争映画も画鑑させる事も大切です。現代の産業や文化の分岐点としてベトナム戦争から学ぶべき事は沢山あると考え、まず「フルメタルジャケット」の鑑賞会を行いました。
大学にはイメージ・ライブラリーという映画館並みの施設もありますが、そこは敢えて作りかけの作品や工具の並ぶ雑多なゼミ室にコーラとポップコーンを用意してプロジェクターで鑑賞というスタイルを決めてみました。
スタンリーキューブリック監督のこの作品はベトナム戦争時、アメリカ海兵隊に志願した青年たちがキャンプの鬼教官の叱責と罵倒、殴る蹴るの体罰が加えられ続け過酷を極める厳しい教練を受けた後、戦地に送られ、仲間が死んでいく中で変化してゆく内面を表した作品だと思います。
「フルメタルジャケット」の意味をネットで調べると「full metal jacket/被覆鋼弾、完全被甲弾貫通性が高い通常の弾丸。弾芯が金属(メタル)の覆い(ジャケット)で覆われているメタルジャケット弾の一つ。ボール(Ball)弾とも呼ばれる」と書かれていますが、私は別の解釈をしました。
ラスト近く、廃墟の物陰から米兵を一人ずつおびき出して正確に射殺し米兵を恐怖に陥れたのは痩せたベトナム人少女スナイパーだったのです。彼女も最後は追い込まれ半死の状態で米兵に取り囲まれます。絞り出す様な声で何回も“Shoot me”懇願する少女に主人公のジョーカーはとどめをさします。
彼に対して仲間が皮肉な表現で賛辞を送ります。まさに殺人を平然とこなせる人間になったという事が表現されていると思いました。
入隊当時は優しい青年が訓練と実践の中で戦争のプロになる姿を私は「戦争というジャケットを着ている」と解釈しました。カーキ色の軍服はカモフラージュです。
心が着る思想という服で戦争をサヴァイバルするひ弱な人間の姿をこの映画に観ました。
KOSUKE TSUMURA Profile
津村耕佑 プロフィール
Art director・ fashion designer
FINAL HOME project 主催
編装会議 主催
武蔵野美術大学空間演出デザイン学科教授
文化服装学院ファッション工芸専門課程非常勤講師
日本文化デザインフィーラム会員
https://www.facebook.com/kosuke.tsumura.9
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